★激変! 食品スーパーはどこへ行く?

異なるタイプの店を並べる戦略■

 バブル経済華やかなりしころに、「第四山の手」という、懐かしい言い方があった。

 渋谷からつづく東急田園都市線が、多摩川を渡っていく沿線に展開する郊外住宅地。そこは東京の富裕階層が多く住むところ、最も新しい山の手ともてはやされた。相続税に締め上げられて、仕方なく都心を離れるお金持ちにも、理想郷と言われた。

 バブルが遠い記憶になったいまも、そのあたりが、憧れの土地であることには変わりない。

 プラットホームが多摩川の川面に突き出すかと思える二子玉川園駅。「夢のサバービア」(郊外)への、ここが入口にあたる。下車して、改札口を出ると、右手の高架下に「東急ストア」、左手には「プレッセ」と、スーパーマーケットがふたつある。

 前者はごくふつうのスーパーで、買い物の詰まったレジ袋を台に載せて、身支度を整え、さあこれからバスに乗って家へ帰るかっという感じのおばちゃんたちがちらほら。蛍光灯もこころなしか暗めの気がする。

 ところが後者の「プレッセ」へまわると、印象が一変する。明るくカラフルな店内。棚にぎっしり詰まった商品には、ひとつひとつ説明カードがついている。見渡せば、カードの林立状態である。商品の解説あり、その材料を使ってつくる料理のヒントあり。

 調味料の並ぶ一角に立って、容器の数のあまりの数の多さに圧倒される。

 イタリア・トスカーナ産のバージンオリーブオイルの瓶を手に取ってみる。料理をほとんどしたこともないのに、牡蛎のブルスケッタがうまそうだ、などという連想が勝手に浮かんできてしまう。このオイルをパンに塗り…生牡蛎とバジルの葉をパンに載せて焼き…ふくよかな香りが鼻先に……。

 店の奥には、ワインが所狭しと並んでいる。プルスケッタにはやはりキリッとした白だな、などと「幻の食卓」が急に現実味を帯びるような気がするのである。

 まず夕食の献立を考えてから出かけていき、材料を調達する。これがふつうのスーパーである。しかし、ここでは、食材を眺めながら料理をイメージすることができ、楽しい飲食の場を思っただけで心が躍る。義務ではなくて、喜びとしての買い物ができそうな感じがしてくる。幸せな気分が溢れる「祝祭空間」である。

 じつは、これらふたつのスーパーは、どちらも「東急ストア」が経営している。もともとは両方とも同じ店であった。一方を、商品もサービスもワンランク上のこだわりを表現した「プレッセ」二子玉川店にして、オープンしたのが一年あまり前である。どちらの店も順調に売り上げを伸ばしている、という。

 日本のスーパー業界はいま、アメリカ最大のディスカウント・チェーン「ウォルマート」の影におびえている。西友を足がかりにして日本進出を果たそうとする、この巨大企業は、十数年前にはじめて食品部門を設けてから、急成長を遂げた歴史がある。この間だけで、ディスカウントストアと大型食品スーパーを合体させた「スーパーセンター」を 1000 店オープンしている。

 日本のスーパーマーケット業界の一方の雄、イオングループの総帥である岡田卓也氏(現・名誉会長相談役)は、業界紙の『日本食糧新聞』(平成 14 年 7 月 5 日) の対談で、次のように発言している。

 「(ウォルマートが、これだけの店を)日本で造ろうと思えばつくれないことはありません。『日本は違う』という話が常に出てきます。私は日本もアメリカもそんなに違わないのではないかと思っています」

 したがって、「東急ストア」の川島宏社長も述べているが、「ウォルマート流の世界を股にかけたバイイング・パワー(仕入れ力)で来られたら、日本では、どこもかないっこありませんよ」ということになる。

 それでなくても、ダイエーの行き詰まりが象徴しているように、コストを徹底的に抑えて安い商品を大量に売りつづけ拡大路線を走るという、これまでの行き方が、そのまま通じることには疑問が投げかけられている。

