★〈日の丸・君が代〉の最前線から=8 根津公子

2008.3.30.のメール

 28日の教育委員会定例会で「卒業式で君が代」処分が決まりました。私を除くほかの人には、31日の処分発令の時間と場所の連絡があったそうですが、私にはまったくありませんでした。

 ということは、学校に都教委の人間が来て、学校で処分発令をするのかもしれません。とすると、免職、ということでしょうか。

 教育委員会定例会で、大変な事実が竹花教育委員の(「君が代処分に否定的な日経新聞のコラムをたまたま読んだ。ほかにもそのような記事や都民からの要請などがあるなら見せて欲しい」と言う趣旨の)発言で明白になりました。私たちが出してきた署名も要請書も、そして請願書までもが、教育委員に届けられていなかった(だろう)、ということです。

 判断材料を隠して処分の決定をした、処分先にありきだった、のです。

 この件について詳しくは、最後のところをご覧ください。

 この1週間の報告です。いまさらですが……。

 24日は卒業式。7時半からのモーニングアクションに雨の降る中、総勢100人もの人が集まってくださった。それに対して、門の外には公安がかなり大勢たむろし、門の中では都教委の人間14人が「警備」。また、生活指導部の教員が狩り出され、物々しい雰囲気を作り出していた。

 モーニングアクション参加者の中には、幼児連れの人や老人もかなりの数いて、騒動を起こす心配などありもしないのに、そしてそのことを都教委は承知していながら、「根津支援の連中は、何を起こすかわからない」という不安を、保護者や生徒たちに煽り、刷り込む目的でこれをしているのは、明々白々。

 こんなことに、毎回公金を浪費するな! とも言いたい。

 卒業式は9時40分から。「開式のことば」「皆さん、ご起立ください」に引き続き、「国歌斉唱」と司会の発声。私は、両隣の生徒が私の手を握り、あるいは握ろうとする手を静かに離して着席した。私の隣の一人の生徒は私と一緒に、もう一人は初めは立っていたが途中から、座ってしまった。

 私が座ると、すぐにどこからか鈴木副校長が、都教委の指導主事(と、同僚が言っていた)を伴ってやってきて、「根津先生、お立ちください」と2回繰り返した。「なぜ、立たなければいけないのですか」と聞くと、「通達です」と副校長。私は、「私は教員ですから、教育ではないことはしません。教員だから、立たないのです」と答えた。処分の証拠とすべく、「現認」を終わると、2人はどこかに消えた。

 後は何事もなかったかのように、卒業式は進行した。

 11時10分、生徒の下校・見送りのため玄関に行くと、校長と副校長の姿があった。案の定、私に事情聴取するためだった。「根津先生、校長室に来てください。用事があります」と言う。「私には用事はありません。行きません」と答えると、校長はその場で、「根津先生、国歌斉唱の時に起立をしませんでしたね」「副校長が現認しました」と言う。私はそれには返事をせずに、「あなたたちが教員になった時の初心は、こんなことをすることでしたか? 教育破壊を止めなさい」と言うと、校長は「副校長が現認したので、報告書を今日都教委にあげます」と言い、2人は引き上げていった。

 15時からは都庁記者クラブで、記者会見。葛飾区の小学校教員の米山さんもこれまでずっと不起立を続けていて、しかし処分はされていないのに、方や、根津は処分の連続で免職の危機にある。こんな不公平な取り扱いでクビ切りが行われていいものかと、アピールした。

 しかし、翌日の新聞報道は、その肝心なところが欠落し、根津が免職の危機にあることだけにされていた。

 その後は、第二庁舎横の歩道で情宣、そして、27階に要請に行った。「なぜ、要請に来た私たちを中に入れてくださらないのですか。話を聞いてくださらないのですか」とNちゃんが、金井任用係長を相手に、丁寧に、しかも毅然としてただしてくれた。

 25日。職員朝会の最中8時30分過ぎに、副校長が私にメモのようなA4の紙を差し出し、都教委の事情聴取に行くよう告げた。紙には、「10時30分、都教職員センター」とある。30分以内に学校を出なければ、間に合わない時刻に事情聴取を告げるとは、何と言うことか?!

