★〈日の丸・君が代〉の最前線から=14 根津公子

5月26日(月)

 鶴川二中へ。

 片側通行の道が渋滞し、学校前到着は8時を過ぎてしまった。もうかなりの生徒が登校していた。元気な一団もすでに登校した後のよう。今朝も初めて声に出して「がんばってください」と言ってくれた生徒や、やはり初めて「おはようございます」と言ってくれた生徒がいた。子どもの頭は柔らかいなあと思う。

 訪ねてくれた虹のたねのMさん、Nちゃんと遊び、その後訪ねてくれたMiさんとおしゃべりをしていたら、午前中はすぐに過ぎてしまった。午後は、別件で立川へ。

5月27日(火)

 あきる野学園に。

 今日も昨日に続き、晴天。近藤さんももちろん「出勤」。

 出勤する同僚たちが「暑いですから気をつけてくださいね」「暑くて、大丈夫ですか」「お疲れ様です」など、気遣ってくれる。昼下がりには、「冷たいお茶はどうか」と言ってくれる人もいた。皆さん、とっても温かい。

 今日も保護者の多くが車の窓越しに挨拶をしてくださった。

 校外での授業で次々に、子どもたちと教員が行き交う。挨拶を交わし、子どもたちと教員との触れ合いを眺めさせてもらう。とってもいい感じで、私まで幸せな気分になる。

 そんなことをしているところに、Iさんという10年前教員をされていたこの地元の方が訪ねてくださった。沖電気不解雇者の田中さんがギターを抱えて、またしばらくしてMさんが昼食を持って訪ねてくれた。

 バスの仕事をされている方と今日も話をした。年配の彼は、「私だって、政治はおかしいといつも思っている。許せないことばかりだ。でも、先生のように行動できない。みんな、長いものに巻かれちゃうけど、先生は違う。なかなかできることじゃない。偉いよ」と、しきりに感心してくださる。

5月30日(金)から5日間、大分県に。

6月5日(木)

 都庁チラシまき。今日の参加は16人。元職員の会も宣伝カーを出しチラシを撒くと言うので、私たちは場所を移して、第一庁舎に行った。いろんなところに、石原都政・石原都教委に怒りを持った人がいる。都教委に対するそれぞれの怒りを大きな力に転化させたいものだ。つくづく思う。

 片面は「君が代」不起立で内定していた担任を外されたという高校教員の記事を紹介し、「君が代」起立にしか頭が行かない校長たちについて書いた。その中で、私の昨年度の業績評価「D」と、中でも「学習指導」を「D」とした3つの理由の中に、生徒とのかかわりが一言も出て来ない異常さについても触れた。それが、「学習指導」なのかと。もう片面は、15日の集いへのお誘い。

 何人かの都職員の方が、ご自分から近寄ってきて声をかけてくださった。

6月10日(火)

 あきる野学園に。

 朝から近藤さんのほかにSさんがいらした。私は先週都庁で撒いたチラシを、近藤さんは今春の不起立処分に対し人事委員会に審査請求したとの報告のチラシを手渡しながら、出勤する人や登校する生徒たちを迎えた。バスで登校する子どもたちに手を振ると、何人もがにっこり笑顔で手を振り返してくれた。

 登校が終わったころ、ご近所にお住まいのTさん、葛飾からYさんが訪ねてくれた。

 今日は校外学習で校門前を子どもたちが出入りすることがなく、門前は訪問者たちとの語らいの場になった。所用で午前中のみ。

6月11日(水)

 南大沢学園特別支援学校に。

 越前谷さんが掲げたプラカードの今日のことばは、「服従を強いる石原都教委/不服従を貫く正義の先生」。彼はもう1枚のことばを用意していたのだが、使えず仕舞いだった。「都教委の学校支配に抵抗してこそ/信の校長と副校長」と書いてあった。校長に読ませようと7時15分から待っていたのだという。ご近所の杉本さんも私よりも早くにいらしていた。

