★「荒野の声」のジェニン報告

 4 月 20 日現在、「荒野の声」Voices in the Wilderness のキャシー・ケリーとジェフ・ガンツェルは、東エルサレムにいる。ふたりは、イスラエル軍の攻撃を受けたジェニンの難民キャンプで 4 日間を過ごした。イスラエル側の同意を得ることなく、同キャンプに入れた外国人は、ごく少ない。
 以下の現地レポートは、キャシー・ケリーの手になるものである。

                      

 4 月 17 日、私たちは、ソーラに伴われて、ジェニンのキャンプに三度目の訪問をした。

 私たちがソーラに会ったのは、最初にジェニン入りした晩であった。そのときの彼女は、パレスチナ医療救援委員会がつくった、急造の診療所の雑踏のなかへやってきたのである。腕には、ジェニンがはじめて攻撃された夜に生まれた、生後 18 日の赤ん坊を抱えていた。若いパレスチナ人のボランティアたちのほとんどがそうであるように、彼女も、アヒジャブにブルー・ジーンというファッションであった。彼女は、キャンプの難民たちに手を貸して働きつづけ、それまでの 10 日間はあまり眠っていなかった。フィアンセのムスタファは行方不明になっていた。彼はキャンプのなかで殺されたにちがいないと、私たちにそっと言う人々が多かったが、ソーラは彼が生きているとなお考えていた。

 その日、ソーラは自分の家がどんなことになっているかをはじめて知った。彼女の家族は、3 階建ての建物の一階に住み、ムスタファは 3 階にいた。

 キャンプに入った私たちは、前夜にイスラエルの兵士たちが描いたと思われるスプレーペイントの落書きをいくつも見つけた。ある建物の入口の門には、青いペイントで、棒線で描いた少女がイスラエル国旗を持っている絵があった。隣には、ダビデの星のなかに感嘆符。

 私たちは、イスラエルの兵士たちが、占領した家から出ていく準備をしているのに遭遇した。5 人の兵士と装甲車が、ゴミを持ってその家から出てくる兵士を守るための配備に就いている。「これだけのために、兵士 5 人と装甲車。なにかひどくまずいことになっているんだな」とジェフが言った。

 キャンプの端にある家のほとんどは、崩れてはいないが、ドアや窓や壁が、戦車の砲撃とヘリからの銃撃でひどく損傷されている。入ってみた家はどれも、荒らされていた。抽出しも机も、クローゼットも空っぽであった。冷蔵庫はひっくりかえされ、照明のコードは抜かれ、衣服は破り散らされていた。

 その朝早く、女性たちから耳にした話を私は思い出していた。爆発、狙撃手、火事、悪夢のようなブルドーザーの追跡、それらから近隣の人々が逃げまどっているなか、イスラエルの兵士たちが家のなかに入ってきて、大きな犬に子どもたちを嗅ぎまわらせたというのである。

 復旧には時間がかかる

 坂を上って、破壊されたキャンプの中心部に入っていくと、100 近くの住居がイスラエル軍の手で押しつぶされている。瓦礫から死体を回収するためにやってきた数人の男たちに向かって、狙撃手たちが銃撃を加えているのが聞こえる。埃と汗にまみれ、銃声など耳に入っていないかのように、全員がキャンプの住民である男たちは、つらい仕事を遂行している。ツルハシとシャベルで、集団墓地を掘る。瓦礫から引き出した四つの死体には、小さな子どものそれがひとつ含まれている。子どもたちが押し黙って立ち、じっとこれを眺めている。数日前、私たちがジェニンの町に入るときに制止しようとした兵士たちのひとりは、攻撃している間、キャンプには子どもはひとりもいなかったと語ったものである。それは嘘であった。しかし、いまになって、彼らは奇妙な真実を語っていたのかもしれないと、私は思う。小さな男の子たちの顔に浮かぶ、しかめた不安の表情は、固い大人の男のそれだからである。