 年休や出張で授業を空ける時には、養護学校では生徒の安全上、かなり前から、学年の教員たちに伝えておくことになっている。それを校長や副校長は当然知っていながら、あえて私にはこのような嫌がらせをする。

 私は、「この時間設定では、教育活動上、行くことはできません。生徒が下校する1時50分以降に学校を出る時間に変更してください」「校務を優先するのは当たり前でしょう」と言い、紙を副校長の机上に返すが、副校長は、「だめです。この時間に行きなさい」と言い、紙を私の机上に戻す。何度かそれを繰り返し、紙は副校長の机上に置かれた。そこにやってきた校長にも時刻の変更を申し出たが、全く取り合わない。

 「事情聴取に時刻を授業に差し支えないようにして、何が問題なのですか! ここまでひどい管理職は、他にはいませんね」と一言言い、生徒のお迎えに走った。

 修了式で合唱。「あなたに会えてほんとによかった 優しい心ありがとう 優しいここーろありがとう グッディ グッバイ グッディ グッバイ マイ フレンド♪♪」を歌い始めると、私の感情は堰を切るように押さえが効かなくなってしまった。私の手を握る生徒たちを抱きしめたかった。

 修了式の後は、貯金学習で郵便局に出かけたのだけれど、生徒たちのしぐさの一つひとつに私の感情は反応してしまう。一人ひとりに、「あなたに会えてほんとによかった。優しい心ありがとう、やさしいここーろありがとう」と音楽時間に覚えたフレーズを声に出さずに言いながら、感謝した。一人止め処もなく、涙を流した。これを打ちながらも、涙が止まらなくなってしまう。

 帰り道、公園で、生徒たちを囲んで写真を撮ってくれた同僚たちの心遣いに感謝した。

 帰りの会では、勧められて、初めてで最後の「帰りの会」をさせてもらった。△年△組のみんな、ありがとう! △年生のみんな、ありがとう!!

 事情聴取の出張命令に従っていたら、得られなかったこの時間。よくぞ、都教委はこういう時間に出張命令を出したものだ!

 その怒りから、夕方からの人事部への要請行動では、責任者として私の前に立った金井任用係長に、「10時30分、事情聴取に出頭せよと、子どもたちとの最後の日の授業時間に設定した理由と設定した人を教えてください。金井さん、あなたですか、これを設定したのは? それとも、市原服務係長ですか?」と質した。「ここは話し合いをするところでも質問を受けるところでもありません」「私は根津さんにお答えする考えはありません」「人事部長にも教育長にも、会わせる考えは、私にはありません」としか、言わない人を相手に、むなしくも……。

 例に倣い8時半ころになると、ここに立つことで「踏み絵」を踏まされ、試されているだろう若い職員と警備員をバリケード役にしたまま、係長2人は部屋に引き上げてしまった。

 なすすべなく、「係長、人事部長、出てきてください」と呼ぶだけではむなしい。そうだ! と思いつき、バリケード役の人たちに、私のことを報じた今日の東京新聞の記事を読み上げ、語った。今日の東京新聞が「こちら報道部」で、とってもいい視点で、大きく私のことを報じてくれた。読んでいて、心を動かす人がいる手ごたえを感じた。

 10時、トイレを借り、歩きながら人事部の部屋を横目で見ると、職員はわずかしかいない。??と思いつつトイレを済ませ、来た道を戻ると、部屋は真っ暗。またもや、都教委の全職員が逃亡してしまったのだった。後に残された警備員も今日は、それに続いて引き上げてしまい、私たちが帰るように仕向けた。

 説明責任さえ全く果たそうとしない都教委の姿勢を、多くの人に直接見てもらいたい。都教委が、子ども不在、教育不在、都教委にもの申す人の声はまったく聞かないなど、その実態を知ることになるでしょうから。

 26日。昨日1時間休暇を取って都教委に行く道すがら、南大沢駅で、見覚えのある生徒が警察官に何か聞かれているところを見た。そのまま素通りすることはできない。

 近寄って、警察官に申し出ると、「この生徒を引き取ってほしい」と言われる。「急ぐから」とはいえるわけがない。恐怖心からか、走り出そうとする生徒のリュックの取っ手を力を入れて握り、場所を移して、生徒の気持ちを落ち着かせようと試み、学校に電話をし、担任に引き渡した。この間40分。

