|
★「荒野の声」のパレスチナ報告
イラクに対する経済制裁に反対して活動しているグループ「荒野の声」 Voices in the Wilderness
(本部・シカゴ)のキャシー・ケリーとジェフ・ガンツェルが、現在、パレスチナに入っている。 4 月 10 日と 11 日の両日、ラマラに滞在し、ジェフの手になる目撃レポートが送られてきた。さらに、
13 日には、虐殺が報じられるジェニンの近くからも、短いレポートがある。
■
2002 年 4 月 10 日
私たちはきのうラマラへ向かった。ラマラへ入るために、私たち 2 人と「カソリック・ワーカー」の 3 人は、イスラエル側の検問所の南にある薮のなかを歩き、ときには走って、検問を避けねばならなかった。軍事区域内に安全に入り、あらかじめ手配してあったタクシーが、ラマラ市内まで
1 マイルを運んでくれた。そこでクルマを降りたのは、市内の高いビルの多くに、狙撃手が配備されているからである。その後、赤新月社の運転手に、シェイク・ザイェド病院までの同乗を認められた。この病院で、国際連帯運動
ISM のフワイダ・アラフらに会うことになっていたのである。しかし、途中で戦車と軍隊に止められるかもしれないとの話であった。
ニュース報道を細かくチェックしていた人はおぼえているだろうが、この病院の駐車場は、数日前、アメリカ市民ひとりを含むパレスチナ人
29 人の遺体を一時収容するために、集団墓地が掘られた場所である。病院内の霊安室がいっぱいで、他に遺体を置くところがなかった。
病院から急な坂を下ってきて 3 マイルの地点で、戦車と装甲車各 1 台に出会う。最近のラマラで、路上にあるクルマと言えば、戦車、装甲車、それに救急車だけである。その他には、侵攻の際に戦車が道の脇にひっくり返したクルマの残骸が数えられる程度。突然、兵士がひとり現れた。彼は膝をつくと、M-16
ライフルを私たちに直接向けて、照準を合わせた。私たちのクルマが停まった。運転はバックでゆっくり坂を上りはじめ、さらに数人の兵士が姿を現して、こっちへ来いと合図をしてくる。私たちは車内に外国人がいることを示すために、全員がパスポートを高く掲げた。侵攻の開始以来、イスラエルの兵士たちが、救急車の運転者を妨害し、逮捕し、銃撃していることを私たちは知っていた。何が起こるか予想できなかった。私たちのクルマは兵士たちの傍らでもう一度停車した。8
丁の M-16 と戦車 1 台が、こちらを向いていた。私のすぐ右側の兵士は、疲れた表情で、恐怖にひきつっていた。そのことが私はこわかった。運転者は外に出るように命じられた。アラビア語で質問をされている。その後、私たちも、荷物を全て持って車外に出るように言われた。荷物は路上であけさせられたが、徹底的に調べられたわけではない。数人が尋問し、他の兵士たちは私たちを取り囲む。はじめ疲れて怖がっているようだった兵士は、いまは用心しながらも好奇心にかられているようであった。
「きみたちはなぜここにいるのか」と、彼は目を合わせずに尋ねた。
「外出を禁止されている人々に医薬品と食べ物を持ってきた」と、私たちのひとりが答えた。
「テロリストがいることを知らないのか。危ないぞ。きみたちは平和をもたらせるとでも思っているのか」と彼。
「わからない」と私たちほとんど全員。
ここで、私のルームメートであり、協働者でもあるキャシーが、進み出た。「私たちは私たちの政府が現在の事態にかなり関与していると考え、このひどい状況に非暴力で介入する責任を感じるので、こうして来ているのです」
「我々が望んだことではない。パレスチナの指導部、悪い指導者たちだ。責任はやつらにある」と兵士は答えた。
「しかし、パレスチナにいる人々の半分以上は子どもです」とキャシーは言った。「子どもたちは悪い指導者ではありません、子どもは子どもです!」
「子どもたちがいることは知っている」と彼は生真面目に答えると、遠くに目をやった。「だけどテロリストもいる。きみたちのクルマを病院に行かせるわけにはいかない」と彼は言った。
「それじゃ歩いていこう」と、私たちのグループのひとり、グレグが言い、私たちの行く手を半ばブロックしている戦車と装甲車のほうへ歩き出した。
「止まれ! 歩いていくのもだめだ」と兵士は強い口調になり、立ち止まって見回した。私たちのすぐ前には、兵士がひとり膝をついて、私たちひとりずつ順に照準を合わせる。
「きみたちがここに救援にやってくれば、テロリストを喜ばせることになるのがわからないのか?」と兵士はつづけて言った。
「私たちが助けようとしているのは、日々に恐怖にかられ、殺されている、ラマラの罪なき人々です」とキャシーが答える。
「我々は罪のない人たちを殺しはしない」
「私たちは毎日『ハアレツ』(ヘブライ語と英語で印刷されているイスラエルの新聞)を読んで、罪のない人たちが殺されているのを知っている」とキャシー。