 2週間ぶりの「出勤」に同僚だった人たちが「先週はどうしたの?」と聞いてくれた。

 今朝も「歩行」に学校から出てきた昨年度担当した生徒たちが、「根津先生!」と歓声を上げ「一緒に行こうよ」と誘ってくれたり、いろいろに気持ちを表現し、伝えてくれた。校長は4月、「生徒にかかわらないでください」と私に告げに来たけれど、さすがに生徒たちにはそれを告げてはいないのだろう。でも、元同僚たちに火の粉が飛んではいけないので、今日も手を引っ張られるままに数メートル先まで一緒に行き、「ここで待っているよ。行ってらっしゃい」と生徒たちを見送った。

 10時過ぎ、Sさんが見えたので、どんぐり喫茶に行き、皆で長い時間お茶を楽しんだ。

 下校時間、バスの中からAさんは私に何かを訴えた。Bちゃんのことかな? と思いながら、私は大きく○を描いて応えた。Cさんも気づいて、背伸びして手を振ってくれた。

 高等部の生徒たちに「さよなら」の挨拶をかけながら、読書を始めたところにSaさんがやってきた。すぐに「退勤」時刻だというのに。

6月15日(日)

 「6.15の集い 解雇は止めた みんなで語ろうこれからを」を新宿農業会館で開催した。120名の参加。紙上参加あり。来春に向け、また、10・23通達撤回に向けて出された参加者からの提案をもとに動きをつくっていきたい。

6月16日(月)

 久しぶりの鶴川二中。校門前に着くや、私を見つけて、Aさん(生徒)が挨拶をしに来てくれた。私にメールをくれたので、「私はあなたがわからないので、今度声をかけてくださいね」と返信で頼んでいたのだった。

 町田教組委員長のKさんが、朝から同行「出勤」してくださった。登校する生徒たちを二人で迎えた。土曜日の道徳公開授業の代休を、これに充ててくれたのだった。昨日は、解雇をさせない会の集いに参加された。「君が代」解雇阻止のために組合として何をするかを追求するKさんの存在は大きく、心強い。

 学校前の道は、いつも人通りが少ないが、今日は特に少なかった。いつものご近所の方々とそれぞれに挨拶。散歩途中の年配のご夫婦は、「ご苦労様です」といつものように挨拶をしてくださった。今年知り合った方である。この人たちのほかには、今日初めて出会ったのは年配の女性。「がんばってください。私も高校の先生たちにささやかですが、カンパしています」とおっしゃって行かれた。

 ゆっくりと時間が流れるような空間で、Kさんとおしゃべりをして過ごした。やや遅いお昼ご飯を済ませ、一人座ったところに、Mさん母子が、しばらくしてTさん母子が訪ねてくれて、校門前は5人の幼児で楽しい空間に変化した。

 ちっちゃなお友だちと遊んでいるうちに下校の時間。その「お友だち」と戯れながら、生徒たちに「さようなら」の声をかけた。朝はせわしく校舎に向かうが、下校時はプラカードの文字をじっくり読んでいく生徒あり、話をしていく生徒あり。ちっちゃなお友だちを「先生の孫かと思った」と言う生徒も。私に初めて声をかけてきた生徒が今日もいた。

6月17日(火)

 あきる野学園に、午前中だけ。

 同僚となる人たちの出勤や生徒たちの登校を近藤さんと一緒に迎え終わったところに、嘱託不採用を闘っていらっしゃるFさん、「君が代不起立」の上映会がきっかけとなってこの件に関心を持たれたと言う、お若いNさんが見えた。Nさんは今日が3回目の訪問。

 校外での学習に出入りする子どもたちに声をかけ、握手を求める子どもに応じるひとときは、うれしい時間。みんなもそれぞれに子どもたちに声をかけていた。

6月18日(水)