 翌日の26日、そのことを副校長に伝え、「40分の調整を今日の帰りにほしい」と申し出ると、「その日の内でなければ認められない。20分の休暇は、1時間休暇です」と強引だ。同僚に付き添ってもらって、校長に話しに行ったが、校長もまったく同様。「モーニングアクションで早く出勤した人には、調整を与えたでしょう? それと同じではないですか」と同僚が言うと、「事前に勤務の割り振りを提出したから、認められたのだ」と。

 突発的な生徒の安全に関することは、すべてに優先すべきことなのに、よくぞこんな屁理屈を通すものだ。

 4時から町田教組や多摩教組が、都教委に向けて、行動を起こしてくれた。

 27日。私は年休の残がなく、参加できなかったけれど、大勢の人が都庁前で8時から情宣行動をしてくれていた。

 午後は、40分の調整問題は棚上げにして、3時間休暇を使って都庁行動に参加。兵庫、大阪、三重からも駆けつけてくださっていて感激する。3時半過ぎ、「処分するな!解雇するな!」の声を届けに、皆で27階に行った。その後駆けつけてくれた人もいて、参加者は100人を超えたのではないか。

 トイレに行きたくなり、途中で借りた。人間バリケードの向こうにトイレがあるので、その中に入り、廊下を歩き始めると、若い職員が私の真横にぴったりとくっついて、同じ歩調で歩く。なぜこんなに接近するか?! と思ったので、1、2歩、後退してみた。案の定、この職員も、同じにさがる。

 立ち止まり、「なぜ、こんなに接近するの?」とその職員に聞くと、たまたまそうなったというようなことを言う。「見え透いた嘘をつかないでよ」。その職員に質し始めたら、すぐ横に置かれた、背もたれのないいすが目に入った。腰の痛さに、この職員に質す間、と思って座る動作をすると、私は、床に尻餅をつくことになってしまった。3人ほどいた職員の誰かによっていすが抜かれたのだ。しかもそのいすは、部屋の中に隠されてしまったらしい。

 権力を持たない私たちが行動する時、一人では危ない。必ず複数で、といつも言われるMさんが私に同行してくれ、その一部始終を見ていてくれたので、事実が判明したのだが、彼女の抗議に職員は根拠なくそれを否定し、湿布を要求する私をせせら笑う態度をとった。「外に医者がある」「救急車を呼ぶか」だと。

 恐ろしく、人間性の欠如した人たちだ。公になったら困る、という表情の警備担当者も少数はいたようだけれど。

 「解雇をさせない会から請願書を出しているが、この扱いは今どうなっているのか? 明日の教育委員会定例会には出されるか? 間に合うか?」と聞いても、金井任用係長「適正に処理しています」「答えません」「組織としての回答です」。

 同じく不起立を続けている米山さんと私の違いについても、米山さんが出した要請書がどのようになっているかについても、だんまり。このほかに金井任用係長の発することばは、「私は根津さんに話すことはありません。用があれば、お呼びします」「いいですか、皆さん、30分が経過しました。お引取りください」のみ。いったい誰に「開かれた都教委」なのか?

 この日も8時半頃か、27階の都教委の職員は一斉に逃亡した。警備担当者が、また残されて。

 明日の教育委員会定例会で処分が決められるというのに、問答無用の扱いをされるままに、帰る気持ちにはなれない。

 そうこうするところに、誰かが、エレベーターで下りてきた教育委員会の職員を見つけた。これまで、私たちの訪問に、人間バリケードをしてきた人たち、そして、モーニングアクションや卒業式の朝、南大沢学園養護学校の敷地で物々しい「警備」をしていた人だった。

 「責任者」と名乗る金井任用係長が逃亡してしまったのだから、せめてこの人たちの考えを聞きたいと思い、「都教委の「日の丸・君が代教育」は教育に反する洗脳だと思うから、私は職務命令に従わないのだけれど、あなたの見解を聞かせてください。教育の条理に基づいて説明してください。私の考えが間違っているというなら、教えてください。わたしはこれで、明日クビになるかもしれないんです。あなたには説明する義務があります」

 「あなたは南大沢にモーニングアクションのときに来ていましたね。何のために来たのですか」と二つの質問をした。

 しかし、職員はマニュアルどおりに、一切目を合わさない、ことばを交わさない。不動で立っている。河原井さんが気持ちをほぐさせようと試みるが、反応しない。

 この日の終わりは、10時半に近かったのに、何と60人もの方がいっしょに残っていてくださっていた。

3月29日(土)

