★〈日の丸・君が代〉の最前線から=10 根津公子

 昨年までもそうでしたが、ここには公開できない素敵なこと、うれしいことがいっぱいあります。

4月14日(月)

 鶴川二中に今年度初めての停職「出勤」。鶴川に予定した日は、一昨年も昨年も雨の日が極端に多かった。台風直撃や雷雨で退散することもあったのだが、何と初日の今日も雨。

 登校してくる生徒一人ひとりに「おはようございます」と声をかけた。授業を担当した生徒は3年生だけになった。「何で来るんですか。来ないで」という生徒もいれば、やっと顔がわかるくらいの距離から歓迎の声をあげてくれる生徒もいる。反応はさまざまだ。2年生と思しき生徒は、昨年のことを思い出し、ああ、といった感じだ。休み時間には、「根津先生がんばってー」と数人の男子生徒が何度も叫び、手を振ってくれた。私も手を振って応えた。また、別の休み時間には、別の場所から「君が代」を歌う声が聞こえてきた。「根津帰れ」とも。

 下校時には、「ユーチューブで動画を見た」「テレビでも見たよ」「根津先生、カッコいい!」「明日は、記者を連れてきて」などと言っていく生徒もいた。

 生徒たちには、私の抵抗する姿を見て大いに揺れ、考えてほしいと願う。

 半年ぶりにお会いするご近所の方々が、「新聞で見ましたよ」「テレビで笑顔を見ましたよ」「クビにならなくて本当によかったですね」と声をかけてくださった。

 プラカードをちらちら見ながら通る人には、「これは、私です」と近寄って行って自己紹介を始めると、多くの方が思い出したように「ああ」と合点をされた。そして、ねぎらいや応援のことばをかけてくださった。昨年に比べ、圧倒的に好意的の感じがする。「君が代を知らない人が多い。教えてくださいよ」と捨て台詞を吐いていったのは、たったの一人。3月31日の、私たちに好意的な報道の効果だろうか。それは世論操作と紙一重であって、怖いことでもあるのだけれど。

 昨年ここで知り合った、我が子ほどの若いお母さんたちが、お子さん連れで訪ねてくださったり、「考え方は私とは違うけど、あんたは筋が通っていて立派だよ」と評価する年配のおじさんが来られたりして、1日の短かったこと!

4月15日(火)

 あきる野学園に初の停職「出勤」。7時半、車で自宅を出て12分後には学校着。車は、学校の斜向かいに1日200円で駐車できる。停職が明けたら、1時間に1本のバスと、1時間に3本の電車で不便になるが、停職中は、らくらく「出勤」だ。

 7日に校長から紹介はしてもらっていたが、なぜ停職? といぶかしく思っている同僚となる人もいらっしゃるだろう。そう思って、自己紹介がてら、私が起立しない気持ちを綴った手紙を出勤する同僚たちに手渡した。それを始めたところに、近藤順一さん(八王子五中夜間部)が現れ、手紙渡しを手伝ってくださった。川崎のご自宅から2時間はかかるであろうに。昨年の停職出勤の時には、南大沢学園養護学校に毎週来てくれて、登校・出勤時の挨拶に加わってくださったのだった。

 同僚となる人たちの対応の多くに、温かさを感じた。一人の生徒が、プラカードを読んで尋ねてくれたので、説明をすると、彼女は「自殺をした校長先生もいますよね」と言った。そして、手を差し出し、「それをください」と言う。「これは、大人向けの手紙なのよ」と答えると、「お母さんに渡しますから」と。彼女は、帰宅してどんな報告をしたのだろう。考えるきっかけになったなら、うれしい。

 あきる野学園はずっと門扉が開け放されている。通りがかりの人も私も中を眺めることができる。中の人が私に声をかけてもくれる。学校に出入りする業者や道行く人何人とも、初日から話をした。やはり、ニュースを見ていられる人が多かった。

 池田小事件をきっかけに学校の門扉が閉められた。その門扉は、学校が人を固く閉ざすような雰囲気を与える。しかし、ここあきる野学園は、終日閉められていない。とっても開放的な、温かい印象を受けた。

 次は、手渡した手紙。

  あきる野学園の教職員の皆さま

  おはようございます。

 私は7日の職員朝会で校長から紹介いただきました根津公子と申します。心が温かくなる始業式に参加させていただき、10月の到来を首を長くして待っています。

 紹介の折に「10月から出勤」と聞かれて、どういうこと? と思われたでしょうし、また、今朝は何? と思われるでしょうから、自己紹介をさせていただきます。

 都教委がいわゆる10・23通達を出して以来、全都で延べ404人の教職員が処分を受け、今年も20人が処分を受けたのは、ご存じのことでしょう。私もその一人です。3週間前の南大沢学園養護学校の卒業式での「君が代」斉唱の際起立をしなかったことで、3月31日に処分が発令され、4月1日から6ヶ月間、停職とされました。

