★〈日の丸・君が代〉の最前線から=4 根津公子

2007年6月11日(月)

 久しぶりの立川二中。

 今日も朝の短い時間しかいられないのだけれど、登校する生徒たちを迎えるだけでもと思い、学校に向かった。家を出るときには晴れていたし、今日は短時間だからと合羽を持たずに出発してしまったところ、立川に入ったところで雨が降ってきた。困ったと思いつつ、幸いにも強い雨にはならず、傘だけで何とかしのげた。

 登校する生徒たちと挨拶を交わし、また、北多摩高校に進んだ二中卒業生と挨拶を交わし、1週間の始まりを感じた。

 今朝は福岡から上京されているAさんが、時間を割いて校門前を訪ねてくださった。

2007年6月13日(水)

 南大沢学園に。

 気温がやや高めだけれど、湿度は低いらしく、日陰に入ると涼しい。さわやかな気候。

 私が到着すると間なしに、Sさん・Mさんが取材に来られた。Kさんは先週に続き、今日も子どもたちの登校時から来られた。「根津さんの解雇 『君が代』強制 やめよう」と書いたボール紙を胸につけて私の横に立ち、元気な声で子どもたちに挨拶をかけてくださる。彼は、「根津さんを応援している教員がいることを、校長たちに具体的に示すんだ」とおっしゃる。とってもうれしい。

 今日は朝からSさん、S2さん、S2さんのお友だち、大学生のTさん、そしてMさんと次々にやってきた。

 大勢だし、日差しも強いので、学校の隣の小山内裏公園の喫茶室に行った。メニューを見て、飲み物オール100円に皆歓声をあげる。一生懸命に実習に当たる生徒たちとあったかーい雰囲気のスタッフの方々とのやりとりが、私たちをも幸せにしてくれる。

 今日は喫茶室の半分で、赤ちゃん・幼児連れの若いママ・パパの触れ合い交流が繰り広げられていた。こんなに大勢の赤ちゃんを近くで見たのはとっても久しぶり。

 こういう空間に身を置く心地よさを感じながら、訪ねてくれたみんなで盛り上がった。

 下校の時間はいつものように見送りをした。

 今日は出勤・退勤時に「同僚」となる何人かから、うれしいことばをかけられた。

 「給料もボーナスも出ないんですか」(「もちろん出ません」)「ひどいですよね。それでも信念を貫かれて……ありがとうございます」

 「本当は私も座らなくてはいけないのに……。」「私たちにできることはしますから、言ってください」等々。

2007年6月14日(木)

 今日は鶴川二中を休んで、朝から国会に行った。

 午前中は、北海道教組の旗のところで座り込んだあと、参院文教科学委員会を傍聴した。子どものことが何も出てこない、茶番としか言いようのない質疑と答弁だった。教育関連法3(4)法を通過させてはいけない。

 午後も裁判開始の時刻を逆算して、座り込みをした。北海道教組は、連日、交替で年休を取っての参加ということだ。

 「日本政府は日本軍性暴力被害者に謝罪と賠償を!」と集まった大勢の人たちの国会前集会にも少し参加させてもらった。

 4時からは、「君が代」処分を受けた東京教組組合員10人で訴えた地裁の第一回目。たくさんの方が傍聴してくださった。

6月15日(金)

 都庁第二庁舎前でチラシまき。17名もの方が参加してくださった。

 今日は「教育改悪をみんなでとめよう! 全関西の集い実行委員会」のメンバー、KさんとTさんが幟を持って参加してくださった。「東京の『君が代』処分は、異常です。大阪では大勢が座っていますが、処分なんてされていません」「兵庫でも東京のような処分はありません」とマイクで訴えてくださった。

 都教委の「君が代」強制・処分、教育破壊に怒っている人は全国にたくさんいるのだということが、都教委の役人たちに伝わっただろうか……?