「こんなこと好きでしていると思うか」と兵士が尋ねる。「こんなところにぼくはいたくなんかないんだ」
このとき大きな爆発があり、機関銃が火を吐いた。私たちのまうしろから、轟音が迫ってきた。私たちのグループのふたりは少し離れてタバコを喫い、他の人たちは救急車に戻った。キャシーと私だけが、兵士の傍らを離れなかった。
「アラファトがなにを望んでいるか知っているか。殺しだ。殺人者をなぜ助けるんだ?」と彼が尋ねた。
「私たちがここにいることについて、別の見方があるかもしれないよ」と私は答えた。「指導者たちは真の平和を望んでいないにちがいないが、私たちは彼らより下のレベルでいま動いているのだ。あなたと私の共通点は、あなたとシャロン、私とアラファトとの間のそれより大きいと思う。この点についてはどうか?」
「そうだ、それには同感だ」
「それじゃ病院へ行かせてよ」とキャシーが応じた。
沈黙。兵士はもう一度話しはじめる。「苦しんでいるのはパレスチナ人だけじゃないんだよ」
「どちらの側にも平和がほしい」と私たちは答えた。「暴力の * すべて * が終わることを望んでいるのだ」
「手遅れだ」と兵士は主張した。「もう平和はありえない」
「出口はなかなか見えない。でも ... 」
「ユダヤ人のためにはやれないのか、どちらにもつかずにやれないのか?」
このとき、別の兵士が来てヘブライ語で話しはじめた。すると突然、救急車に戻って病院へ向かうことを認められた。
病院は、道路をはさんでふたつの建物である。数週間前、歩行器で歩いていた老女がイスラエルの狙撃手に撃たれて死んだのは、病院からわずか数ヤードの、この路上においてであった。駐車場には、新聞で読んでよく知っている集団墓地が見える。包囲攻撃がはじまって
11 日、殺しの頻度がそれでも少なくなり、病院職員も遺体をきちんと処理できるので、墓地は空であった。
***
ラマラでの 2 日目、私たちは分散して仕事をすることになった。救急車の出動に随伴するグループと、パレスチナ医療救援合同委員会へ出向いて食料と医薬品を家庭に届けるグループとに分かれた。
1 ブロック歩いたところで、 3 ブロック前方の十字路に、装甲車が 1 台いるのが見えた。装甲車の上に機関銃と兵士ひとり、もうひとりが
M-16 を構えて身体を低くしている。ふたりとも私たちに狙いを定めていた。ひとりがなにか叫んだ。アダムが大声で言った。「聞こえないのだが」 するとと、ひとりが発砲する。アダムが応じる。「銃声は聞こえた。私たちは食料の配達をしている。外国人だ」 私たちは立ち止まって待った。遠くで銃声がする。私たちの前方の兵士たちは、なんらかの作戦を遂行中で、装甲車から出たようだ。動き回っている。私たちが目障りになっている。私たちはゆっくり歩き、立ち止まり、食物を運んでいることをもう一度アピールした。アダムは、以前に話したことのある指揮官と話したいと言った。通っていいというサインをくれと要求する。なにも反応がない。私たちは、白旗を高く掲げて、ふたたびゆっくり歩き出した。近くでダイナマイトが爆発するのが聞こえる。兵士たちはある建物に突入していく。私たちはもう一度足をとめ、アダムがさらに言う。「兵士のみなさん、私たちは前へ進みたい、そちらへ行って話していいか」
長い沈黙がつづき、私たちはいったん病院まで戻って、後にもう一度トライすることになった。兵士たちが、「目障り」を始末しようとしてばかげたことをするのではないかと心配になったからである。きびすを返して、私たちは、きのうの狙撃手たちのほうへゆっくり歩いて戻った。
私たちが動けないでいる間に、アレクサンドラは、難民キャンプに潜入し、狙撃手と兵士たちがいるために病院に行けない中年女性の心臓病の処方箋を持って戻ってきた。病院はキャンプから
1 ブロックしか離れていない。
私たちは病院に戻り、心臓の処方薬を受け取ったので、すぐ目と鼻の先にある難民キャンプに入る決心をした。もう一度白旗を振って歩き出し、キャンプの入口に着き(と言っても、近隣の住宅街と見分けがつかない)、幸いにも、兵士たちはすでに移動した後であった。その後、もう一度合同救援委員会行きを試みることにした。
私たちが出発しようとしたそのとき、男が近づいてきて、発熱している息子を病院まで運ぶ救急車を手配してくれないかと言った。病院はすぐ近くなので、私たちは少年に付き添って病院まで行くことにした。
駐車場に私たちがもう一度集まっていると、 2 台の救急車が構内にスピードを上げて進入してきた。なかには、 28 歳のマネル・サミ・イブラヒムの遺体があった。彼女は、自宅の窓の近くに立っていて、イスラエルの狙撃兵に心臓を撃たれて死んだのである。そのアパートには夫と子どもが
3 人いた。
「これが我々の仕事だよ」とパレスチナ人の救援従事者は、私に言った。
