| ★東アジア共同出版『東アジアに新しい「本の道」をつくる』 | ![]() |
中国、韓国、台湾、日本──私たちが共有する「本の文化」は存在するのか? という問いに答えるべく、一冊の本が刊行された。
この本の袖には、つぎのように書かれている。
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富田倫生と青空文庫──電子空間の心優しきアナーキストたち
ネット空間の「理想の図書館」■
ノンフィクションの書き手として活躍していた富田倫生氏 (1952年生まれ) にとって、1990 年代は、堕ちていった絶望から、再び希望へ向かって上昇するに至る、ジェットコースターのような 10 年であった。
絶望のはじまりは、それまでの仕事のすべてを放擲 (ほうてき) することを強いるような難病にとりつかれたことである。入退院を繰り返すなかで、アメリカのソフト企業、ボイジャーが開発したばかりの電子本「エキスパンドブック」に出会う。1991 年のことである。これが希望のスタートになった。
このソフトを使えば、テキストを電子化して、コンピュータにとりこみ、ページを動かしながら読む「本」みたいなものができるという。
だったら、自分がかつて書いた本を、電子本にすればずっと残るじゃないか。築き上げてきたキャリアを「手じまい」しようとしているライターとして、それは自然な思いだったにちがいない。
病状が安定したこともある。富田氏は、80 年代に精魂込めて書いた、日本におけるパソコン誕生の歴史『パソコン創世記』について、あらためて取材をしなおし、フロッピーと CD-ROM で電子化する作業に取りかかった。
折りしも、パソコン通信の時代を経てインターネットの普及という、メディアの革命がはじまった。95 年のウィンドウズ 95 の登場を受け、変化は加速する。「土砂崩れが起きた」と、富田氏は、当時の自分を取り巻いた状況について述べている。
取材対象の証言を文章にしても、その証言自体がすでにネット上にあって、だれでも簡単にとりだせるようになりつつある。どんなに「えらそうなこと」を書こうと、ウェブを渉猟すれば、化けの皮が簡単にはがされてしまう。
「紙でも電子でも、背景にインターネットがあり、みんながウェブの構造をつくるのに参加している。すべての著述はネットワークの背景のなかに登場せざるをえない」と富田氏は述べる。
自分の本を電子化するという念願は、ともかくもかなった。しかし、富田氏の視野は、すでに「拡張」されていた。本という強力な言語テキスト。電子環境のなかで、これに新しい生命を与えられないか。本が未来に生きる可能性を、ネットのなかに見出せないか。
いったん物書きとして頓挫を経験させられた者にとって、それは自らの生の証しにもつながるにちがいない。
富田氏は、「空はだれの上にもいつもある。空を見上げるのに、年収も地位も関係ない。見上げようとする意思さえあればいい。同様に、どこかにだれかが電子化してファイルを置けば、自由に、対価を求められることなくそれを読める環境がつくれるのではないか」と、そのイメージを説明する。
インターネットという青空に展開する電子図書館「青空文庫」Blue Sky Collection (www.aozora.gr.jp) の、これが思想的原点である。そして、富田氏は、創設から現在まで、その中心にいる。
「本が読みたい」と思い立ったら、その場でネット空間を小走り。入館証も入館料も要らない。「青空」の作品のリストを巡り、読みたいファイルをダウンロードすれば、いつでもどこでも読めてしまう。それは理想の図書館に限りなく近い。
ここで公開されている作品は 3439 点(いずれも日本語。2003 年 12 月 12 日現在)に達し、サイトには、毎日 9000 近いアクセスがある。
500 人以上が協力して■
もっとも富田氏は、自分が「青空文庫」の発足に直接関わるとはじめから考えていたわけではない。
何気なく、「そのうち電子図書館ができるようになるよ」と、当時ボイジャーの兄弟会社、ボイジャー・ジャパンの社員だった野口英司氏(1962年生まれ)に、見通しを話した。すると打てば響く感じで、「なるよ、とはなんですか。しましょうよって言ってください」と返されてしまう。97 年の 2 月のことである。
野口氏も、「エキスパンドブック」で読んでもらうためのコンテンツを探していたのである。同氏の一言が、引き金となった。その結果、富田氏はあっけなく傍観者から当事者へと押し出された。身近な人たちに声をかけ、青空文庫を立ち上げたのが、その夏である。
著作権法によれば、著作権者の死後 50 年で著作権は切れる。その後は、なんの制約も受けずに作品を「共有」できることになっている。そこで、この著作権切れのものを集中的に公開することにした。
これについて、富田氏の考え方を聞くことにしよう。「人間の知識は、大きな文化の流れのなかから生まれてくる。そのなかで人は本を書く。だから、それを売ることで出版社が成り立ち、著作者の生活が支えられるだけでは完結しない。いつか本は文化の流れのなかに戻されて、みんなの共有物になることが望ましい」
50 年で権利が切れる規定は、そうした期待が著作権法にこめられていることを示している、と考える。そこで、本を共有に戻す作業を担い、知の遺産を未来に引き継ぐ仕事の一端を引き受けようというのである。アメリカではすでに、「グーテンベルク計画」など、同様の試みが 70 年代初頭からはじまっている。