 その後は国会前に。今日も北海道教組の人たちが座り込んでいたので、そこに参加した。北海道の人たちは、東京の「君が代」処分についても非常に危機感を持っていられる。「君が代不起立」の映画もたくさんの方が見ていられる。

 今日は沖縄から、高校日本史の教科書検定で、「集団自決」をめぐる記述から「日本軍の強制」が削除されたことについて、沖縄戦の歴史歪曲を許さない! 県民大会実行委員会の代表の方々が、国会要請行動にいらしていた。

 署名提出(92338筆)、院内集会があると聞いて、参加した。高嶋伸欣さんの報告等をお聞きし、沖縄の新聞報道を見せてもらい、東京ではまったくと言っていいほど報じられていないこの間の動きを知った。

 帰宅して今日の朝刊を見ると、沖縄県議会が検定意見の撤回を求める意見書を可決する見通しであることが掲載されていた。しかし、沖縄での連日の報道に比して非常な温度差だ!

2007年6月18日(月)

 立川二中へ。

 生徒たちの登校が終わって、仕事を始めようとしたところに、Sさんの訪問。語り合った。

 今日出会った人たちは──。

 信号待ちで私の前に止まった車の窓が開き、40歳前後の男性が身を乗り出し、笑顔で手を振ってくださった。私も立って、手を振り、「ありがとうございまーす」と大きな声で答えた。

 2人目は、私より10歳ほど年長と見られる女性。プラカードを見て、私に話してこられた。「なぜ国歌を歌わないの?」「国歌なんだから歌えばいいじゃない」と。話してみて、そこはかみ合わなかったが、その女性、「でもこんな処分はひどいよね」とおっしゃった。

 「国旗国歌は尊重するもの」とおっしゃる方の中にも、「処分はやりすぎ」と感じていられる方は結構多い。

 3人目は、70歳前後と見られる女性。「随分長いねえ」とおっしゃる。初めての方かと思って尋ねると、「いつも見ているよ」と。「いったい国は何を考えているんだろうね」と言われたことに対し、私が「戦争したいんじゃないんでしょうか」と言うと、この女性、「えっ、戦争はいやだよ」と条件反射的に言われた。戦争体験がそう言わせるのだろう。

 4人目は、今春卒業したAさんのお母さん。今年はこの道を通られないなあと思っていたところでの出会いだった。お子さんの近況を伺ったりして、楽しいひとときであった。

 今日は定期テスト直前で、原則一斉下校。何人何組かが立ち寄って話していった。

 3年生のBさんは、「先生、治安維持法で捕まっちゃうよ」と言う。「治安維持法の時代と同じ、と私も思うよ」と私。彼はこうも言った。「卒業式の日の朝配っていた紙(チラシ)の歌の意味を見て、ホントにむかついた」と。彼は、チラシ回収隊のおじさんに渡さずに、今もこのチラシを大切に保存しているのだそうだ。

 校門の前で撒かれたチラシを、校門に入ったところでそれを回収する回収隊。無理に回収すれば、彼のように、そこから「なぜ?」と考える生徒が出現するのは当然のことだ。別れ際彼は、「がんばってください」と言ってくれた。

  二人連れの1年生。じっとプラカードを見ていて、「おかしいですよね」「がんばってください」と言う。「どういうことかわかるの?」と訊くと、「はい、わかります」。もう一人は、「軍国主義です。お姉ちゃんが言ってます」と。

 じっとプラカードを見る生徒に学年を尋ねると、どの生徒も「1年生です」。「何のことか知っているの?」と訊くと、大半が「知っています」。

 登校時に元気な声で挨拶をしてくれるのも、私のことを一応知っていてのことなのだと、わかった。

 他にも何人かが、「がんばってください」と言ってくれた。

 曇りの予想が外れ、晴天。アスファルトの照り返しがきつかった。

2007年6月19日(火)

 95年3月に嘱託採用拒否をされた田畑さんの裁判を傍聴した。当時の豊島区教委N室長への尋問、そして田畑さん本人への尋問と長時間にわたった。

  不採用の理由は、「田畑さんが仕事の意欲に欠け、社会性に欠けると判断した」というもの。「仕事の意欲に欠ける」としてあげた「事実」に、「補教をしない、拒否した」がある。

 原告代理人がN室長に、1年間に43回補教に当たったことを記録した出席簿のコピーを示し、「都教委に面接結果を具申する際に、43回の補教を知っていましたか」と訊くと、成田室長は「知りませんでした」。事実を知らずに、「意欲に欠ける」と判断し、都教委に採用しないよう具申したのだ。