 ふたつの異なるタイプの店を並べるという、この戦略にも、「食品スーパー」が生き残りを賭けて、可能性を懸命に模索する姿が投影されている。

客主導の小売業への回帰■

 通常のスーパーでは飽きたらない客の要望や欲求を満たす食材を揃え、ひとりひとりの客へのサービスに心がける、このような店は、「高級スーパー」あるいは「グルメスーパー」などと呼ばれる。

 この新しい業態が最近、首都圏を中心にしてブームを呈し、新聞などでも、「みんなを一流シェフの気分にしてくれる」「個性重視で絶好調、ヒントはデパ地下」といった報じられ方をしている。

 大手スーパーのなかでも、西友の浜田山店が、こだわりの食材を柱にしながら同時に特売品も置く「フードマガジン」として再スタートした。すると途端に売上げが 1.8 倍になったという。大型再開発が進む六本木アークヒルズにも出店している。

 西友本社の永山竹敏氏(取締役・オペレーション担当)によると、「西友既存店へのチャレンジでもある。ここでうまくいったことは本体にフィードバックできるだろう」としている。

 「東急ストア」の「プレッセ」は、田園都市線のたまプラーザ駅周辺の住宅地、美しが丘に一号店がオープンしたのが 6 年前だが、最近 2 年あまりの間に増えて、6 店舗にまでになった。

 店内をめぐると、一般スーパーの「東急ストア」のほうには見当たらない松阪牛を販売している。客から 300 とか 500 とかグラム数を指定して切ってもらうオーダーカットの伸び率が高いという。

 商品名を出して失礼だが、このステーキをブルドックソースで食べようという物好きはいないわけで、当然、そのためのソースが必要になる。

 生の本マグロはどちらの店でも、刺身用に提供しているけれど、近海ものかそうでないかで分かれる。そこで、トロがワンパック千円以上か千円以下かが、こっちとあっちの分岐点になっている。

 白身の魚であれば、一般スーパーではよく出る養殖の鯛は影が薄くなり、ヒラメに人気が集まっている、といった具合である。

 全国どこのスーパーにもありそうなナショナル・ブランドの品は全体の商品の5割しかない。

 購買金額も高くて、ふつうはひとり 1500 円から 1800 円だが、ここでは楽に 2000 円を越える。3000 円も珍しくない。

 もっとも、高額商品や珍しい食材をただ豊富に揃えているだけというのでは、珍味の店と変わらなくなってしまう。

 「プレッセ」の商品調達を担当する北島愛二郎氏(商品本部・商品企画室長)が、次のように述べている。

 「この沿線に多い年収二千万クラスの高額所得者がどういう暮らしをしているか。どんな正月を迎えているんだろうか。誕生日ってどうやってるんだ。あるいは、クリスマスって、我々はケーキ買うけど、そうではないのか。暮らしをきちんと把握して、商品を提供していく。私などの生活とはまるでちがうわけだから、なかなかむずかしいですけど、それをしないとお客さんに満足していただけません」

 消費者の生活スタイルをよく研究し、それに合った商品を選びぬく。これは、スーパーが忘れていた感のある消費者重視へ回帰する姿勢である。

 この「一度お客を通す」という姿勢は、日々のサービスにも貫かれている。3 年前にオープンした田園調布店の柳田誠一店長は、客から、「豆腐よう」(沖縄の豆腐を泡盛に漬けて発酵させたもの) を入れてくれ、と求められたことがある。自分では聞いたこともない食べ物だったが、お客の声にはすぐに対応するのが鉄則である。探して、言われたとおりにしたところ、これがよく売れている。

 客は神様ではないかもしれないが、優れたアドバイザーであることはまちがいない。

 「たまたまではありますけど、売り場に立って、お客さんときちっと対話できること、これがいちばんですね」

 東横線田園調布駅にあるこの店は、初年度から黒字を記録し、87 店舗ある「東急ストア」のなかで、はやくも売上げの坪効率 3 位に上昇している、という。

 お客がわかってはじめて商売ができる、というのは、商いの本道である。

 「東急ストア」の川島社長は、昭和 30 年代の後半、まだ 27 歳のころに、渋谷で「スーパーストア」という高級スーパーの立ち上げに関わったことがあるという。当時なかなか入手できなかった洋酒類をはじめ、食材でもインドバターとかナンまでも揃えた、意欲的な店であった。