 南大沢学園特別支援学校に。常連となった越前谷さん、永井さん、杉本さんと出勤、登校する人たちを迎えた。

 どんぐり喫茶で実習する生徒の一人は、毎週、「どんぐり喫茶に来てください」と誘ってくれる。今朝も誘ってくれた。「今日は残念だけど、行けないの。用事があって、早くに帰らなければならないので。来週また行かせてね」と告げた。高等部のBさんは、私たち一人ひとりの名前を言って挨拶をしてくれた。スクールバス登校のCさんは、私の姿を見つけ、今朝も大きな身振りで何かを告げてくれた。

 大学での受講のため、9時半で「出勤」は終えた。

6月19日(木)

 都庁第二庁舎前でチラシ配り。15人で配った。チラシの内容は、職員会議での挙手・採決禁止の通知撤回を求めた三鷹高校校長の行動についての、同校職員の声(投書)や都教委の対応について。1000枚のチラシを都庁で働く人たちが確実に読んでいることになる。

 チラシ配りを終えて私は上柚木陸上競技場に急いだ。南大沢学園の中学部の陸上記録会を見学するために。会場に着き生徒たちの近くに向かって歩いていると、「あっつ、根津先生だ」「根津先生」と何人かが叫び、手を振って歓迎してくれた。なんとも目ざとい。

 生徒たちの走りやボール投げを、どきどきしながら、そして「やった!!」とうれしさいっぱいに見せてもらい、応援した。あったかい気持ちをたっぷりもらったひととき。時間は瞬く間に過ぎてしまった。

 数日前の天気予報が外れ、雨が降らずにほんとうによかった。

6月23日(月)

 4週間ぶりに立川二中へ。「水曜日に都合がつかないから」と永井さんが、登校中の時間帯に立川二中にいらした。生徒に手渡そうと、ご自分でつくられた「社会科の授業(1)」のプリントを持って。プリントは、「一人の女性の《不起立》がアメリカの歴史をかえた」と題し、バスの白人席に座って動かなかった一人の黒人女性の行動について書かれている(※)。勇気を与えられる実話だ。私は数枚もらって、ここを通る二中の卒業生に渡した。

 永井さんが帰られ一人座っていると、自転車の女性に声をかけられた。お孫さんが二中に通う、4月にことばを交わした方だった。「いつも月曜日は、今日はいるかな、と思いながら通るんですよ」「がんばってくださいね」とおっしゃってくださった。

 用事があって数時間「席」を外し、戻ってきたら、ちょうど下校の時間だった。いつも元気な声で「がんばってくださーい」と言ってくれる女の子たちに今朝は会えなかったと思っていたら、帰りに会えて、元気な声をもらった。

(※)社会科の授業(1)  2008.6.23

 一人の女性の《不起立》がアメリカの歴史をかえた。

 アメリカでは1863年にリンカン大統領が奴隷解放宣言をしたあとも、長い間、黒人は、特に南部の諸州で、ひどい差別を受けていました。ホテル、レストラン、教会などの施設だけでなく学校もそして公園のベンチや水のみ場さえ「白人専用」と「黒人専用」にわかれていました。バスも前の方が白人専用座席で黒人は後ろの方の黒人専用座席にすわらなければいけません。こうした差別に少しでも抵抗すると容赦ない暴力を受け殺されることも珍しくありませんでした。多くの黒人は差別のために満足な教育を受けられず、貧しい生活を強いられていました。

 1955年12月1日のことです。南部アラバマ州の州都モントゴメリーで42才の黒人で裁縫工のローザ・パークスさんが、1日の仕事を終えて帰りのバスに乗っていました。彼女は黒人が座席まで差別されていることに前からどうしても納得できないものを感じていたので、空いていた前の方の白人専用座席にすわりました。そのうちに白人の乗客が乗り込んできました。白人の乗客は空いている座席が無かったので立っていました。すると、それを見た白人のバスの運転手が彼女に立つようにいいました。彼女は立ち上がりませんでした。運転手は警官を呼び、彼女は白人の乗客に席を譲らなかったということで逮捕され投獄されました。