 公簿に記録が残るものについてこの通りなのだから、記録が残らないものについては、やりたい放題の創作をしたことは、言うまでもない。

 また、室長が「社会性に欠けると判断した」のは、「採用に当たっての面接時に、田畑さんが許可も得ずにメモを用意し、時折メモをしていたから」と言う。

 よほどの偏見がなければ導き出せない結論だ。おかしいことをおかしいと主張する彼女への報復であり、はじめに結論ありきであったことが、傍聴していてよくわかる。

 再雇用採用を拒否されてから12年、田畑さんは闘い続ける。

2007年6月20日(水)

 南大沢学園に。

 Kさんは校長に、根津を支援する気持ちを書いた手紙を手渡そうと思って早朝からやってこられた。校長が出勤し、私と挨拶を交わしている2メートル後ろにKさんの姿があった。門の中に入っていく校長に私は、「この人は私と最近知り合った人です。校長に話をしたいとのことですから、聴いてください」と言い、Kさんも言い始めたが、校長は頭を下げると背中を向け、中に入ってしまった。その後Kさんは先週のボール紙ゼッケンを胸にかけ、私の隣で子どもたちを迎えた。

 ここに出勤する人たちを降ろしたタクシーがUターンしてきて、私の隣で止まり、後ろの扉が開いた。と思うや、運転手さんが「がんばってくださーい」と身を乗り出して大きな声で言ってくださった。うれしかった。

 出勤時に今朝も何人もの教員が労いのことばをかけてくださった。「Cと言います。ご苦労様です。何かできることがあったら、言ってください」と新たに声をかけてくださった方も。

 ほとんど人通りのない道だけれど、ここで人と待ち合わせていると言う女性が、「新聞で見ています。応援しています」と言ってくださった。

 また、来校された男性は、車を停めて出てこられ、「どこまでもがんばってくださいね」と言って行かれた。

 午前中のお茶タイムは、いつもの喫茶室へ。今朝初めてことばを交わしたCさんおすすめのアイスココアを注文した。なんたって、100円なのが、魅力。

 Uさん、SUさんが訪ねてくださった。

2007年6月21日(木)

 鶴川二中へ。

 「根津先生おはようございます」と大きくさわやかな声をかけてくれる何人かの集団。「オーイッ」とはるか前方から声をかけてくれる集団。「がんばってください」といつもの何人かに元気をもらい、今日も始まる。

 まったく私を知らない1年生の中に、私の挨拶に返事を返さない生徒が現れてきた。流言飛語を信じてしまう社会現象は、そのまま子どもの社会にも起きるわけで、この1年生たちも、信じ込まされ始めたのだろうか。

 この連鎖を断ち切るのに必要なのは、自分の頭で考えることを大事にする教育。

 しかし、自分の頭で考える教育と対極にある、国の考えを刷り込み、国に従順な人間をつくるための教育関連3(4)法が昨日成立してしまった。

 こんな社会状況だからなおさらのこと、私は私の受けた処分を、身体ごと晒し、発信していく。

 通りかかった2人の方が会釈をしてくださった。どちらも初老の方だった。

 せっかくの休日を使ってSAさんが訪ねてくださった。こんなにゆっくり話しをしたのは初めてのこと。75年生まれの彼女と感じ方考え方がびっくりするほど似ている。話せば話すほど、そのことがわかった。いいひとときを過ごさせていただいた。

 少し遅れて聴講へ。

2007年6月22日(金)

 都庁第一庁舎前で8時から1時間、チラシ配り。

 今日も14人の人が集まってくださった。大勢で配ると活気づき、チラシの受け取りもいい。都庁の中からも声をあげてほしい! と思いながら、訴えた。

 ちょうど終わろうとするところに、富山に「全国行脚」に行っている河原井さんから電話が入り、河原井さんからの「ありがとう」をみんなに伝えた。

2007年6月25日(月)