 外国人客が多く、そのため従業員たちが、始業前に英会話の特訓までして、接客術を学んだという。

 しかし、間もなく本格的な高度成長の時代に入り、「東急ストア」(当時は東光ストア) 本体のほうを多店舗化するのにエネルギーを集中しなければならなくなり、この実験も尻切れトンボのまま終わった。こうして、顧客本位のサービスの基本が忘れられていったという経緯がある。

 商品とサービスの両面で、原点回帰を試みているのが、現在の「高級スーパー」と呼ばれる業態にちがいない。したがって、これまでのスーパーのありかたへの反省から生まれた「高質フードマーケット」といった呼び方が、むしろ適切かもしれない。

 ところで、元祖「高級食品スーパー」というと、だれでもまっさきに、青山に本店のある「紀ノ国屋」を挙げるにちがいない。昭和 28(1953)年のスーパーマーケット創業以来、一貫して高級食品を扱ってきた。ここの紙バッグを持つのがステータスと信じている人もあるくらいである。

 この老舗は、バブルの崩壊でも影響を受けなかったというが、増井徳太郎社長は、今後「生き残っていくための方法」について、次のように力説する。

 「これからは、『損する戦い』だとだれかに言われたことがあります。農産物の安全性、高齢化、少子化など、消費者の利益をもっと考えなくてはいけない時代になっています。まず消費者が儲ける、お客さん主導の小売業に戻さないと、日本は世界から取り残されます」

 一年前に、渋谷の東急本店地下に、新たに出店した。その理由について、増井氏は、「他のお店と競合して、力試しです。そのなかで、我々がどこまで工夫できるか。喝を入れて、商品開発などをしながら、次の展開を考えていきたい」と語っている。

 老舗と言えども安閑とはしていられない、ということであろうか。

ファッショナブルという発想■

 「高級というのとはちがう。ウチの場合は、ふつうの値ごろ感があって、しかもこだわっている商品を扱う。ファッション・トレンドのスーパーと呼んでもらいたい」

 と言うのは、「クイーンズ伊勢丹」の田村弘一社長(現・会長)である。現在 15 店舗の小規模チェーンだが、あるいはだからこそかもしれないが、意欲的な試みをつづけている。

 可愛いキャラクターマークをつくり、10 年ときには 15 年に一度程度というスーパー業界の改装の常識に逆らって、頻繁に店内の模様替えを実行している。売り場の天井に食材の絵を大きく描いた店もある。「クイーンズ」ブランドのワインを販売し、売り場にはイタリア製の陶器が何気なく飾ってあったりもする。

 これらはすべて、「食はファッションである」という考え方から発しているのであろう。こうした田村氏の思想がいかんなく発揮されたのが、朝取り野菜の直売であった。

 発端は、都心を離れた調布店である。この店では、野菜から出る生ゴミを店の裏に集めて、堆肥にしていた。近隣に、減農薬や有機栽培で野菜を生産している、農家の若い跡継ぎがかなりいることを知り、この肥料を無料で提供した。その代わりに、つくった野菜を店で売ることにしたのである。

 もちろん、市場を通していないから、新鮮さと価格との双方で、客を喜ばせた。それまでは、近くの競合スーパーに、生鮮三品のうちで野菜だけがどうしても遅れをとっていたが、一気に追い抜いてしまった。

 この方式は、他の店舗にも拡大していった。野菜には生産者の名札をつけることにしたので、客のほうは、知った名前を見つけて親近感をおぼえるようにもなった。

 畑のない都心の小石川に新しい店をオープンしたときには、調布から野菜を直送している。客を喜ばせたのは、葉がついた大根であった。とりわけ、この葉っぱのおいしさを知っている世代には大うけとなった。