私たちはふたたび合同救援委員会へ向かって出発した。つい 1 時間前に対峙した兵士たちのポイントを通り過ぎながら、私は小さな勝利をかちとったことを感じた。左に折れ、坂を上っていく。ラマラの通りに人影はなく、荒廃している。通りには、あらゆる種類の薬きょうが散らばっている。イスラエル軍は、銀行、インターネット・カフェ、バー、衣料品店、医療救援オフィス、市民サービス機関、それに一般住宅も銃撃の対象とした。戦車は、電線も、ゴミの山も、信号機もけちらした。しかし、家のなかにはいまも人がいっぱいいる。ときどき、上の階の窓からだれかが顔を出して、「こんにちは」と挨拶したり、ものおもわしげに私たちをただ眺めていたり。ロサンジェルスからやってきたという女性があわただしく、だれかの家を訪ねていく。庭で木を植えている男は、庭の周囲で見つけた薬きょうを私たちに見せる。とてもシュールな瞬間。
ときどき、近くの通りを装甲車が通り過ぎていくが、目的地にたどりつくまで兵士の姿はまるで見えない。戦争映画そのままのシーン。迷彩服の若い男がふたり、
M-16 をだらしなくかかえている。あきらかにすっかり疲れている様子で、ボブ・マーリーの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』(俺は保安官を撃った)をがんがんかけながら、私たちのバッグをひらかせるけれど、中をほとんど見ない。私たちは間もなく歩きはじめる。
合同救援委員会のオフィスに着くと、スタッフが、壊された建物の内部を案内してくれた。アパートがふたつ、天井と壁と床に重大な損傷を受けて、一面に、残骸とガラスの破片で覆われている。診療所の待合い室と手術室も同様にやられている。捜索も受けた。壊れたコピー機が床に粉々になって放り出されている。患者のファイルは全て盗まれていた。窓ガラスはことごとくこなごなになっている。
損害を見て回った後、私は、救急車の係を割り当てられ、医療班員として識別できるように、赤新月のヴェストを供与された。アレクサンドラと私は、医師ひとりとヴォランティアふたりとともに、助けを求めている家々へ食べ物と医薬品を届けた。ラマラ地域を一周したが、すべてうまくいき、なんの問題もなかった。
シェイク・ザイェド病院に戻ってきた私たちは、イスラエル軍の兵士たちが、アルドゥフ・ムサ・カンディルという 23 歳の知恵遅れの男を撃ったのを知った。その男を私たちはわずか
2-3 時間前に病院の庭で見かけた。目撃者たちによると、兵士 11 人が彼を追いかけていたという。武装した兵たちを見かけ怖がって逃げているのだと、彼らは考えたのである。彼は武器を持っていなかった。撃たれて死んだ。
私たちのメンバーのひとり、スコットが、この日の死者について詳細を知るために霊安室を訪ねた。私たちが外出している間に、
3 人目の遺体が運び込まれていた。マームド・ファリド・バワトナの遺体で、死後 7 から 15 日経っているが、ずっと見つからなかったのである。銃で撃たれていたが、銃弾がお尻から入り脳に抜けたという以外、その死の詳細はわかっていない。霊安室はまたも満杯になり、医師たちは、ふたつめの集団墓地について話していた。
私たちがエルサレムへ戻るために、病院を後にしようとしたとき、装甲車が 2 台、通りに現れて、病院にいちばん近い十字路に停車した。私たちが来るときに止められたのと同じユニットの兵士たちであった。今度は、病院を離れることは許さないと言う。
話し合いが 5 分つづき、さらに 10 分待たされて、出発を認められた。
私たちはエルサレムに戻り、キャシーたちとともにジェニン行きの準備をしている。ジェニンでは虐殺が行われているという。
***
2002 年 4 月 13 日
私たちが滞在している隣村のビルキンが、イスラエル軍の戦車に包囲されている。ビルキンには、ジェニンから逃げてきたばかりの
77 家族、約 400 人がいる。 2 日前、イスラエル軍はそこで 5 人を殺害した。アメリカの報道では、これまで占領した地域から軍隊が撤退するという。しかし、現地で見ているかぎり、それはちがう。イスラエル軍は、村から村に侵攻しているが、マスコミには報道されないままである。
昨晩、私たち 4 人は、拷問され尋問を受けた 4 人の男たちについての話を記録し、ジェニン侵攻の際に「人間の楯」に使われた例を
2 件知った。いわゆる「ジェニンの虐殺」では、1,000 人以上の人命が失われたのではないかと、多くの人が考えている。
合衆国がアフガニスタンで目指している「テロ一掃」を思い出す。イスラエルはそれとよく似たことをしているように思える。コーリン・パウエルが、ここにやってくるというが、9.11
の直後に彼が言ったことが思い起こされる。「この野蛮な行為を行った人々は、人間を殺し、建物を破壊することによって、政治的目標を達成できると思っている。彼らはつねに誤っている」
パウエル氏は、この見解にいまこそ固執すべきである。
★
|