 立川二中へ。

 梅雨空。今日は定期テスト、子どもたちの声さえ聞こえてこない。

 午前中は、土曜参観の代休というのでSさんが訪ねてくれた。

 昼過ぎ、本を読んでいると、「先生、またかね」と声がする。私もすぐにわかった。「まあ、おじさん、お久しぶりです。お元気のようですね」。昨年も一昨年も通院のためにここを通られ、いつも長い時間私のところで道草を食っていかれた80歳に近いOさんだった。今年は初めての出会い。今日も長い時間あれこれ会話をし、「先生、(話をして)少しは元気になったかね? 応援しているから、がんばるんだよ」と言って、病院に向かわれた。Oさん流の癒しをあり難く受けた。

 そうこうしているとすぐに下校時刻になった。「雨降っているのに大変ですね。がんばってください」と3年生の一団が下校する。1年生の集団に「テストお疲れ様でした。がんばれましたか」と声をかけると、「はい、できました」という声が返ってきたり、にっこりしたり……。

 下校する生徒たちを見送ったところで、私も「退勤」し、会議のために都心に向かった。

2007年6月27日(水)

 A大學の授業に招かれた。

2007年6月28日(木)

 鶴川二中へ。

 学校の少し手前で毎朝お会いする女性といつものように挨拶を交わした。いつもそれだけのことだったが、今朝はその女性が、「何かの調査ですか」と訊かれた。私が座っているところもプラカードも見てはいらっしゃらないので、1年間不思議に感じていられたようだ。わけを話すと、「抗議していらっしゃるんですね。立派ですね。がんばってください」と言ってくださった。

 今朝は登校するTさん親子とも会うことができた。Tさんはここで知り合ったかわいいお友だちである。4月にTさんがプレゼントしてくれた桜とたんぽぽがきれいにドライフラワーになっていることを手紙かメールで知らせようと思っていた矢先の対面。そのことを告げると彼女もにっこり。素敵な1日の始まりとなった。

 校門の前に立ち挨拶の声をかけていると今朝もかなり遠くから、「おー」と声をあげながら登校してくる数人の一団。立ち止まって、「強制は反対だよね。おれも強制されるのはいやだ」「おれたち、ねずみの仲間。がんばれ!」と言って行く。3ヶ月前との違い。何をきっかけに彼らは、このように思い始めたのであろうか…と思いつつ、とにかく、彼らに考えるきっかけを提供できたのだと思った。

 9時少し前、牛乳運搬車が止まった。いつものように挨拶を交わす。とっても感じのよい、健康的な初老の男性で、荷降ろしの前後に毎日挨拶を交わしていた。いつもはそれだけだったが、今日は互いのことを少しおしゃべりした。

 おじさんは朝3時半には仕事を開始、夜7時まで15時間こうして配送、荷降ろしをされているのだという。働けるうちは働くんだと、とっても前向きの方。やっぱり印象どおりの、人間性豊かな方だった。

 Bさんから私のことを聞かれたTさん、Mさんが訪ねてくださった。3人は、学区に住まわれる若いお母さんだ。「Bさんから聞くまでは、『日の丸・君が代』のこと、考えたこともなかった」とおっしゃる。そういう方が、考えたこともなかった分野の扉を開けてくださるのはとってもうれしい。

 10時からは鶴川の、若い人たち主催の集まりに。そして午後は聴講に。

2007年6月29日(金)

 都庁第二庁舎前でチラシ撒きとマイクでの情宣をした。今日は映画「君が代不起立」をご覧になって、また、集まりで私の話しを聴かれて、応援しようと参加してくださった方がお二人。TiさんとYさん。

 大阪からは、チラシまきのために夜行バスで上京してくださった方がいらした。初対面のFさん。事故による渋滞に2度も巻き込まれ、チラシまきには間に合わず、とっても残念。交通費だけがかさんでしまわれたが、お気持ちがうれしく、励まされた。

 停職3ヶ月が過ぎようとしている。河原井さんは、今日も「全国行脚」をしているが、来週から学校に復帰だ。9ヵ月後、都教委に私を解雇させはしない。

2007年7月2日(月)

 立川二中へ。雨。

 登校時、走り寄ってきて「先生、まだですか」と1年生。月が変わったのに……と思ったんだろうか。「まだまだよ」と答えると、「がんばってください」とぺこんと頭を下げて友だちの中に入っていった。