 このことをきいた黒人教会の27歳のマーチン・ルーサー・キング牧師が黒人にバス乗車ボイコット運動を呼びかけ、やがてそれは、白人からの暴行を受けながらも白人専用の食堂での座り込み、白人高校への入学などの行動につながっていき、黒人に対する人種差別撤廃を求める「公民権運動」となってアメリカ全土に広がってゆきました。

 奴隷解放から100年目の1963年の8月キング牧師たちに率いられた人種差別撤廃を求める人々が首都ワシントンへ向かって行進しはじめ、28日には25万人がワシントンを埋めつくす大行進となりました。そして、ついに翌年1964年7月人種差別撤廃を定めた「公民権法」が成立しました。キング牧師がワシントンで大群衆に向かっておこなった演説“I have a Dream“というすばら しい演説は有名です。

 おかしいことには従えないという、一人の黒人女性の《不起立》がアメリカの歴史をかえた。

おわり

6月24日(火)

 あきる野学園に。近藤さんが今朝は、今春の「君が代」不起立者に対して都教委が7月22日に強行する、再発防止研修に抗議したご自身作成のチラシ(※)をあきる野学園の職員たちに手渡した。そこに嘱託不採用裁判原告の福島さんが先週に続きいらした。私を録画するためにDさんKさんも見えた。校門前は広い歩道ではあるけれど、5人が佇むと気を引くようで車の中からプラカードを読んでいるのがわかる。

 Dさんたちと公園でお弁当を食べていると、Sさんがやってきた。みんなで下校を見送って、少し早くに「退勤」した。

 昨日も今日も、雨が降りそうで降らなかった。梅雨だというのに、今年は停職「出勤」の日を避けて雨が降ってくれている。

(※)これはひどい、思想・良心放棄の強要

八王子市立第五中学校夜間学級

被処分者 近藤順一

「日の丸・君が代」被処分者に対する服務事故再発防止研修」に抗議する

所属校研修の強制

 都教委は、卒業式、入学式での不起立・不斉唱による被処分者に対して、強制「研修」を実施します。今年は7/22,場所は東京都教職員研修センターです。

 「6/23〜7/13」には各所属校で以下の3点について「所属校研修」せよと言う。しかも校長の署名・捺印付の報告書を出させるのです。

  (1)受講前報告書作成 (2)データ問題 (3)法令問題

 つまり、センター研修の事前に「反省」「思想改造」して来なさいと言うこと。その核心は「服務事故を認めさせること」です。次のような指示があります。

*「今回のあなたの服務事故と関連させて所感をそれぞれ書きなさい。」(法令問題)

*「服務事故を起こしたときの気持ちはどのようであったか、その時の気持ちを記述する。」(受講前報告書)

*「起こした服務事故に対して、現在の気持ちや考えを記述する。」(同上)

 また、「体罰」「交通事故」「わいせつ」などと同列にした「件数」を示し

* 「自己の服務態度を見直し、教育公務員としての役割と責任について、あなたの所感を書きなさい。」(データ問題)

このように内心をチェックし、しかもそれを書かせるのです。

審理中、裁判中を無視

 私は、この件について東京都人事委員会に不服審査請求を行い審理中です。自分の不起立・不斉唱を「服務事故」とは考えていません。都教委は不当処分を執行した上に思想改造、屈服強要に乗り出しています。卒業式や入学式での不起立・不斉唱・不伴奏は、教育の自由を保持し“多様な見方、行動が認められるべき”という学習権の基本を生徒に示す校務遂行です。都教委は、不起立・不斉唱を一掃しようとするばかりか、「研修」の名の下に「踏絵」を踏ませ、教育の自由、学習権の保障を追求する者を教育現場から排除しようとしています。

