★〈日の丸・君が代〉の最前線から=11 根津公子 |
4月21日(月)
立川二中、初回の「出勤」。
もう私の知っている生徒は誰もいないと思いながら、校門前に立った。ところが、かなりの生徒が見覚えのある顔だ、という表情をする。私も「ああ」と自然に口をついてくる。2、3年生は昨年の記憶がよみがえったようだ。
北多摩高校に進んだ、立川二中の卒業生が「がんばってください、先生」と元気な声をかけてくれたり、立ち話をしていってくれた。
登校の波が過ぎたところで、書きものを始めたところに、「奥さんよお、(東京)新聞見たよ」と頭の上で声がした。80歳になられる“おじさん”だった。半年ぶりの対面に、おじさんはお医者さんの予約時刻があるというのに、長時間おしゃべりをされていった。
再び書きものを始めたら「先生!」と、青年の声。二中の卒業生だった。この時刻に? と聞くと、選択教科の関係で登校時刻がずれるのだという。
信号待ちの車の女性がプラカードを読まれ、私ににっこりとおじぎをされた。また、自転車の中年男性は、プラカードを読まれて、「ああ、がんばってくださいね!」と言いながら、走り去って行かれた。
下校時、部活動がない何組もの1年生がプラカードと私をちらちら見ていく。「何してるんですか」と聞く生徒もいる。「君が代、歌わないんですか」と聞いてきた生徒に、「そうよ、私はね」と答えた上で、「あなたはなぜ歌うの?」と聞き返すと、「国歌だから」と、1+1=2であることと同じような答えを返してくる。今度は私が、「国歌だから歌いたいんだ、君は」と返すと、「ううん」との返事。この生徒たちは次回、私に何を聞いてくるだろう。
1年生とおしゃべりをしていてふっと、この生徒見たことある、と思った。
「あなたは、お兄ちゃんが高校○年生でしょ? 高校を卒業したお兄ちゃんもいるでしょ。名前は、……」と私。「Aです」「やっぱり」
別の生徒が、「ぼくは誰だか、わかる?」と聞く。その生徒の兄弟関係も、私は正解。1年生にとっては私は見ず知らずのおばさんなのだけれど、その垣根を急に低くし、しばしおしゃべりをしていった。
都心で会議があるので、早めに帰り仕度をしていると、携帯電話が鳴った。北多摩高校に進んだ卒業生のBさんだった。部活動が始まるまでのわずかな時間をやりくりして、わざわざ私に会ってくれた。心遣いがとってもうれしく、心に沁みる。
卒業生からの応援を立川の初日からたくさんもらって、最高に幸せ!
Sさんが訪ねてくれた。
4月22日(火)
あきる野学園に。
近藤さんは今朝も早くから一緒に校門前「出勤」をされた。近藤さんも南大沢に来られる越前谷さんも、根津支援の範ちゅうを超え、ご自分の問題として「出勤」をされている。私としては、とっても心強い。
職員や生徒たちを挨拶で迎えると、皆さん、気持ちよく挨拶を返してくださる。「ご苦労様です」などと、ねぎらいのことばを返してくださる人もかなりいらっしゃる。
日中は校外学習に出かける子どもたちに声をかけ、一人ひとりの表情を見て、にっこりして過ごした。
夜は、南大沢の学年の歓送迎会。指折り数えて楽しみにしていた。校長・副校長が私に対してすさまじく非人間的な対応をした中で、学年の同僚たちは皆快く、私を受け入れてくれ、気持ちよく仕事をさせていただいたことにお礼を言いたいと思っていた。
楽しい語らいは瞬く間に過ぎた。生徒たちに囲まれた、幸せいっぱいの写真、同僚たちと撮った写真、それらを貼り、生徒や同僚たちのことばを添えたアルバムをつくり、プレゼントしてくださった。生徒たちのことばも同僚たちのことばも、とってもうれしい。
未経験で戸惑うことが多くてごめんね、と思いながら、うれしくいただいた。最高のプレゼント! 最高に幸せ!! 帰りの車中は、ずっと、私の宝物となったアルバムに目をやり、余韻に浸った。
教員生活、最後の何年かを養護学校に回してくれて、都教委よ、ありがとう、です。在職6ヶ月の後半は、そんな気持ちだった。だって、生徒とも同僚ともいい出会いができて、貴重な体験をたくさんさせてもらったから。
4月23日(水)
南大沢学園特別支援学校へ。
越前谷さんは、私より30分も前にいらしていた。ご近所にお住まいのSさんもいらした。4月になっても体調が回復しないのかなと気になっていたところに現れて、再会を喜び合い、ほっとした。
8時20分頃だろうか、校長と副校長が連れ立って出てきた。私の前で目も合わせずに、校長は「迷惑ですので、立たないでください。生徒に関わらないでください」と先週と同じことを言い、すぐさま、180度向きを変えて校舎方向に向かった。
「それはどの法令のどこを根拠におっしゃっていますか」と追いかけ、聞いたが、副校長は私の声を掻き消す大きな声で、「触るな」「出て行きなさい」と怒鳴り、門扉を閉めた。私はその門扉に挟まれた。
質問に答えるくらいの度量は持っていてほしいものだ。私のいることが生徒へのマイナス、と思うならば、私を真面目に説得すればいいのだ。そこからしか、始まらない。しかし、尾崎校長及び鈴木副校長の対応には、威圧しかない。威圧で人の心を変えることなどできはしない。それがわからない人に、教育を語る資格はない。私はそう思う。