 車の中から2人が、自転車でも2人の人が手を振り、あるいは頭を下げ、声をかけて通って行かれた。いつもの70歳近くの男性、そして70代くらいの女性と挨拶を交わす。こんなちょっとしたことが、心をほんわかさせてくれる。

 ぼーっとしていると、通りかかった青年がバイクを止めて、「先生、ぼく石川中の卒業生です」と言う。「う……?」と首をかしげると、「Aです」。10年近く経ち、スマートになっていたので、わからなかったが、目を見ているとすぐにかつての顔が浮かぶ。仕事の途中なのだと言う。「まだこういうことやっていたんですか」──「アッタリ前でしょ」。「元気でね!」と互いに言い、後姿を見送った。

 普段は部活で早くに登校し、私とは顔を合わすことのなかった生徒が、早くに下校すると言う。「何をしているんですか」と訊いてきた。ざっと説明をすると、「強制は私もいやです。それで処分なんて、変ですよね」としばらく話していった。

 北多摩高校は今日がテスト第1日目で下校が早い。ここに進んだ卒業生のBさんが、わざわざ立ち寄ってくれた。気遣いが心に沁みる。

2007年7月4日(水)

 南大沢学園養護学校に。今日も雨模様。

 今日は特記すべき日となった。1ヶ月前からここに来てくれている「君が代」被処分者とは、八王子5中夜間学級の近藤さん。今朝は私が「出勤」した7時35分にはすでに到着していた。彼は、下に示す「根津公子教諭の解雇を避けるための要請書」を前回校長に手渡そうとしたが、受け取ってもらえなかったので、今日こそは渡したいと思って、早くに来てくださっていたのだった。

 7時52分、校長が歩いてくる。近藤さんは校長に名を告げ、挨拶をし、「校長に読んでいただきたいと思い、手紙にしてきました。受け取ってください」と渡そうとしたが、校長には歩を止めて対応する様子が見られない。「待ってください」と2人で何度か言うと、やっと一瞬歩を止め、手紙を受け取った。そして、そそくさと玄関に入っていった。

 「外に開かれている学校」などと都・市教委は言うが、開かれる対象はしっかり校長・教委が選別している。

 近藤さんが、意思表示をしてくださったことにとっても感激し、励まされる。

 彼の校長宛手紙は──

                             2007年7月4日

 南大沢学園養護学校

 学校長 様

                         八王子市立第五中学校夜間学級

                            近藤順一(被処分者)

    根津公子教諭の解雇を避けるための請願書

 

 貴校の根津公子教諭は、現在、不当にも東京都教育委員会より停職六ヶ月の処分を受け、正常な校務が遂行できない状態にあります。処分の理由は、私と同様、卒業式における国歌斉唱時に不起立・不斉唱を行ったこととされています。根津教諭の行動は、卒業式を混乱させたり教育活動を妨害することではなく、生徒や保護者をはじめとする卒業式参列者の思想及び良心の自由が守られること、特に生徒諸君が自ら考え行動することの大切さを訴えるものです。このことを根津教諭は一貫して述べています。私たち、公務員は、憲法九九条にもあるように、この憲法を擁護し尊重する義務があります。私たち、教育公務員が生徒の学習の自由、自由な思考を保障することこそ、その義務の根本であると思います。

 学習指導要領に国旗、国歌を「指導するものとする」とあるのは承知しています。国旗、国歌(日の丸・君が代)については、「国旗、国歌法」が成立してはいますが、その歴史的評価や国際的評価について、日本国内外において様々な見解があります。そこで、学校教育の場でこそ、多様な意見が採り挙げられ、慎重に、児童・生徒がよく考えられるように提示される必要があります。貴校で学ぶ児童・生徒や、私の職場の外国人生徒には、特に丁寧に指導する必要があると思います。このように考えてきますと、儀式の場で、一律に外形を整えるのは、教育の本質に逆行していると思います。貴校の実態をぜひきかせてください。

 学校という社会のソフトな分野では、自由な意見、行動が最大限保障される必要があります。もちろん、私たちは、勝手気ままにやることはできません。しかし、その自由に対して、処分や、まして完全に身分を奪う解雇など、決してあってはならないと思います。