「2.7嘱託不採用裁判地裁中西判決」を踏襲

上記判決は、都教委が「裁量を逸脱、濫用した」として原告(被処分者)に対し「賠償」を認めたものです。しかしその判決には次のくだりがあります。

 「職務命令違反は、原告──を除けば、いずれも1回だけである。原告──についても、再雇用不合格時において、2回にとどまる。原告らが指導や処分を繰り返し受けたにもかかわらず、同種行為を何度も繰り返したという事実はないし、弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件職務命令違反に関して都教委が再発防止のために必要として設けた研修を済ませていることも認められる。」(判決文)

 「1回だけの違反」「再発防止研修済み」は、「考慮」の余地があるというわけです。都教委はこれに基づいて、不起立2回以上の減給・停職被処分者に圧力をかけています。

 今回の「服務事故再発防止研修」なるものは、「戒告」と「減給」という処分においてさえ異なる処置を執っています。一貫して不起立者を敵視し、累積加重処分を課し、被処分者をも分断しようとしています。全ての被処分者が団結し、分断、分裂の攻撃を許してはならないと思います。

 人事委員会審理、裁判への取り組みを強化することはもちろん、広範な教職員、都民の皆さまに事態の重大さを提示し、不当「研修」停止の運動を進めたいと思います。

あきる野学園の教職員の皆さま

 日々、児童・生徒の個性的発達の可能性を追求している姿に感動しています。今回の都教委が進めようとしている「服務事故再発防止研修」は、学校現場への統制と排除を決定的に深化させています。「教員免許更新制」の先行実施や新学習指導要領と共に、教育の自由を封殺するものです。

 多くの皆さまが、抗議の声をあげてくださるよう訴えます。

6月25日(水)

 南大沢学園特別支援学校へ。越前谷さんの今日のプラカードのことばは、「石原都教委の『日の丸・君が代』/強制は世界の嘲笑の的」。

 登校、出勤の波が過ぎた頃、いつものようにAさんの登校してくる姿が見えたので、私の方から駆け寄って迎えに出た。彼はとっても喜んでくれ、喜びをいっぱいに表現してくれる。私は幸せに包まれる。

 今日中学部は鑓水中との交流会で朝から忙しいようで、歩行はないところが多く、したがって、校門前を行き交う生徒たちは少なかった。鑓水中の2年生が元気な声で『こんにちは』と挨拶し、校舎に入っていった。その後にニコニコ顔の人がやってきた。何と、多摩中時代の同僚だった。石原都教委でなければ、私もこうして交流会を引率する八王子の教員だったかもしれない。ふっと、思った。

 午後は、06年「不起立」裁判で、今回は証人尋問の1回目。河原井さんの調布養護学校校長と半澤都教委指導部主任指導主事(ともに当時)。

 校長は、10・23通達後「日の丸」を正面に、「君が代」をCDからピアノ伴奏にした、職務命令も明確にしようと思ったと言い、通達以外のやり方はできるとは「思わなかった」と言った。都教委の指導部長を「上司」だとも言った。命令でやらされたことを言外に認めるとも取れる証言のように私には聞こえた。

 また、1996年まで校長が勤務した七生養護学校での「君が代」を聞かれて彼は、「ほぼ全員起立していた」と証言したが、その頃は起立どころか、「君が代」それ自体が実施されていなかったのではなかったか?

 半澤氏は、10・23通達以降も各校の独自の工夫も可能だったと言い、その事例を「電動車いすとか、手を引いてとか、校長が下に降りて行ってとか」と挙げた。「工夫」ということばにこのような意味はないはずなのだが。

 傍聴席は満席。みなさん、ありがとうございました。

6月26日(木)

 10時から07年の「不起立」裁判。準備書面(4)を提出した。書面の提出だけなので、裁判は数分で終わり。2日続けての裁判だったので、傍聴にどれだけの人が来てくださるか心配だったけれど、半分くらいの席が埋まった。法廷を出たところに何人もの傍聴者が到着。JRが遅延していたのだそうだ。
08.7.7.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=13


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