 少し年かさの、10 歳か 11 歳の男の子とが、父親の死体を集団墓地に運ぶのを手伝っている。

 ジェフは石に座って、しきりに頭を振っている。9.11 の直後、私はニューヨークへ向かうクルマの運転席にいた。通りのどこでもここでも、ボランティアの消防士たちを満載したクルマが、私の傍らを通り過ぎていった。アメリカ中から、グラウンド・ゼロの応援に駆けつけていたのである。ここパレスチナでは、死者たちを埋葬しようとしているだけの人々に向けて、アメリカの納税者たちが買い与えた銃弾が発射されている。

 家族が一列になって、押し黙り、持ち物を頭に載せて、残骸のなかをのろのろと上っていく。表情は深い悲しみのために崩れている。女性がひとり赤ん坊を腕に抱えていく。人々は丘の頂上にたどりつくが、だれからも声は出ない。丘の上の、まだなんとか原型を保っている家の前に、大家族がひとつ、荒涼に囲まれながら、まるで家族写真のポーズをとるみたいに座っていた。

 ソーラに導かれて、私たちは、彼女の家だったところへ行った。その家はまだ残ってはいるが、一帯の他の家はすべて打ち壊された。彼女は、すばやく衣料を拾い集め、3階に上がっていったが、ムスタファのジーンズを手に戻ってきた。目に涙をためている。ムスタファを発見できる希望の全てを彼女が失ったのではないかと、私たちは考えはじめていた。

 彼女の家の外で、8 歳のアーマドに会った。彼は、ピカピカの小さな弾丸を 6 個見つけ、隣人のモハメド・アブドゥル・カリルに見せている。モハメドは、42 歳になる石工で、会計士の教育も受けている。ブラジルとヨルダンで仕事をし、4 か国語が話せる。スペイン語で、このあたりで台所をたくさんつくった話をした。モハメドは、アーマドに優しくうなづいた。

 少し離れたところで、20 歳のヒタンと、16 歳のヌーアが、素手でがらくたの山をかきわけ、自分たちの私物を探している。ヒタンはお気に入りのジャケットを見つけたけれど、破れてほこりまみれになっている。指をポケットに入れて探ってから、脇にそれを置いた。ヌーアは、両方揃った靴を掘り出して、声を上げて笑っている。するとヒタンが、教科書の端っこが見えているのに気づき、ふたりの姉妹は、一生懸命掘り出しにかかって、ボロボロになって使いものにならない本を 5 冊引っ張り出した。ヒタンが、『イスラム文明の歴史』をつかむ。

 この女の子たちが、笑いあっているのを見れば、ふざけているように思えるけれど、ある種の「対処メカニズム」の働きなのだ、これは、とモハメドはもう一度スペイン語で言った。「彼女たちが、自分の感情を表現するのに他にどんな方法がありますか」 ヒタンは立ち上がって、ヌーアと一緒に掘った小さな穴を、力をこめて指差した。大きな声で言う。「この下にテレビが 4 台、コンピュータ 2 台! みんななくなった。以上終わり」

 ソーラは悲しそうに見つめ、もう一度、ムスタファについて知っている人はいないかと尋ねはじめる。

 私たちの立っているとなりで、瓦礫の大きな山をほじくり返している男がいる。だれか知っているかと、私はモハメドに尋ねた。「私の従兄弟です。あそこが私たちの家でした。彼は自分のパスポートか子どもたちの書類を探しているのです」 モハメドの従兄弟は、かつては自分の家だったがらくたの山に腰を下ろし、両手を頭に載せていた。

 軍の偵察機が上空を飛んでいった。

 「私たちにはなんのやましいところもない」とモハメドは言った。「私たちは動物ではありません。あなた方と同じ心臓と血液とをもった人間です。私は息子を愛している。家族のための生活がほしい。私たちにどんな力があるというのですか。これが力ですか」 モハメドは、私たちを囲んでいる残骸を指差した。「私たちは原爆を持っていますか。私たちに炭疸菌がありますか」

 そこを立ち去りかけながら、ジェフが、瓦礫の山から突き出ている別の骨を指差した。私たちはそのまわりを用心しながら歩いた。ソーラが跪いて、地面に落ちているヴェールを拾い上げ、一瞬躊躇したが、それを骨の上にかけた。


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