 なお、31日に処分が発令される人たちには、「教職員研修センターに13時30分」と言うように、出張命令が来ていますが、私だけはまったく告げられていません。とすると、学校に都教委が来て、そこで免職の処分書を渡されるのかもしれません。

 以下、Yさんからの報告

 「河原井さん根津さんの「君が代」解雇をさせない会」のYです。

 私は今日ほど、家以外での場所でこれほどに怒りを外に表出したことはありません。本当に頭にきました。

 私は教育委員会の定例会の抽選に外れたので、会議が行われる30階のバリケードの前に、ほかの50名ほどの人とともにいました。

 バリケードのすぐ右向こうの部屋には、面会を望んでも決して姿を見ることのできなかった教育長ほか教育委員がいて、これから根津さんほか「君が代不起立」の処分が検討されるのです。

 なので、教育委員たちの耳に届け! と思いながら「根津さんをクビにしないでー」「処分しないでー」と何度か叫びました。

 いよいよ秘密会の行われる前になって傍聴者退出のためにドアが開かれてからはエレベーターホールに締め出されている人たちで、声を限りに「根津さんをクビにするなー」「処分するなー」「解雇するなー」と、叫び続けました。

 傍聴者も会議の開始時に、思い思いの言葉を書いた布やゼッケンなどを2、3分間黙って掲げて退室時には声も出してアピールしたそうです。

 傍聴に入っていた人たちが中から出てきますと、そこで、衝撃の事実を聞かされたのです。

 なんと、この間、いくつも提出してきた「根津さんを免職処分にしないで」などの要請書、請願書、おまけに署名など一切が、教育委員の手に渡っていなかったことが判明したのです。本当に頭にきました。

 定例会で、竹花教育委員が、「君が代処分に否定的な日経新聞のコラムをたまたま読んだ。ほかにもそのような記事や都民からの要請などがあるなら見せて欲しい」というようなことを述べたそうです。

 つまり、教育委員は何も知らないまま、私たちの声の存在も知らされないまま処分の決定の場に臨んでいたのです。

 私は数名の人とともに、金井職員課任用係長に請願書と署名などが教育委員の手に渡っていなかったことについて追及しようと27階に降りましたが、金井氏は出てきません。ほかの職員が「しばらくお待ち下さい」といったきり、2時間待てども出てきませんでした。

 あれだけ何度も「処分にかかわることだから必ず教育委員に渡して欲しい」と頼み、最後には、請願書なら必ずや教育委員にわたるはず、と各人宛てに「親展」と封をして「これなら教育委員の手に渡るよね」と黒田氏に確認しながら渡しているのに、なおかつ、この間、「請願書は教育委員に渡してもらっているよね」と何度も確認をもとめてきたのに、です。

 これまで彼らは、「適正に事務処理をしている」「教育情報課から担当所管にあげるが、どのように処理するかは所管の判断」「細かい事務手続きについては答えられない」等と言ってきたわけですが、私はそれでも、請願書と署名は教育委員にわたるものと思っていました。甘かったです。

 職員課が握りつぶすなら、自分たちで直接教育委員にもって行くから今すぐここに渡した署名と請願書を持ってきて! と職員課の職員に何度も頼みました。まさか、シュレッダーにでもかけちゃったのか、金井氏が会議中なら保管場所を聞いて誰でもいいから今すぐ持ってきて!! と何度も頼みましたがまったくなしのつぶてに終わりました。あの署名や請願書が反映されないままに、このまま処分、そしてクビ!? かもしれない

 と思うと、本当に情けないです。こんなことなら……とぐるぐると思いが巡ってきます。

 結局、彼らにはどのような「適正な手続き」をもってしても、先に「決定ありき」だったのか、いったいどうしたら私たちの声を教育委員に届けることが出来たというのか、教えてよ!!! 本当に心の底から怒りがわいてきます。

 そもそも、今日の職員の態度はどの人もふてぶてしいものでした。若い職員は、支援者の一人が業を煮やして、「黒田氏を呼んできてくれよ」と肩に手をかけたとたん、「イタイ、イタイ」とまったく大げさに体をゆがめて、まるで こちらが暴行を働いたかのように振舞いました。

 にぎりつぶしといい、「当たり屋」っぷりといい、そして、第二庁舎の前の道路にはパトカーと護送車と10名ほどの警官が待機している、まさに、これぞ権力の横暴、というものを今日、しっかりと見ました。

