★〈日の丸・君が代〉の最前線から=5 根津公子 |
2007年7月9日(月)
立川二中へ。「1日中曇り、最高気温は26度」の予報を聞き、防寒対策をして「出勤」。ところが予報は見事に外れ、午後は日差しもかなり強く、帽子をかぶっていてもコンクリートの照り返しで、帰る頃には日焼けで体がひりひり状態だった。
夜中からのひどい頭痛とそれによる睡眠不足で、学校到着がいつもより遅く、すでに半分くらいの生徒は登校していた。今朝はNさんが私と一緒に生徒たちへの挨拶に参加してくださった。1人で10人分もの声量の、それでいて柔らかい音色のNさんの「おはようございます」に、生徒たちはかなり自然に挨拶を返していた。なんかほほえましい風景だった。
気づかない私に、「お疲れ様です」と声をかけて通られた初老の男性、車のクラクションを軽やかに鳴らし、手を振ってくださった顔見知りになった大学教員の方。こういう人たちの一言に励まされる。
お昼頃から隣の北多摩高校の生徒が下校し始めた。高校はもう午前授業に入ったのかと思っているところに、卒業生のAさんが通りかかった。私はいすに座ってほとんど居眠り状態だったが、偶然にも目を開けて彼の姿が目に入った。ほとんど寝ぼけ面で、あわてて立ち上がって挨拶をした。彼は、眠っているから声をかけないほうがいいか迷っていたのだそうだ。お腹が空いているだろう彼と長いこと話をし、引き止めてしまった。こうして卒業生と話をしていると不思議なもので、頭痛も眠さもかなり軽減している。
二中生徒たちの下校時間。Nさんを見て、「今日も1日、元気でがんばってください」と朝の彼のことばを真似る生徒もいた。子どもって、本当によく覚えているし、うまく真似る。3年生の集団は、あれこれ声をかけてきて、「根津先生は間違っていないです!」と大きな声で言いながら、帰って行った。「先生のインターネットを見た」と言った生徒もいたことから考えると、「間違っていない」は、停職1ヶ月の初めての校門前「出勤」の時に、私がプラカードに書いたことばを使って言ったのだろう。まったく、うまいものだ。脱帽だ。
2007年7月11日(水)
南大沢学園養護学校に。雨が降ったり止んだりの空模様。
今朝も早朝から近藤さんのほかにTさんがいらして、一緒に挨拶に加わってくださった。途中からSさん親子も加わった。外での授業の子どもたちが通るたびに一言かけたり、それに対してにこにこ顔と握手で返事をくれたり、またその合間におしゃべりに花を咲かせてのゆったりとした時間を過ごす。瞬く間にお昼ご飯。お昼は、喫茶室に行ってオール100円の飲み物を注文し、そして12時に持ち込まれる共同作業所のパン屋さんの天然酵母のおいしいパンを買って楽しんだ。食パンやフランスパンは、そのまま何もつけないで、食パンの持つうま味が十分味わえるのでお勧めだ。なんと、Sさんは今日の大きな目当てが喫茶室だったそうな。
下校時、卒業生のBさんがしばらく話しこんで行った。東京の「君が代」処分についての話しをすると、彼は、「強制はよくないです。おかしいですよ」と言っていた。
2007年7月12日(木)
鶴川二中へ。登校時、今までは私の挨拶に無視をしていた一人の生徒が、ちゅうちょしながら「おはようございます」と挨拶を返してくれた。こうしたちょっとしたことに、ほっとする。
今朝も登校時の挨拶に立っているとSさんがやってきた。しばらくして、先週電話で申し出のあった大阪の大学院生Tさんがいらした。インタビューを受けた。近所にお住まいのKさん、Mさんも立ち寄ってくださった。
皆でおしゃべりをしていると、自転車で通りかかった60過ぎと思われる女性が、プラカードを見ていらっしゃる。「これは、私のことなんです」と言うと、「えっ」と絶句され、やや置いてから、「なぜ国歌を歌わないんですか。国歌なのだからいやでも歌うのが当然でしょう」とおっしゃる。「生徒には歌の意味も歌う意味も教えず隠して、起立させ歌わせますが、これは学校のすべきことではないと思います」と私が言うと、「そうですか、教えないんですか。教育委員会に教えるよう要求しましょう」と言いながら、話し途中で自転車をこぎ出して行かれた。
午後は最後の聴講を断念して、研究のため来日されているフランスの教員であり、大学院生であるKさんに会った。「君が代不起立」の映画が取り持った縁である。東京の「君が代」処分について、4月にお会いしたフランスの記者がおっしゃっていた「フランスでこのようなことが起きたら、教員たちは黙っていない」と言われたことを話すと、彼女も即座に、「フランスならすぐにストライキですよ」とおっしゃった。ストライキは正当性を示すことなのだそうだ。それを見て人々は多くが、理解し、支持するようになるのだとも。つい最近では、彼女の住む町で博物館の公務員が賃金upを要求して2週間ストライキをしたと言う。同じ地球上のこと?!