 こうして、自ら工夫してトレンドをつくりだしながら、消費者をひっぱっていく。いままでなかったタイプの「食品スーパー」の経営者が登場してきたことになる。

 それというのも、田村氏は、「伊勢丹」本体で、ずっと紳士物専門に仕入れや営業企画を手がけていたためである。そこで、ファッションの手法を食品の分野に取り入れた。たとえばネクタイをいかに売るかという発想で、大根を売っていく。消費者の購買意欲をかきたてるには、その気にさせる積極的な仕掛けを設けることである。

 「クイーンズ」へは 7 年前に出向してきた。当時は、「閉店計画ばかりがあって出店計画がない」企業で、業績が低迷し新入社員を採らないために、男性社員の平均年齢が 48 歳であった。社長になって半年あまり後に、世田谷区の団地内にある店のリニューアルを手がけて、たちまち売上げを 50 パーセント増やすことに成功したという。

 「そんなに投資はしていないんですよ。惣菜やパンをしっかり店内でつくり、魚の処理はオープンキッチンでする。酒は、一階から二階に移し、同時にワイン主体に切り換え、お客さんに強くアピールする。要はレベルを上げ雰囲気をよくする。店の雰囲気、これがポイントですね」

 この異色経営者の考え方の根幹には「マーケットは変わった」という認識がある。

 これまでの「食品スーパー」は、家で調理をするための素材をしっかり揃えておくことが根幹にあった。

 「しかし、いまの若い女性はちがいますよ。ヨーロッパへ行ったときに食べたパスタがおいしかった、ビネガーはどう、ワインはこう、というところから、出発している。だから、色、香り、手触り、そういった感性にぴったりの店につねにしていくことが、食品でも絶対必要だと思います」

 最近、高級住宅地の成城に出店した。ここには、「クイーンズ」の他店で扱っていない、たとえば隅田川畔・長命寺の桜餅を毎朝運び込むなどして、「成城らしい独自性」を強調している。今後はさらに自由が丘、高輪白金などの高感度地区へ出店をする予定で、「ファッショナブル・スーパー」の路線を追求していく構えである。

 たしかに、これまで「食品スーパー」の基本は、お客の生活のベースを支えるところにあった。

 紀ノ国屋の増井社長も、「惣菜にバラエティがあってよくても、お客様は何で評価をするかっていうと、やっぱりその素材がきちっとしているかしていないかですね。とくに野菜、フルーツ、あるいは鮮魚、お肉」と明言している。

 「高級スーパー」展開の先頭を走る「東急ストア」の場合も、北島室長が述べるように、「うちは家庭で料理していただきたいというところが基本ですから、素材から調味料までの品揃えがきちんとできているという形になっています。だから、生鮮を大切にしないとダメなんです」というところはベースになる。

 つくって食べる場としての家庭という、しっかりした柱の周りに構築されている「食品スーパー」という世界に、横合いから殴り込んでいるのが「クイーンズ」と言えるであろう。

日米、真正面から戦闘態勢に■

 「高級スーパー」論議の背景にあるのは、生活の形態と意識の多様化である。具体的に言うと、次のようなことではないか。

 家庭を持って家族とともに生活する形がマジョリティではもはやなくなっている。男女ともに単身者は増えている。

 また家庭があるからと言って、食事は家でするのが日常というわけのものでもない。仕事の性格などによってさまざまである。家族のひとりひとりの行動もまちまち。

 さらには、物質的にリッチな人だけが、リッチな意識や嗜好を独占するのではない。そこそこの暮らしぶりながら、贅沢の仕方を十分に知っている人たちは、海外への旅が盛んになり、あるいは情報が飛び交うにつれて、珍しくなくなっている。

 つまり、「リッチ」は、所得、居住地域、住まい、職業などとは、かならずしもリンクしない。だからこそ、かつてはほんのひとにぎりだった「高級スーパー」が、その中身はともかくとして、あっちにもこっちにも登場しているのではないか。

 その意味で、もともとからの「高級スーパー」のひとつ「成城石井」の石井良明社長が「バブルの終えんで、従来からの高級スーパーマーケットも終わった」という見方をしているのは、示唆に富んでいる。

 この店は、石井社長が 30 代の半ばだった昭和 51(1976)年にスーパーとしてスタートしている。以前から高所得者が多く住む成城の店として、自然に高級化の道を歩んだわけである。