 判断材料として当然、教育委員が目を通しておくべき資料が渡されていなかったのですから、これで下される処分は明らかに不当・無効のはずです。

 再度審議をおこなってほしいです。

 Yさんのメールは、ここまで。

 もう一つ、

 金井職員課任用係長が27階のエレベーターホール近くで、ガードマンと7人くらいの職員がいたところで、薄ら笑いを浮かべながら、次のようなことを言っていたということです。

 「これから30階に行って、からかってくるか」。

 「仕事に責任と誇りを持っている」と私たちに向かって言ってのける金井係長の、都民への対応は、からかい、だったということです。許せない!!

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2008.4.3.のメール

 31日の勝利は、大勢の方が、友人・知人に、都教委、報道にはたらきかけ、いろいろなたくさんの動きを作り出してくださったことによります。みんなで喜び合いたいです。動けば変えられる、と実感しています。

  そして、皆さんに心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 もっと早くにお礼の気持ちを伝えなければ、と気になっていたのですが、今日まで、時間が取れずにおりました。ごめんなさい。

 来週からは、また、停職出勤をします。都庁前でのチラシまき・情宣と都教委への働きかけもします。しばらくしたら、曜日で場所を決めたいと思っています。「河原井さん根津さんらの『君が代』解雇をさせない会」のホームページに掲載します。また、できるだけ私からもお知らせしたいと思います。

 以下、31日と4月2日の報告です。

◆◆◆

3月31日

 28日の教育委員会定例会で処分が決定され、該当者には処分発令の出張命令が出されたというのに、私だけはそれがされなかった。とすれば、免職間違いなし、と思わざるを得ない。いよいよ明日が処分発令の日という30日の夜、私は、免職以外の可能性は全くないと踏んで抗議声明を書いた(打った)。免職にさせないために、この2ヶ月やれることはすべてやった、後悔はない、明日の処分発令を新たな闘いの出発にしよう、そう思いながら書いた。普段より早くに布団に入ったけれど、余り眠ることができずに朝を迎えた。

 31日は7時30分、学校に到着。冷たい雨が降る中を、すでに何人もの友人たちが校門前に来てくれていた。荷物を職員室に置いた後、支援に来てくれた人たちとともに、都教委職員(役人)の登場を待った。

 報道関係者も多数見え、取材に応じた。8時25分の始業に合わせて、私は2階の職員室に戻った。窓ガラス越しに、みんなの顔が見え、訴える声が聞こえてくる。出勤している職員は少なかったので、遠慮気味に窓を開けて、みんなの話しに耳を傾け、一人ひとりの顔を追った。

 泣き声で途切れ途切れになりながらマイクで訴える友人、知人たち。2006年度在職した鶴川二中学区のお母さんたち、子どもたち。小学生のTさんの笑顔が私の目に飛び込んだ途端、私の中で強力なパワーが駆け巡った。

 大分の益永さん、北海道、大阪、愛知、広島、福岡、長野からも、このために来てくださって感激。死刑台に上らされる私を見守り、校長や都教委に抗議しようと、駆けつけてくださったたくさんの方々(90人に近い、と聞かされた)に、支えられていることに感謝した。

 部屋の中にいても寒いほど花冷えのする、おまけに雨が降りしきる中で、時間ばかりが経っていく。皆さん、予想もしない寒さに、大丈夫だろうか。都教委はここには来ないのか、どこかに私を呼び出すのだろうか。いろんなことが頭を去来する。

 「都教委が来た!」と誰かが叫ぶ声に、下を見ると、一人は見覚えのある顔であった。都教委の役人だ。間違いない! と思った。時計を見ると針は、9時27分を指していた。

 10時頃、鈴木副校長が私を呼びに来た。「根津さん、お伝えすることがあるので、校長室に来てください」。校長も来て、「10時30分までに来なければ、受領拒否と見なします」と居丈高に言う。同僚の一人が、「私たちにできること、何かある?」と聞いてくれた。「付き添ってもらえたら、とってもうれしい」と言うと、すぐに声を掛け合い、5(4?)人の同僚が同行してくれた。春季休業中なので、出勤していた人は少なかった。もう、これで十分心強い。うれしかった。

