★〈日の丸・君が代〉の最前線から=15 根津公子

7月4日(金)

 今週1週間をまとめての記録となってしまった。

 30日(月)は鶴川二中に2時まで。Nさんが今週もご自身で作られた『社会科の授業』を持参され、生徒に手渡された。先週立川で配られた「一人の女性の《不起立》がアメリカの歴史をかえた」ともう1枚が「『内村鑑三と教育勅語』を知っていますか?」というタイトルの、歴史の事実を綴ったもの。Nさんが差し出すのに対し、瞬時に判断を迫られるのだろう。受け取る生徒もいれば、受け取らない生徒もいる。それも社会勉強としてよかろうに、Nさんが配り始めて間なしに副校長がやってきて、私たちの隣で生徒に挨拶をかけ始めた。Nさんは副校長にプリントを差し出した。「歴史の事実が書いてあるだけ、心配など無用でしょ? お忙しいでしょうに」と話したけれど、彼にとってはこれが職務になってしまうのだろう。私とおしゃべりしつつ、始業時刻のチャイムがなるまで、「監視」業務にあたっていた。

 登校時間帯が過ぎてしばらくすると、イギリス在住で、一時帰国をされているOさんが訪ねてくださった。短い滞在期間にもかかわらず、訪ねてくださったことに感激しながら、イギリスの反戦運動について話を聞かせていただいた。

 帰り道で、Naさんに出くわした。台東区から私を訪ねてくださったわけで、恐縮だったが、時間が取れなかった。

 今日も通りかかった70歳位の女性2人がプラカードを見ていらっしゃるので、話しかけた。「私たちには難しいことはわからないけれど、がんばってくださいね」と言われた。

 7月1日(火)は、あきる野学園に。私が着くと間なしに、Mさんたちカサナグの会のメンバー3人がやってきて、私と一緒に登校・出勤の人たちを迎えた。しばらくして、嘱託不採用裁判原告の福嶋さん、またしばらくして嘱託解雇裁判原告の前川さんがいらした。同僚となる一人が、「応援の方が多くて、心強いですね」と声をかけてくださった。

 午後はカルフォルニアへの留学が2日後に迫っているNちゃんと会うために、「退勤」した。

 2日(水)は、南大沢学園特別支援学校に朝だけ「出勤」した。いつもの3人がいらしていた。越前谷さんの今日のことばは、「世界に誇れる 憲法9条/日本の恥 10・23通達」。生徒たちの登校が終わったところで、A大学に向かった。

 3日(木)は、都庁前でのチラシまき。18人の参加。チラシは片面が、先週行われた河原井さん06年処分の証人尋問で証言台に立った当時の調布養護学校校長の証言を、もう片面は今春の不起立教員(私と河原井さんを除く。私たちは停職が明けてから)に対して7月22日に予定されている「服務事故再発防止研修」への抗議を書いた。

 いま国は、サミット開催に向け「テロ特別警戒」だと称して警察官を大量に動員し、人々の危機意識を煽っているが、都庁にも各県のナンバープレートをつけたワゴン車が駐車し、警察官が何十人といた。「テロ」ということばで危機感を煽り、「警備」という名でデモや集会に不当介入し弾圧する権力の暴力の正当化こそが異常事態。

 チラシまきが終わってから教育情報課に「再発防止研修の中止を求める要請と質問書」をみんなで持っていった。K課長に朝、アポを取ったのに、それが警備担当者に連絡がいっていなかったらしく、私たちが教育情報課の部屋に入ろうとしたら、例のごとく、部屋の前に何人かが立ち塞がり、私たちを入れようとしない。「アポがとってある」という私たちの話を一切信用しないのだ。係長を呼んで説明がされて警備は解かれたが、謝罪はなかった。

 回答を待って、きっちり詰めたいと思う。

7月7日(月)

 午前中だけ立川二中へ。明け方まで激しく降っていた雨だが、校門前に立つころには小降りになっていた。それでも濡れたり冷えたりしないよう、ゴアテックスの上下を着て、万全の用意で臨んだ。私が挨拶の声をかける前に、元気に挨拶をしてくれる生徒には、とりわけ元気を与えられる。出勤途上のFさんが立ち寄ってくれた。高校に登校する二中卒業生と会うのは、ここでの大きな楽しみの一つ。今朝も、「雨がひどくなったら、無理をしないでくださいね。からだが大事ですから」とAさんは気遣いをしてくれた。

