| ★ビンラディン後のイスラム聖戦士新世代 |
日本人がイラクで人質になった事件で、「犯行」グループの名前が、これまで明らかになっているもののなかになくて、「だれがやったのか」見当がつかないという状態が、長くつづいた。
これは、イスラムの政治勢力あるいは武装勢力、あるいはジハードを目指すグループの多様性を浮かび上がらせることにもなった。
先月、スペインで列車が爆破されて、多数の人々が犠牲になる事件があった。これに、「イスラム過激派」が関与しているとされる。この事件の直後に、マイク・リンチというアメリカ人ジャーナリストが、『ウォール・ストリート・ジャーナル』に、タクフィル・ワル・ヒジュラという「新種のイスラム聖戦士」について、詳細な記事を書いている。スペインの事件を引き起こしたのは、彼らだという。
そのなかでリンチは、「新種」は、「旧種」に比べて、悪さの度合がさらに増していると述べている。また、武装闘争に女性の参加を認めるし、西側世界の寛容性や市民的自由を逆手にとる戦術もとる。
この記事の概要を以下に記すことにしよう。
*************************
タクフィル・ワル・ヒジュラは、北アフリカのイスラム・セクトで、アフガンのアルカイダから訓練を受けた。これまでのイスラム・ネットワークの外で活動しメンバーを集めている。ヨーロッパでは、大きな脅威になりつつある。タクフィルの運動はモロッコとアルジェリアが中心で、これら二カ国は、ヨーロッパへ多くの移民を送り出している。タクフィルの理論家たちは、移民はジハードを進めるための「トロイの馬」だと、公然と認めてもいる。
オサマ・ビンラディンによる支配がバラけるにつれて、新しい過激派が、周辺で動きはじめる。ビンラディンは反米あるいは嫌米からジハードを唱えているのだが、新しい勢力は、その範疇を越える。背教イスラム国家やアメリカだけでなく、セクト以外のすべてをジハードの潜在的な対象と考える。スペインの列車爆破はイスラム・テロリズムの変容を示しているかもしれない。「アルカイダ 2.0」という表現を使う専門家もいる。
これまでのイスラム過激派というと、長いヒゲをはやして、信仰にこりかたまり、周囲から超然としているというのが常識だが、新世代の聖戦士は、一般社会とうまく混じり合う。ジハードという究極の目的達成のために、二重生活をするのはいいことだとされる。
したがって、外面的にはふつうの生活をしているけれど、深いところで、中世以来の純粋イスラムの教えに忠実であろうとする。身の安全を確保するため、ヒゲを剃り、モスクにも行かない。彼らの信仰は、「そのとき」まで明らかにされることはない。
武装闘争に女性を積極的にリクルートする。これも在来のイスラムグループとはまったくちがう。かつては、女性は保護の対象であって、共に戦う同志ではなかった。スペインの列車爆破でも、犯行を幇助したとして、モロッコ女性ひとりが逮捕された。過去 3 年、スペインではイスラム・テロリズム関連で 60 人あまりが逮捕されたが、そのなかに、女性はひとりもいなかった。
タクフィル思想の発端は、1970 年代のエジプトである。81 年に当時のサダト大統領の暗殺で、一躍有名になった。(ただし、現在のタクフィルとは関係がないらしい。) 80 年代を通じて、アフガン戦争の間に、そのイデオロギーがひろまり、イスラム聖戦士たちによって、あらためて北アフリカに持ち帰られた。
タクフィルは、イスラム教に関して、厳格な解釈をするが、信仰を再確認するために、固有のルールを破ることを奨励し、それが人気になっている。西側のライフスタイルを受け容れているように思わせることとともに、そうした柔軟性が煙幕になって、警察当局に察知されにくい。その結果、タクフィルは民間人をターゲットに選んで、それぞれの国で最大の政治的インパクトを与えることができるのである。
なお、タクフィル・ワル・ヒジュラとは、悔い改めと逃走、つまり「罪を悔い改め、罪深い世界から逃れる」の意である。
*************************
イスラムのジハードが、対アメリカを超えて進んでいること、さらに、宗教原理に忠実なラディカルたちがいわゆる民主主義社会の内部に根を下ろし不可視の存在になっていることを、この記事は伝えている。
このような状況のなかで、イラクに自衛隊を送り込むという敵対行為が、日本社会にどんな影響を及ぼすか。その答えは明らかなはずである。我々ひとりひとりが、いっそうの危険にさらされるだけだということではないか。
状況を好転させるには、道はひとつしかない。発端に戻ることである。欧米列強がアラブ世界に侵入しつづけてきた歴史を精算する。そして、彼我が同じ平面に立つ。お互いに信じるところを認め合い、それぞれの生活スタイルを尊重する。そこから出発する以外にないであろう。
一律の進歩というものに対する拒絶と拒否、これが、アラブが欧米あるいは日本へ突きつけているメッセージの中身である。アジアはすでに欧米の要求に屈して、その隊列に引きずり込まれた。日本も韓国も、そして中国も。アラブは執拗に抵抗する。そして、進歩を奉じる社会を内側から瓦解させようとさえしている。いま暮らしている社会が少なくともベターだと、我々が考えるならば、まずアラブから手を引くことである。
彼らには彼らのやりかたがある。あるいはそっちのほうが優れているかもしれない。
★
[2004.4.16.]
![]()
この記事のURLを友人・知人に知らせる
│HOME│自由意志購読│フレームを外す│BACK│