 10時20分、校長室に同僚たちと行き、私が引き戸を開け、一歩中に入ると、即座に副校長がやってきて、「戸を閉めてください」と私に、「手で押さえて、戸を閉めさせません」とあちら側の人に言った。都教委の役人は、個人情報だから戸を閉めるよう、私に告げた。「この場で受け取ります。そこまで行かなくとも、ここは(あなたたちが指定した)校長室です。個人情報が知られて私には困ることはありません。いえ、皆に知ってほしいですから、そちらがここに来てください。」と私は言うが、彼らは、「受領拒否」に仕立て上げればいいだけのこと。

 処分書を受け取るために、仕方なく、都教委の役人の近くまで進んだ。補佐役は、三田村管理主事、処分書を読み上げたのは、江藤職員課長。

 この2ヶ月間私たちが都教委人事部職員課に要請をした際に、対応を求めても出てこなかった課長がここにいる。課長は、何かを考える暇も与えずに、処分書・処分理由書を立て続けに読んだ。「停職6月」と聞こえた。まさか、間違いじゃないよね?! 一刻も早く、廊下で待つ同僚たちに処分書を見てもらいたい、とじりじりする思いで長い処分理由書を読み上げるのを待った。

 処分書渡しが終わると、校長は転任校を告げた。「あきる野学園養護学校」と言った。

 10月に復帰して南大沢学園での仕事に就き、校長は私の仕事ぶりを見ることなく、11月14日、「来年度の人事構想にあなたは入っていない。」と告げた。それは、尾崎校長の判断ではなく、都教委のシナリオに沿い、都教委の指示通りに、何の躊躇も考えもなく、校長職の尾崎氏がなした行為であることは疑うべくもない。そして、この運び。

 都教委は私に対し、要綱等を駆使して可能な限りの嫌がらせを行って来たので、いまさらの感あり。

 この話の時には、もう私は出口の前にいたのだが、副校長は私と引き戸との間のわずか数十cmのところに、ついたてを入れた。何のための目隠し? といぶかしく思っていたら、廊下に出て、その理由がわかった。同僚たちは、引き戸1枚を隔ててガラス越しに、そしてついたてのわずかな隙間から中をうかがっていたのだとのこと。喜劇だ。

 処分書を持って廊下に出ると、まずは皆に処分量定の記載を確かめてもらった。「免職じゃないよね?」「うん、違う。停職6月、と書いてある」「やったー」「やったー」みんなで喜び合った。免職ではなかったうれしさと、同僚たちが気持ちを共有してくれたうれしさ。なんという幸せ!

 都教委の役人や校長たちは同僚たちの喜ぶ声をどんなふうに聞いたのだろうか? いや、それは、指示された職務外のこと、意に介さず、なのか?

 外の皆に報せなくちゃ、と職員室に駆け上がり、私はまずは年休処理簿に1時間の年休申請をした。その間に同僚が外の皆に、笑顔でサインを送ってくれていた。年休申請を済ませた私は、窓から皆に向かって、叫んだ。「みんな聞いて! 都教委は、私をクビにすることはできなかった!!」(と、言ったそうだ)。

 そして、転げるように外に走った。歓声と泣き声で迎えてくれた皆と、抱き合い、喜び合った。

 処分理由書には、卒業式での不起立のほかに、「OBJECTION HINOMARU KIMIGAYO」のロゴの入ったトレーナーについての、職務専念義務違反、職務命令違反が加えられていて、なおかつ、停職6ヶ月。とすると、昨年の君が代「不起立」での停職6ヶ月処分よりも薄まったとも言える。一段ごとに死刑台への階段を上らされる累積加重処分に、風穴を開けることになったのだ。

 「君が代」処分自体が間違いであり、半年間も仕事を奪い、収入を途絶えさせる停職6ヶ月処分は、許しがたいことではあるけれど、連日集まり行動してくださった人たち、都教委にいろいろな形で声を寄せてくれた全国の、いや、世界各国の人たち、そういう人たちの力によって、勝ち取ることができたものだ。

 また、トレーナー処分発動か?! という2月から3月末までにいくつもの新聞社がした報道は、どれも、「都教委よ、余りにひどいじゃないか」といった論調だった。そうしたことすべてが、都教委の判断に影響したことは明白だ。私一人がどんなに動いても、追放は食い止められなかっただろう。大勢の人が見える形で動いたことが、都教委の暴走にブレーキをかけたのだ。私たちみんなの勝利だ!