2007年7月18日(水)
南大沢学園養護学校へ。
今朝も私が7時40分に着くと、近藤さんはすでにいらしていた。しばらくすると、連絡を受けていたバンクーバー在住で一時帰国されているバンクーバー9条の会のNさんが訪ねていらした。3人で生徒たちを迎えた。近藤さんは今朝も校長に、私の扱いについての「お尋ね」を封書で手渡した。校長は、どのように答えてくるのだろう。
Nさんは、インターネット上で「君が代不起立」の映画を知り、バンクーバーで上映会をされたのだそうだ。映像の威力もインターネットの威力もすごいものだ。この上映会に参加された一人の方がNさんに託された、私宛ての手紙をいただいた。読ませていただいて、胸がキュンとなる……。お手紙をくださったお気持ちを想う。
今日の訪問者は、他にあと2人。熱心に質問をされるNさんに答えながら、外での授業に出かけ、あるいはそれから帰ってくる子どもたちに、ことばをかける。午後は初訪問のMさんを、公園内の喫茶室に案内した。喫茶室の実習は今日がはじめてという高等部1年生の生徒たちが、注文を訊き、飲み物を運んでくれる。何人かは、顔見知りになった。どの生徒も皆、一生懸命だ。その姿を見ながら飲む飲み物はおいしい。
訪問者が帰りしばらくして、下校の時間。書きものをしていると、声がする。気づいて顔を上げ、軽やかな発声で挨拶をすると、その生徒は納得し、からだ全体で気持ちを伝えてくれた。「お友だちだよ」「受け入れるよ」ということなのかな。また、仲良しになったAさんは、「ねづきみこ先生!」と言って、手を上げてさよならを告げてくれた。握手をして挨拶をしてくれる生徒もいたり。卒業生のBさんとは、今日も立ち話をした。プラカードを読んでいく生徒もいる。3ヶ月間の校門前「出勤」で、生徒たちと随分と顔見知りになった。9月まで「さようなら」。
2007年9月3日(月)
立川二中へ。9月の月曜日は、今日が初日で最終となる。来週の月曜日は、今春の卒業式での、私を除く被処分者に対する再発防止研修。そこに抗議と支援に行くので、立川二中には今年は今日が最後だ。
遠足を迎える子どものように、昨夜は布団に入ってから寝付かれずに3時間、やっと3時半ころ眠りに入ったが、今度は夢の中で「起きなくちゃ」としきりに言っている。そうして5時半起床。
登校時は夏休みの間「出勤」しなかったからか、「あれ? また来たの?」という表情の生徒がかなりいた。一人は、「がんばってくださーい」と元気な声をくれた。訪問者が3人いたので、おしゃべりに興じてしまったせいか、道行く人と話をすることがなかった。いつも通りがかりにクラクションを鳴らしてくださる市議のAさんが、今日も鳴らしてくださったので、挨拶を返せただけ。
午後は、防災の日にちなんで、集団下校。生徒はいったん下校して、まもなく、今度は部活動に再登校をする。今度は、とっても元気。挨拶の声が弾んでいた。今年は9月1日が土曜日、この日に防災訓練をするために土曜日を始業にしたり、初日の訓練では混乱するといけないからと始業を8月終わりにしたりした区市や学校も出現した。もっとも夏休みを1週間もカットする学校がしばらく前から出ているが……。週休2日制の意味などとうに葬り去られている。
昼下がり、青年が自転車を止め、「根津先生ですか?」と声をかけてきた。私が着任する前の卒業生で、妹さんから話しを聞いていて、会ってみたいと思い、何度か訪ねてやっと今日会えたと言う。妹さんは、私が教えたBさんと言う。