 いまも、店内に一歩踏み入ると、集めに集めた食材がぎっしり。そのひとつひとつから、「さあ、おいしいですよ。買ってください、どうぞどうぞ」と言わんばかりの熱気が伝わってくる。

 お金にとりわけ敏感なこの街では、バブル期には、土地の値段が坪 1200 万円にまで急騰した。ところが、はじけると途端に 200 万へ急降下する。

 石井社長は「金持ちは崩壊する」現実に遭遇しながら、「大きな店はもう出せないな」と思った。成城の本店より広い二号店を青葉台に出店してまもなくのことである。
 しかし一方で、バブルの終わりは、モノの値段を安くする効用があった。高級食材の仕入値が 3 割から 4 割も下がった。そこで、いいものを安価に買うシステムをつくろうと考える。

 そのひとつが直輸入であった。海外の良質の食材を、手の届く値段で提供する。一時、輸入チーズの安売りブームがあったが、これも「成城石井」が仕掛けたものだという。

 おかげで、サンタンドレ(フランスの白かびチーズ)など、いまでこそ 700 円台の値札がついているが、もともとは 1600 円はしていたシロモノである。ニンニクの臭いがすることで「悪名」(?) を馳せているブルサン(フランスのクリームチーズ)になると、かつての 1200 円が、いまや 2 個 950 円の世界になっている。

 しかも、良品の選別には、かならずプロフェッショナルを配している。たとえば、この店の売りになっているワインの場合、専門に醸造学を学び北海道でワインづくりをしてきた「醸造学者」が責任をもって選んでいる。

 良質の商品が「大衆」にも手の届く値段になった一方で、実際に買って楽しもうという消費者が相当数育ってきた。これが、いまである。たとえば、ほんの十数年前でも、ボルドーの赤ワインに白かびのチーズを合わせる醍醐味を知っていた日本人は、ごく少数だったにちがいない。日本人のテイストは、急速に「リッチ」になった。

 「成城石井」は、こうして培った商品力をバックに、フルラインのスーパーマーケットとしてでなくても、少ない坪数で、立地に合った商品を提供する、表現は悪いけれど、「切り売り商法」をはじめたのである。

 平成 9(1997)年に、JR 恵比寿駅の駅ビルに出店した、わずか 45 坪の店は、「駅中コンビニ」として話題を呼ぶことになった。

 たとえば高級住宅地域といった、確固とした商圏に依存するのではなく、駅の乗降客の「流れるマーケット」から、「高級」テイストをすくいあげることで商いを成り立たせようとするものである。

 このコンビニ方式は、その後フランチャイズ展開されて、現在は、大阪・梅田にも進出している。

 間もなく「成城石井」は、温泉付きのレジャーランド化を進めている後楽園に、やや大きめの 180 坪の店舗で進出することになっている。この場合も、一般に半径 5 キロと言われる、従来の「高級スーパー」の商圏だけではビジネスとして成り立たないであろう。日々に流入するレジャー客をアテにしなければならない。

 日本の消費者の「高級」志向は、さらに、アメリカから高級フードストアを引き寄せることになった。

 6 月に、青山「紀ノ国屋」から至近距離に、ニューヨークの「ディーン & デルーカ」がオープンする。30 年前にマンハッタンの流行発信地区ソーホーで生まれたチーズショップから発展した店で、今回が、最初の海外進出という。

 本店は、高々とした天井に向かって、むき出しの柱が立ち上がり、壁は白タイル、大理石の床が頼もしい気分にさせる。ヨーロッパの市場のような雰囲気を漂わせている。

 レストランやカフェなどハレの飲食だけでなく、日常の食事にもこだわりを知るようになった日本人に、ひと味ちがうアメリカの食料品スーパーがどう受け取られるか。

 食の欲望は果てしない。もっとおいしいもの、もっと楽しいもの、もっと気持ちのいいものを求める心を満たすための戦いは、新たな次元に進もうとしていることを予感させる。

(『プレジデント』誌 2003 年 3 月 17 号掲載原稿に加筆)
[2003.4.28]


この記事のURLを友人・知人に知らせる

HOME自由意志購読BACK