 都教委は、不起立・処分発令対象者から私を分離して、学校で密かに処分発令をしてしまおうと考えたのだろうけれど、結果は彼らの目論見からすれば、裏目に出てしまった。

 お昼のニュース(TBS・TV)が、学校前で喜び合う私たちの姿を放映し、翌日の毎日新聞は、そのシーンを伝える写真を大きく掲載した。東京新聞の報道も、私の声を大きく伝えていた。

 午後は、不起立・被処分者20人の、私と退職者以外の人たちへの処分発令が水道橋の教職員センターで行われた。河原井純子さんは、私の昨年と同様に、停職6月。

 早くその場に合流したかったけれど、年休の残が2時間しかなく、15時10分、その年休を使って、集会と記者会見を行っている会場に向かった。

4月2日(水)

 朝8時から都庁前でチラシ撒き・情宣を行った。都庁で働く人たちに、「ご一緒に考えてください」「都民のための行政、教育行政にさせるよう、ともに声をあげましょう」と連日訴えてきたので、お礼を兼ねて報告をしたいと思ったからだった。

 激励やねぎらいのことばや笑顔がたくさんの人から寄せられ、チラシ撒きに参加した人たちでまたも喜び合った。

 チラシまきを終えた足で私たちは、28日に生じた質問2つを持って、人事部職員課の金井任用係長を訪ねた。2つとは、

 (1) 竹花教育委員が教育委員会定例会で発言したこと(注)からすると、私たちや全国の人たちの提出した要請や署名は、処分を決定・承認する教育委員の人たちに届いていない、としか思えないが、どうなのか

 (2)「これから30階に行って、からかってくるか」と、私たちへの対応について金井さんは言ったが、どういうことなのか。

 (注)「日本経済新聞のコラム欄に載っていた『開かれた……』を、たまたま読んだ。マスメディアの記事で見逃しているものもあると思う。こういう関係のマスメディアの記事を定期的に教育委員会の場に、報告はいいですが、紹介してほしい。おそらく教育行政について教育委員会宛てに、都民の声が寄せられていることがあるんじゃないかと思う。東京の教育行政にとって参考になるもの、それが含まれているものを、耳の痛い話も含めて、教育委員会の我々に紹介していただくことはできないか。参考にもなるし、できるだけ僕らも耳を傾けていきたいので、ご協力をお願いしたい」

 27階に着くと、いつもの阻止線にロープを出し、職員数人が部屋から飛び出してきたばかりという様子が取ってわかった。職員が次々に部屋から出てきて、あっという間に私たちの前に3重の職員バリケードができあがった。今日は、警備員の配置ができなかったようだ。

 用件を告げても、「責任者」である金井係長は出てこない。20分経ってようやく、出てきた彼は、「お待たせしました」と言うべきところ、「根津さん、今日はどういう服務できたのですか」と言った。「どういう服務って、学校に行け、ということですか」と聞いたけれど、「私の考えはありますが、答えません」と金井係長。私は、「脅しのつもりか知りませんが、私たちは、28日に起きた2つのことで、どうしても聞いておかなければなりません」と告げ、来週には答えを用意してくれるよう要請してきた。

▽▽▽

 殺されるのを座して待つことはできない。そう思い始めた2月1日にトレーナーの事情聴取。「トレーナーでクビにされてしまう」と緊張感が走った。友人たちからアドバイスをもらう中で、7日から動き始めた。それからの2ヶ月近くの間、動けるだけ動いた。

 職場の同僚たちからは何度もうれしいことばやアドバイスをいただいた。トレーナー処分の動きの中で知り合ったばかりのEさんが、毎朝、校門前にプラカードを持って、立ってくださった。2006年に勤務した鶴川二中学区の町田・鶴川の若いお母さん・お父さんたちは、虹のたねというグループをつくって、すごい行動力でイベントを行い、都教委にその姿を示された。

 10月からの毎週木曜日、都庁前で情宣をされたKさんたち。「君が代解雇をさせない」取り組みを行い、都教委にその声を届けられた全国の団体・グループ・個人の皆さん。意見広告にカンパ協力してくださった皆さん、都教委や校長にFAXや電話を入れてくださった皆さん、いろんな人たちとの出会いに本当に幸せを感じています。

 皆さん、本当にありがとうございました。

 そして、これからもよろしくお願いします。
08.4.7.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=7


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