コンピュータによる複製が、紙の本の場合と、決定的にちがうのは、コストがかからないことである。そこで、これを無料で提供することが、最初からの大原則となった。
また、スキャンによる画像データとして「保存」する手法はとらないで、入力しテキストファイルとして貯めていく。あくまで読んでもらうための図書館なのだから、将来解像度が高く読みやすい装置が登場すれば、読み手が自由に変換できるようにしておきたい。それにテキストなら、点字にもなり、音声にもできる。
当初のメンバーだけで入力もおこなうつもりだったが、「意外なことに」次々に協力者が現れた。その数はいまも増えつづけている。入力、校正、ファイル加工などの実務を担う人々は「工作員」と呼ばれ、2003 年 9 月 8 日現在で、海外在住の日本人も含め 563 人にのぼる。なかでも、この「文庫」をしばしば利用させてもらったから、恩返しをしたいと言ってくる人がいちばん多いという。
入力されたテキストは、日々送信されてきて、やがて校正作業を経て公開される。富田氏ら言い出しっぺの数人は、「呼びかけ人」として、文庫全体の運営にまわっている。予期しない成り行きであった。
さらに、青空文庫が開館してから半年後、思ってもいなかった申し出が舞い込む。
JIS (日本工業規格) の文字コード作成委員会のメンバーからの電話で、漢字コードの改定に協力してほしい、というものであった。コンピュータ用の漢字コードにない外字に対応するための改定に際し、古い文芸作品などでの使用例に基づく外字データの提供を求められた。
結果、2000 年にまとまる改定に貢献することができた。「こんなチャンスはないよ」と富田氏が強調する通り、それは、漢字という言語文化の本流に直接関わる仕事であった。日本にかぎらず、漢字を共有する文化伝統全体への、小さな、しかし確かな寄与になる。
ひとりの人間に芽生えた思いが、形を成し、本と文字の未来に、なにがしかの影響を与える。
新しい共同作業の方法■
2003 年の日本の夏は、いつにない涼しさであった。それでも暑い日がなかったわけではない。そんな一日、横浜市の高台にある仕事場に、富田氏を訪ねた。
パソコンの画面に向かって座る同氏の背後の書棚に、プロレタリア作家宮本百合子の全集が異彩を放っている。これは、ある工作員の努力で、3 年近い時間をかけ、すでに完ぺきに入力されているという。
やがて、女性ふたり、男性ひとりが相次いでやってくる。前述の野口氏と、やはりスタート時からの参加者の八巻美恵子さん (1946年生まれ)、それに、広島からはせ参じた Luna Cat さん (1960 年生まれ) である。「呼びかけ人」は他に、浜野智氏とらんむろ・さてぃ氏がいるが、この日は所用で姿を見せなかった。
断っておくが、この場所は、青空文庫のオフィスではない。この電子図書館には、事務所がないし、これからも、その計画はない。こうして顔を合わせることもめったにない。
「他の組織の焼き直しでは面白くない。ルールとツールを共有する共同作業場をネット上に持っていれば、足りる。私たちの強みはなにも持たないこと。物理的なものに束縛されたくない」
と話す Luna Cat さんは、「青空」のデータベース化の先頭に立ち、最近これが実現した。おかげで、その後公開される作品の点数が急速に増えている。
財団からの援助、広告収入、IT 企業の協力など、わずかな支援を支えとする集合体には、決裁する人とてなく、延々とメールが往復し、喧嘩し、いつか決まる。すべてがこうして、遅々として、しかし確実に進んでいく。(この日も、論争になるとだれがいちばん頑固かをめぐり、しばしの論争があった)。
一時は専従のスタッフを置き、給与を支払った時期もあるけれど、いまではその道は捨てられた。
「なんにも知らずにはじめたところがいい。はじめに方針があったのでは動けない」と八巻さんが言うように、個人の発意が優先するやり方は、ずっとつづいている。八巻さんはさらに言う。「これからは、青空のテキストを使ってきれいな電子本をつくるとか、こういう気持ちで入力したという感想を述べるとか、楽しいサイトが周りにいくつもくっついてくるようにしたい」
かつて作業の中心にいた野口氏は、現在は青空文庫本体の仕事からは離れている。新しい技術のウェブログを利用して、他のグループとネットワークを構築する可能性を模索している。「『青空』ひとつでは、どんなに大きくなってもたいしたことないから」と語る。
目指すのはいずれも、集中ではなく分散である。そして、データベース化で身軽になった本体は、ひとり元気いっぱいに活動しつづける。これこそ、富田氏が夢見てきたという「永久機関」ではないか。
富士山が望めることもあるらしい、横浜のマンションの一室に参集した面々。彼らを、柔らかいアナーキズムを抱懐する心優しきアナーキストたちと呼びたい気がする。
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[2004.3.15.]
■■書籍データ
『東アジアに新しい「本の道」をつくる』
「本とコンピュータ」編集室 http://www.honco.jp/=編
トランスアート=発売
1905円+税
2004年3月8日初版