 4月に知り合ったSさんが今朝も「先生がんばってくださいね」と大きな声をかけながら、自転車を走らせて行かれた。市議のHさんはやさしくクラクションを鳴らし、笑顔いっぱいに大きく手を振って通られた。

 「1日中雨」の天気予報は外れ、11時前には雨が上がった。今年は雨の降る日が金曜から日曜にかけてとか、夜の時間帯であるとか、「出勤」に影響のない時ばかり。ありがたい。

 そろそろ帰り支度をしようかと思いながら、区切りのいいところまで読んでしまおうとしているところに、70代後半と思われる女性が通りかかり、プラカードを読み始められた。

 「これは私のことです」と名乗ると、女性はびっくりされた様子。やや間を置いて、

 「私は君が代は好きな方です。起立してもいいと思うけれど、それは自分で決めること。停職はひどい。絶対いけない! こんなことで停職とは一体どういうことですか! 停職にするんだったら、教育委員会とか、上にいる人が悪いことたーくさんやっているんだから、そういう人たちを停職にすればいい。間違っても君が代で停職や免職にしちゃいけない!」「教員の方たちは、なぜ、黙っているんですか?(あなたを)見捨てるんですか?」「がんばってください」。戦争を体験したこの年代の人たちは、「君が代」に対する愛着度とは関係なく、強制や処分はすべきでないと誰もがおっしゃる。

7月8日(火)

 あきる野学園に。明け方まで熟睡ができないほど降っていた雨が、今朝も「出勤」時には小降りになり、授業が始まる頃には上がった。カレンダーより一回り大きい廃棄ポスターをいただいたので、今日はそのポスターの裏をプラカードに使い、大きな字でゆったりと書いて立て掛けた。「みんな自分の心を持っている。わたしの心はわたしのもの。誰にも侵(おか)されてはならない。……「君が代」で起立しないで停職(ていしょく)6ヶ月は不当です。 ねづきみこ」

 今日は近藤さんがお休み、登校・出勤する人たちに一人で挨拶を交わしていると、Hさんがこちらに向かって歩いて来られる。彼も一緒に生徒の登校を迎えてくれた。

 校外学習で出入りする子どもたちはすっかり私の存在を覚えてくれたようで、気持ちいっぱいに元気に挨拶に応えてくれる。あったかい気持ちをもらいながら、誰の命もが等価であることを保障しない、悪くなる一方の日本社会にあって、この子たちの卒業後に思いを馳せる。笑顔で暮らせる社会を作らねば、と思う。「私の『君が代』不起立は、誰の人権・誰の命も奪われてはいけない、そんな社会にしてはいけない、そういう叫びの一つなの」と伝えたいと思う。

 Uさん、Sさん、Mさんが昼食の差し入れを持って来てくれた。2時、「退勤」。

7月9日(水)

 大学で「希望は生徒」を課題図書にした授業に参加。

7月10日(木)

 11時半から増田さんの不当免職取り消し裁判を傍聴し、午後は増田さんの意見書を書かれた森正孝さんの講演、4時からは05年「君が代」処分の裁判。

 大分県教委の教員採用での不正問題が発覚した。県教委の一人は「上司の指示で行った」と言った。不正を十分知りながら、「上司の職務上の指示」は絶対だったのだろう。足立区の学力テストでの不正も、不正と誰もが知りながら、「校長の指示」がまかり通ってしまったし、中から声をあげる者はいなかった。これが事実だ。どちらも、例外的なことではない。「上からの指示」にもの申すことができなくなったとき、不正は常態化する。

 「君が代」裁判で、「上司の職務上の命令は正当である」と、命令の中身を吟味することなく頑なに主張する都教委は、発覚した上記2つのことを考察した上で新たに主張してほしいものだ。そうそう、新銀行東京の経営破綻も、異論を排除した経営の中で起こったこと。都の弁護人(代理人)には、このことにも言及してもらわないと。
08.8.4.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=14


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