「荒野の声」からの開戦第一報

 イラク攻撃に反対しつづけてきた「荒野の声」のシカゴ本部から、開戦後の第一報メールが到着している。それによると、この組織のメンバーで、バグダード現地に滞在する「イラク平和チーム」は、現在、市内中心部のホテルに分散しているという。そのひとり、ベッテジョ・パサラクアの日記が転送されてきたので、以下に、訳出する。

 私たちは、木曜午前 4 時前後に爆撃が開始されるものと覚悟していた。深夜まで皆一緒に集まっていたが、砂嵐が戦闘機の飛行を妨害しているので、侵攻は延期されるだろうと聞いた。しかし、午前 3 時になって、戦闘機がこちらに向かっているとの情報が、合衆国からあった。シェルターへ向かう者も、部屋に留まる者もいた。5 時 30 分、夜明けまでにやってこなければ、きょうは大丈夫だろうという話になった。最初の爆発が起こったのは、キャシー・ブリーンが、「さあ、夜が明けたわ、これで寝られるわね」と言った瞬間であった。攻撃は 30 分ぐらいつづいた。2 回の爆発が、我々のいる建物を揺らしたが、実際はかなり遠かったと思う。

 それ以後、爆撃は来ていない。そこで、キャシーと私は、手伝っている病院へ行った。そこはもぬけの殻であった。静脈注射で泣きわめく子どもたちの声だって、この恐ろしい静寂を追い出してくれるんだったら、歓迎したいくらいであった。

 しかし、病院に入っていった私が見た光景に比べたら、この静寂ももののかずではなかった。廊下には、両側に 20 ぐらいずつの空きベッドがずらっと並んで、死傷者の到着を待っていたのである。

 私はがらんとした病棟で看護婦のひとりと話をした。彼女は勤務先の病院の救急室で一晩中仕事をしてきたところであった。心臓の発作でたくさんの年寄りが運び込まれてきたが、ほとんどが、この緊迫した状況に耐えられなくなったためだという。

 これ以上生命が失われないために、この残虐な戦争をやめさせる努力のすべてに感謝したい。きょうの爆撃でどのくらいの人が死んだかわからない。死者を救うことはできない。過去の戦争でどのぐらいの数の生命が失われてきたかも、私は知らない。わかるのは死者は救えないということだけ。この戦争のこれからの日々、どのぐらいの人が死んでいくか私は知らない。でも、彼らを救うのだったらまだ遅すぎはしないということはわかる。

 荒野の声のジェフ・ガンツェルは、今後現地スタッフとの連絡が途絶えることになるのを予想しつつ、有益な情報のすべてを共有しつづけることを、メールのなかで約束している。★
[2003.3.21.]


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