★過活動膀胱治療薬開発ものがたり
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 尿意が急にやってきて、慌ててトイレに駆け込む。ときに、我慢できずにお洩らしをしてしまうことも。この症状は、頻尿、尿失禁などと呼ばれていたが、四年前から、過活動膀胱(OAB)という概念が定着した。膀胱が過敏に反応し、尿があまり貯まっていない状態なのに切迫感を生む。

 今年6月、この疾患の医療用薬品がふたつ、日本で同時発売された。ひとつは世界トップクラスの巨大製薬企業が満を持して投入する製品、もうひとつが、日本のアステラス製薬のベシケアである。前者は、欧米では90年代から発売され、世界市場を席捲するマーケット・リーダーである。ベシケアは、このジャイアントに戦いを挑む。

 メーカーとしてのアステラスが背負う課題は、まだある。昨年4月、山之内製薬と藤沢薬品工業が合体しアステラスになった。攻勢を強める外資に対して、武田、第一三共とともに「内資三強」の一角を占める。ベシケアは、合併後初の新薬である。そこで、この薬の成功失敗で、合併がうまくいったかどうかを判断されるであろう。

 内外の企業競争で優位に立つための試金石、それが、この過活動膀胱治療薬である。この薬の発売を前に、アステラスでは、部門を横断して協力体制を組んだ社員たちがいる。

 薬の特性を動物レベルで明らかにする「育薬」にあたる、薬理研究所の大竹昭良(主任研究員)、新薬承認に向けて最短時間で臨床実験を遂行した、開発本部の池田靖(課長)、そして、この薬を世界的に普及させるためのマーケティング活動をする、経営戦略本部の内田武(次長)らである。

 合併直後にベシケアのマーケティング担当になった鈴木幸也(44歳。営業本部プロダクトマネージャー)が、チームの中心にいる。情報を整理し、マーケティング戦略に落とし込んでいくのが、鈴木氏の仕事である。

 ベシケアは、ヨーロッパでは2004年、アメリカで05年、それぞれ先行発売された。各種の実験や試験が、日本に先だって実施され、そのデータがあがってくる。内田氏、これらを鈴木氏にインプットする。

 なお、日本の市場にかぎっては、同じ機序(メカニズム)の、別の薬が70パーセントのシェアを持っている。そこで池田は、ベシケアの有用性を示すために、その薬を対照とした、国内では最大規模の比較臨床試験を実施した。

 また、「育薬」の大竹は、動物実験だけでは、ライバルと戦うのに十分なエビデンスが得られないとした、その製品との比較試験をする必要性を説く。

 ただし、この試験で不利なデータが出ると、せっかくの新製品に傷がつく。会社としてはなかなか踏み切れない。内田は、「ほんとうに勝てるのか」と問いかける幹部を説得する。勝負しなくても年間300億円は売れるが、勝負して勝てば千億円商品になるはずだ、と。試験は成功であった。

 鈴木は言う。「これは、日本で生まれた薬だから日本で勝たなくては、というプレッシャーはつねに感じていました。ガリバーに立ち向かうチャレンジャーとしては、はっきり差別化する必要があります。そのためのデータを、みんなそれぞれにリスクを負いながら、短期間で集め、成果を挙げてきた。ぼくの仕事は、これらに横串を通してまとめ、適切な方法で、最適の相手に伝えること。ここまでをぼくたちは、チームでやってきたわけですよ」

 その結果、ベシケアは、発売直後、同時発売の競合薬の大差をつけて市場に浸透し、発売1ヵ月で売り上げ29億円を達成した。

 「チーム・リーダー」の鈴木は、33歳のときに、Aという製品のプロダクトマネジャーを務め、これを市場に送り出した。3年後、B、C、再度Bと、次々に新薬の発売準備に入るが、いずれも発売に至らないままに終わるという挫折を経験した。その間七年。

 「化合物が新薬となって売り出される確率は1,500分の1と言われるくらい、少ない。それでも、ぼくのように短い間に浮沈を繰り返す経験は珍しい。新薬の発売がなくなると仕事もなくなる。たしかにそのたびに違和感を抱きました。自分自身に足りないものがあるのでは、とも考えました」

 そのひとつの結論として、大学院に通い、MBAを取得した。40歳であった。他の業種の人々と知り合い、視野が広がったという。転びつづけながらも、目はしっかり見開いていた。

 鈴木の強靱な姿勢の根にあるのは、26歳のときに、上司から教えられた営業術である。

 当時、病院に医師を訪ね、自社製品を売込むMR(医薬情報担当者)をしていた。ひたすら医師に会えばいいと思い込んでいた。それはちがうと諭された。いかに親密になっても限度があるのだから、限界に来たら訪ねる回数を減らし、エネルギーを他に向ける、大局的な判断をしなさいと。会社で仕事をするには、もっとも必要とされる場を見つけ、力を傾注することである。

 鈴木にとって、若かった頃に与えられた教訓が、企業人として生きる原点になっている。

 「一年あまりで、ベシケアに関わる作業を全部やりあげる必要があった。全体を見渡し、予算のかけ方の是非を考え、再配分する。こうして目配りをしながら、みんながもたらしてくれるデータをどう活用するかを考える。昔の上司の教えが、いまいちばん生きていると思います」

 会社の命運を決めかねない新商品のマーケティングを任されて、それまで貯めたすべてが爆発したのである。
[2006.12.18.]


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