 停職期間中は、抗議・要請や都庁職員へのアピールのために都庁に行くほかは、10・23通達による処分を受けた学校と、着任したここ、あきる野学園の門前に来ます。私は教員として間違ったことはしていないし、仕事をする意思は十分あります。だから出勤したいのですが、中には入れてもらえないので、校門前にいるのです。道行く人がここは少ないのかもしれませんが、その人たちにも、都教委のしていることを知ってもらいたいと思っています。皆さまも、お忙しいでしょうが、休憩時間にどうぞお立ち寄りください。

 さて、私の経歴です。71年、家庭科担当として江東区立大島中学校に着任。子どもの喘息で八王子市に転居したのに伴って、市内の小学校に4年、中学校2校に20年、そして多摩市の中学校に3年いましたが、03年以降、「校長の人事構想にない教員は1年で異動させることができる」とした、米長元教育委員が絶賛した異動要綱を使って、ほぼ毎年、1年で異動をさせられています。特に昨年は、中学校から養護学校に校種替えをされました。

 異動攻撃を受ける理由は明らかです。「君が代」不起立処分に象徴されるように、私が「職務命令だから従う」とはしない教員だからです。

 私は「君が代」不起立で、04年(=04年は、産経新聞によると、私がいた「調布市では明確な職務命令が出ていなかった」ということで処分なし)以外、毎年処分を受けています。

 「君が代」が国民主権の憲法に抵触し、歴史的清算も終わっていないことだと、私は考えます。しかし、だから、起立の職務命令に従わないのではありません。

 起立をしないのは、都教委が進める「日の丸・君が代」が教育行為に反し、教育を破壊することだと考えるからです。知識や資料をもとに考え合うのが教育です。「日の丸・君が代」について生徒が考え意見形成できるような資料も機会も提供せず、いや奪い、起立・ 斉唱を指示し従わせるのは、調教に他なりません。1947年制定の教育基本法が否定した、戦前戦中の教育と同じです。

 都教委は、「君が代」不起立・不伴奏処分について、教員の「内心は問わない」と言い、また、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童・生徒は起立してもいいし、しなくてもいいと受け取ってしまう」からと言います。私たちも子どもたちも何と見くびられたことでしょう。

 教員が黙することによって、子どもたちを被害者にしてしまう関係に私たち教員は置かれています。70年前だけでなく、今。子どもたちに「上からの命令には考えずに従え」「長いものには巻かれよ」と教え、子どもたちを時の政権担当者の好みの色に染め上げることは許されません。

 子どもたちが何の疑問も持たずに起立斉唱するように、教職員は内心に反してでも起立せよ、という職務命令が正当な職務命令ではないことは、発出している校長たちの多くが承知しているはずです。子どもが人として成長するその助けをするはずの学校で私たちが大事にしなければいけないことは、道理や徹底した話し合いによる民主主義、そして違いを認め合う思想とそれに基づく教育活動だと思います。

 私は常々生徒たちに、「みんながやるから、ではなく、自分の頭で考え、判断して行動しよう。おかしいと思う時には、たとえ一人であっても、おかしい、と言おう」と言ってきました。今までに私と出会った生徒たちへの責任から、また、これからも教員であり続けたいとの思いから、理不尽な職務命令や「校長としてのお願い」は拒否します。

4月16日(水)

 南大沢学園(特別支援学校)に。今日も私より先にEさんと近藤さんがいらしていた。近藤さんは、校長や職員に渡す手紙を用意されていた。

 私は、「わたしはどんなにおどされても、まちがっていると思うことにはしたがいません」と書いたプラカードを立てて、生徒や元同僚を迎えた。立ち止まってプラカードを読む一人の生徒は、「間違ったことはしてはいけない。うん。根津先生がんばってください」と言って、門の中に入っていった。また、一人の生徒は、私のことをテレビで見たと言う。「がんばってください」「(「日の丸・君が代」は)戦争に使ったんでしょう。○○先生も反対だって、言っていたよ」としばらく話をしていった。

 8時15分、校長と小中学部の副校長が連れ立って現れた。「迷惑なので、お帰りください。本校の教育活動には関わらないでください」と目を合わせずに言うと、私の返事は聞かずに、門の中に引き上げた。私と会話になることは避ける。対応の仕方は、法令上私とは、何の関係もなくなった今も相変わらずだ。もしもこの発言を校長の職務、生徒のため、と本気で思うなら、校長は私を説得しようとするだろうに、その気配は微塵もない。