彼と、「日の丸・君が代」の強制と教育との関連問題、強制することや「愛国心」について語り合った。今日掲げていたプラカードに書いた「『立たない教員がいると、生徒は立たなくてもいいと受け取ってしまう』と都教委は言います。しかし、これは教育ではなく、洗脳でしょう」を見て、「確かにこれは洗脳ですね」から始まって、「学校は考えを刺激するようなことはしてくれない。社会科は、事件の背景を考えたいのに、年号ばかり覚えさせられた」と言う。考えることの楽しさや大切さを知っていることがわかる。もっともっと知りたい、考えたいと思っているのが伝わってくる。私に会いにきたのも、会って話をして考えたいと思ったのだろう。自分を持っている青年(少年)で、とてもいい感じを受けた。
しかし、今まじめな青少年がちょっと知ろうと手を伸ばすと、そこにあるのは、日本の戦争はアジア諸国を開放したとする、勝手に塗り替えた歴史の書物が圧倒的に多い。彼もその歴史を信じている。無理からぬことだ。学校教育が事実をきちんと教えていないことが元凶だ。「アジアを開放した、と主張するのは、日本の右翼の人たち。当のアジア諸国の人たちや政府が、『日本が開放してくれた』と主張しているかしら?」。彼も聞いたことはないようなので、「各国の歴史教科書に日本の侵略がなんと書かれているか、解放してくれたと書いてあるかを調べると、政府の見解がわかると思うよ」と話した。優に1時間は話していった。
ここ何年か、大学生に話をする機会があり、そこで、改ざんされた歴史を真実と勘違いしている人が年々多くなっているのを感じる。でもまた、事実をしっかり提示すると、「始めて聞きました」とまじめに捉えようとする学生もかなりいる。そこに希望を見るのだけれど、公教育に携わる教員たちの姿勢が問われている。
2007年9月5日(水)
南大沢学園養護学校に。台風の影響で時折激しい雨が打ちつける。ちょうど登校時間帯は激しい降りで、生徒に「おはようございます」と声をかけるが、声がかき消されてしまうほど。近藤さんは、手作りのいつものゼッケンを着けて一緒に生徒を迎えてくださった。お近くにお住まいのCさんが、「これからは私も毎週立つわ」とおっしゃる。Dさん、Eさんもいらした。
雨がやんだ少しの時間は、いくつものクラスが外に出てきた。生徒は楽しそう。その生徒たちに声をかけながら、私、もうしばらくしたら中に入ってこの子たちと一緒にいるんだなあと想う。
7月までと同じように昼食前は、高等部の生徒が活躍する喫茶室に行ってゆっくりさせてもらった。
午後、小・中等部の下校が終わり、激しい雨の中座って仕事をしていると、落雷の音。早々に退散した。
2007年9月6日(木)
早朝、激しい雨の音で目が覚めた。予報では「午前中から雷」と言っていたので、鶴川に着いてすぐにそれでは行っても仕方ないかと思い、今日は「出勤」しないことにした。皮肉にも日中は昨日より、雨は静かだった。夕刻から激しい降り。明日の都庁チラシまき中止のお知らせを流した。
2007年9月7日(金)
もしどなたか来てくださってしまったら、と気になって、いつものチラシまきの時間に都庁に行ってみた。8時半、もう大丈夫と引き上げた。
★07.9.10.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=6
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