高等部のCさんから、「先生、離任式にどうして来なかったんですか?」と聞かれた。「ぼくの周りの人も、『根津先生どうして来ないのかな』って、言ってる人がいたよ」とも。
「参加したかったんだけれど、校長先生が呼んでくれなかったの」と答えると彼は、「校長先生は、『根津公子先生は今日は都合で来られません』って、言ってたよ」と。
「ううん、私は都合悪くなかったよ。すっごく、離任式に出たかったのに、出してもらえなかったんだよ」と私。彼は、「校長先生、いつもは優しいのに、どうしてかな」と首をかしげる。「どうしてなのかな? 校長先生に、聞いてみるといいかもね」と答えた。
生徒たちに、嘘をついたことを謝り、「誰の都合か」をきちんと説明しなさい。そう、尾崎校長に言いたい。
朝の活動で公園に行く生徒たちを見送り、あるいは迎える時間はうれしい時間。自然と笑顔になる。その時、門の中では、副校長が今日も私の見張りをしていた。
SRさんは海老名から、Nさんはバイクで台東区から訪問された。
4月28日(月)
立川二中へ。
登校時、女子のグループが「根津さーん、がんばって下さーい」と飛び切り元気な声をかけてくれた。
「2年生かな?」──「はい、そうです」「去年も私がこうしていたのを、覚えているのね?」──「はい、覚えていまーす」
昨年先輩から説明を受けたのだろうか? 元気に門の中に入っていった。
北多摩高校に進んだ卒業生たちと挨拶を交わす。みんないつも、あったかい気持ちをプレゼントしてくれる。出勤途上の伏見さんが立ち寄ってくれた。
今朝も80歳のOさんが自転車を止めて話して行かれた。そこに、通りかかった60歳代の女性が歩を止められた。二中にお孫さんが通っているとおっしゃる。プラカードを指して説明をすると、「お金もったいないじゃないの」と。でも続けて、「勇気あって偉いね。雨の日もあるから身体壊さないでね」とおっしゃって、仕事に向かわれた。
登校・出勤が済み、座って仕事をしていると、軽くクラクションが鳴った。きっと、と思って音のする方に目をやると、やはりそうだった。市議さんが笑顔で手を振ってくださった。半年振りの出会いだ。
Yさんが訪ねてくださった。今日はこの後裁判の打ち合わせのため、11時半で終了した。
4月30日(水)
南大沢学園へ。
4月の最終日、ということは、あの3月31日から1月が経ったのだ。なんだか、やっぱり感慨深い。あの日は、真冬に逆戻りしたような寒さとおまけに雨だった。1ヵ月後の今日は、日差しが強く、汗ばむほどの陽気。こんな風にひと月を感じることって、滅多にないだろう。
越前谷さんは、今日も私よりも早くにいらしていた。登校する生徒たちを挨拶で迎えているところに、土井さんが学生さん4人といらした。Sさん、Tさんもいらして、総勢9人となった。
登校時や校外学習の行き来に子どもたちとことばや表情で挨拶を交わすのが、私にはとってもうれしい時間だ。
時間になっても今朝は、校長が副校長同伴で「ここに立つのは迷惑です。生徒に関わらないでください」と言いに来なかった。今日は大勢だから来ないのか。それとも、もう言わないことにしたのか? う、うん??
今日特筆すべき、おぞましいこと。
校門前にいた私は、生徒の安全にかかわることで元同僚から伝言を頼まれた。近くに職員がいないのだから、私に頼んだのだ。私はその伝言を引き受け、伝言先の体育館に向かおうと校舎に入った。
しかし、その途中で、職員室から出てきた副校長は、いきなり、「出て行きなさい。出て行きなさい。出て行け!」と怒鳴る。まるで、私を犯罪者扱い。「頼まれたことがあってきました」と言っても、かき消すほどの声で「出て行きなさい」を繰り返す。「生徒のことで伝言を頼まれたんですよ」と言っても、前に立ちはだかる。しかし、やっと理由がわかったよう。相変わらずの命令口調で、「ここで言いなさい」と強要する。何の権限があって私を怒鳴るのだ。この人に告げたら、私に伝言を頼んだ人がいじめられるだろうから、言いたくなかった。けれども副校長は、怒鳴り続ける。生徒に関わることなので、伝言を優先するしかなく、この副校長に伝言内容を告げた。
告げ終わるとまた、「出て行きなさい。出て行きなさい」と連呼した。「ありがとうございます、でしょう。そうは言えないのですか」と言っても、「出て行きなさい」。情けないこと、極まりない。無性に腹は立ったが、怒る気にもならない。
人間性のひとかけらもない、私への対応。この副校長が私に敵意をむき出しにするのは、都教委に報告を求められるからなのか。それとも、都教委にもの申す根津を、徹底して弾圧する対象と思い込んでいるからなのか。
副校長が怒鳴っている時に、1ヶ月前まで私と関わった生徒が通りかかり、私の手を握ってきたのだけれど、それでも副校長は、怒鳴ることをやめなかった。今回に限ったことではないが。
このような管理職の対応を都教委はよしとするのだろうか? 聞かせてほしい。
皆で公園の喫茶室に行き、お茶を楽しみ、交流した。
★08.5.23.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=10
![]()
この記事のURLを友人・知人に知らせる
│HOME│自由意志購読│フレームを外す│BACK│