 副校長は、と言えば、職務時間中に職員室の自席から真後ろを向き、私の方をまるで監視しているような様子。到底、机に向かって仕事をしているとは思えない。

 今週末に離任式が予定されているのだけれど、それに根津を呼ばないことを職員に告げたと言う。その理由を校長は、「転出先のあきる野学園の校長から出張命令が出ないから」と言ったそうだ。停職中に出張命令が出せるはずはない。そんなことは誰も承知のこと。それを承知で、生徒との関係を考えて、立川でも鶴川でも、出席させてくれた。それが、人として当たり前の行為であり、校長の裁量というものだ。こんな差別的なこと、いじめをすればするほど、職員の気持ちが校長から離れていくことが、この人にはわからないのだろうか。

 隣の公園に行く生徒たちに「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と声をかけ、その反応に温かい気持ちをもらった。

 午後は、都教委の今日の暴走を予期させることになった、多摩中事件の結審。最終の意見陳述をした。

 以下は、近藤さんの手紙。

私達は、教える機械じゃありません

八王子市立第五中学校夜間学級
被処分者 近藤順一

(連絡先が書かれている)

 都立南大沢学園養護学校、学校長及び都教委の皆さん、

 新年度を迎えお忙しい毎日かと察します。この3月の卒業式でも「日の丸・君が代」強制、処分が強行されました。とりわけ3月まで貴校に在職していた根津公子氏には停職6ヶ月という重い処分が課されました。私は、自分に課せられた処分と共に、これに強く抗議します。根津氏は「教育に反することには加担しない。理不尽なことには服従しない。それが教員としての職務と思うから私は着席します。」(『希望は生徒』)と述べています。

 私も3回目の不起立、2回目の処分を受ける中で、自らの思想・良心の自由を保持すると共に、生徒に対し、多様な考え、行動があることを示す必要を感じます。学校現場での職務遂行としての不起立の意義を考えています。今回、現職解雇という遮断ではなく、対話の道を選択した皆さんが、これ以上の強制、処分を停止することを強く要求します。

 教職員の皆さま、生徒・保護者の皆さま、地域の市民の皆さま

 私達は、現職解雇を危惧していました。停職6ヶ月という重い処分ではありましたが、解雇を免れました。その背景には、皆さまの力強い声と行動があったと確信しています。この間の皆さまの取り組みに敬意と感謝の意を表します。

 私達は引き続き訴え行動します。

 不服従を貫く教員を「ガン細胞」と称し、「不適格者」として嘱託解雇・不採用にする、ましてや「現職解雇」さえ危惧され、強制異動(配置転換)によって物か機械のようにあつかわれる。これは、新教育基本法、新学習指導要領、教員免許更新制による近い将来に「一般化」される「排除の事態」ではないでしょうか。そして、現在、労働現場で先行、普遍化している日雇い派遣、ポイント派遣、臨時雇用など、人を人とも考えない事態と重なるのではないでしょうか。それが、私達の先輩教員が手を染めた「教え子を戦場に送った」道に通じることを21世紀の今、現実問題と考えています。

 昨日、根津氏の新たな職場である都立あきる野学園を訪れました。都教委の皆さんにただ一つ感謝すべきは、すばらしき自然に囲まれ「山笑う」季節に、正に奥多摩の山々に迎えられたことです。

 私達は、今後とも苦難の境遇に呻吟する若者をはじめ各界各層の皆さまと共鳴し、自らの信じる道を歩みたいと思います。(2008.4.16)

4月17日(木)

 都庁前で8時からチラシ撒き。9人の参加。定年で再雇用になったWさんは、何と、木曜日が休みだというので、それに感謝した。

 今日のチラシは、表面に、署名や要請書が処分を決定する教育委員に届けられなかったこと、そして、金井任用係長が私たちへの対応を指して「からかって来るか」と発言したことに対し、5点からなる質問状を出したことを、裏面には改訂が決まった学習指導要領についての解説を載せた。

 10時半からは07年度「君が代」裁判、16時からは05年の「君が代」裁判。裁判所の前では、国労闘争団が座り込み行動をしていたので、少しだけ参加した。

4月19日(金)

 日中はこの2ヶ月の間に溜まりにたまった仕事に宛てた。夜はあきる野学園の職員親睦会の歓送迎会に参加した。同じ時間に、南大沢のそれが行われているのだから、ここは笑うしかない。南大沢では、1年前に私が書類の身分上は着任となった時にも、尾崎校長は、「呼ぶな」と職員に告げたと言う。

 それはさておき、同僚となる人たちと気持ちよく交流ができ、「10月よ、早く来い」と思う。
08.5.12.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=9


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