 私は、根津教諭が正常な校務に就けるよう、また、解雇されることがないよう次のことを要請します。

 1,停職期間中も、根津教諭が、貴校管理職と話し合いの場が持てるように取りはからってください。

 2,停職期間中も、勤務時間の内外を問わず、根津教諭が、貴校教職員と接触し、話し合いが持てるように取りはからってください。

 3,解雇処分がされないように、校長として執りうる措置を講じてください。

 

  以上、よろしくお願いいたします。

 

 今朝は次々に訪問者がやってこられた。近藤さんのほかに、報道関係のMさんにDさん、そしてSさん、Oさん、SUさん、Tさん。

 9時20分頃、校長が副校長を伴って私のところに来た。「用事はここで聞きます。何でしょうか」と。朝、近藤さんが校長に手紙を渡した際に、私が校長に「用事があるので後で校長室に伺います」と告げた、そのことで来たのだった。朝は何の反応もなかったので、さて聞こえたんだろうか? と心配だったのだが、聞こえていたのだ。返事くらいしてくれたっていいだろうに、と思う。

 「停職中は根津を校地に入れない」と堅く決めた校長は、今日も雨の中、外に出てきて私に対応した。4月に質問をした時も、その回答を告げた時も雨であったにもかかわらず、訪ねた私を外に追い出し、傘を差しての異様な対応をした。こうした対応は、私にはとっても滑稽なのだけれど、校長や同伴した副校長には滑稽に映らないのだろうか? と思いつつ、用件を話した。

 用件とは──。10日ほど前に私は公民館活動の講師を引き受けた。その謝礼(交通費込み)が支払われるということで手続きをする際に、公務員の兼業兼職との問題が生じるかも知れず、市にその旨伝えた。そこで結局は、私が校長に事後に申請をすることにし、その日以降で初めて校長に会った今日、校長にこれまでのいきさつを説明し、申請を申し出た。

 しかし、回答は「事前申請」だと譲らない。「かつて市の講師を引き受けた時には、市と校長との間で話しは済み、私が申請する必要はなかったので、体験上私は、その認識にあった」ことを話し、「事前に校長から説明を受けていなかったのだから、事後申請を校長の裁量で認めてほしい」と要求したが、にべもない。

 「1つ目、事前申請ではない。2つ目、停職期間中。3つ目、申請しても許可しないことがある。内容によって判断する」と校長は繰り返し、私の話しはまるで聴こうとしない。「2つ目」がどういう意味なのかを訊いたけれど、「事実を言っているのです」と言うのみ。さっぱり関連性が理解できない。理解させるつもりなど、そもそもないようだ。

 「では今回、どうしたら、事後申請が可能となるか」と訊いても、「ありません」。そして引き上げていった。校長からも副校長からも、冷酷さしか感じられない。

 訪問者を公園の喫茶室に案内した。みんな、ゆったりした時間の流れと、おいしい飲み物オール100円に喜ぶ。

 午後は多摩中裁判。

2007年7月5日(木)

 急用ができてしまい、鶴川に「出勤」することを断念した。訪ねてくれる人がいらしたら申し訳ないと思いつつ、すでに朝。どうすることもできなかった。

 SAさん、Mさん、Sさんが訪ねてくれてしまった。ごめんなさい。

2007年7月6日(金)

 都庁第一庁舎前でちらしまき。今日も、初めての参加者が4人。Iさん、Sさん、Yさん、Aさん。総勢18人。皆さん、お忙しい中、時間をやりくりして駆けつけてくださる、そのお気持ちが心に沁みる。とっても励まされる。

 今日からは新品の、会所有のマイクで訴えた。長い闘いになることは間違いないし、いつでもどこででも使えるように、会でマイクを買おうとしていたところに、Fさんから代金カンパの申し出があった。ありがたく、乗らせてもらった。Aさん、今まで貸してくださって、ありがとう。

 今朝はちらしの受け取りがとってもよかった。それをみんなが実感した。Oさんは4回も「ください」と言われたそうだ。
07.7.13.
〈日の丸・君が代〉の最前線から=5
〈日の丸・君が代〉の最前線から=3


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