イスラエルは、なぜこれほど強硬に、パレスチナ人の抑圧を実行しつづけるのか。その執拗な力の行使には、理解を越えるものがある。それは、一方で、パレスチナ人の抵抗のすさまじさについても、言えることではあるけれど。
イギリス・エグゼター大アラブ・イスラム研究所長で、自らもパレスチナからの難民であるガーダ・カルミが、ロンドンの新聞『ザ・ガーディアン』で、イスラエルの強硬策の根にあるものをコメントしている。
その概要をメモすることにしよう。
イスラエル軍のラジオ放送で、国防次官が。「パレスチナ人、イスラム全体そうだが、遺伝子欠陥があるんじゃないか」と発言した。
こういうことを言うのは、シャロン首相をはじめとする強硬派政府だからであり、穏健派に代われば、またオスロ合意の地点まで戻るはずだと、イスラエルの立場に好意的な人々は、考えるかもしれない。しかし、問題はだれが強硬で、だれがそうでないかではなくて、シオニズムという思想自体にある。
この点について、最近、イスラエルの歴史家ベニー・モリスが、直截に述べてイスラエル国内やイギリスで注目を集めている。
イスラエルというユダヤ国家は、人種浄化なくしては、これまでも、それ以上にこれからも存在しえないと彼は主張している。人種的に純粋な国家、これがシオニストの求めるものの基本である。したがって、パレスチナ「原住民」は、この目的のための障害になる。1948 年以前から、パレスチナ人の「移送」はシオニストの考え方の中心にあった。30 年代から具体的なプランも提示されていた。これがやがて、48 年のパレスチナ人の難民化に至ったのである。
モリスは、この過程を、イスラエル政府の公文書によって記述している。
シオニスト側は、アラブが攻撃してこなければ難民はなかったと主張する。実際には、戦争がはじまってわずかに 2 週間で、パレスチナ人の 3 分の 1 が難民となった。私の家族もそうだった。大半は追放されたのである。あの戦争は内と外との戦いというよりも内戦であり、一挙に脱出していく理由として、外からの攻撃だけを挙げることはできない。アラブ軍の装備は圧倒的に優れたシオニスト軍に比べて劣っていた。それでも、パレスチナの領土が完全に占領されるのを食い止めることはできた。
シオニズムは、パレスチナ人のいないパレスチナをずっと目標にしてきた。彼らが問題にしているのは、「人口統計学的脅威」であり、どんなに抑えつけても、パレスチナ人はあふれ、こぼれてくる。
最近の世論調査では、イスラエル人の 57%がアラブ系の移送を支持している。
西岸地区に建設されつつある、高さ 8 メートルの巨大な壁の背景には、このような事情が介在しているわけである。パレスチナ人を抑え込みたい。カゴのなかに入れるようにして閉じこめたい。モリスは述べているが、シャロンが昨年 12 月に、西岸地区の 40% から一方的に撤収すると述べたことも、彼の部下が、「人口統計学の故に」仕切り壁の必要を訴えたのも、この線に沿っている。ところが、問題はなくならない。イスラエル内部でもアラブ系市民の比率は 20% になり、増大をつづけている。2010 年には、イスラエル・パレスチナ全体で、アラブ系が多数を占めることになるであろう。
そこで、シオニストの選択肢はなくなりつつある。「我々の生命を脅かそうとする蛮民」をやっつけられるのは、力だけだと、モリスは主張する。彼がアラブ人を蛮民と呼ぶのは、彼らには「道徳的節制がまるでない」からであり、イスラムでは、「人間の命の価値が欧米と同じではない」からである。冒頭にあげた「遺伝子欠陥」に、この発言は重なるであろう。そこで、劣れる民の権利が、ユダヤ人のそれと同じであっていいのか、という問いになる。パレスチナ難民が故郷に戻る権利は当然であり正しいと、モリスも認めてはいる。しかし、その権利は、現在イスラエルに住むユダヤ人の生命と幸せとを秤にかける必要がある、とも。つまり、ユダヤ人の自主権は、パレスチナ人のそれに勝るのであり、後者の犠牲において行使されうるという論理になる。
モリスは、シオニズムの核心を述べている。イスラエルの建国は、たしかに、パレスチナ人の苦難を引き起こしたけれど、高貴なる目的のためだからしかたがないのだというのが、彼の主張である。さらに、ユダヤ国家を維持するためには、ほとんどの行為が認められるのだという、道徳的正義への揺るぎない確信。ここに危険がある。巨大な軍事力を持ち、どんな相手とでも手を組み、資源を強奪し、侵略し占領し、抵抗を粉砕する。それもこれも認められてしまう。シオニズムは、けっして過去のものでなく、いま現在に力を振るっている。こうした基礎が健在であるかぎり、柔らかいシオニズムなどというものは本来ありえない。
しかし、強権と排外主義に明日はあるか。「このプロセスの終わりは破壊かもしれない」とは、モリスも認めている。
イスラエルに対して、妥協を求めることは、シオニズムに対する冒涜になるにちがいない。一方、パレスチナに譲歩を要求することもまた、彼らの信念を足蹴にすることになるはずである。
イラクでも、アフガニスタンでも、あるいは、インド、パキスタン、チェチェンでも、同様の衝突がつづいている。それらのプロセスの最後には、つねに破壊が見えている。
それは、「彼ら」自身の破壊を越えて、人間全体に累を及ぼすことは、9.11 以降の推移が証明している。 対立する双方に和解や融和を求めることは、易しい。日本の新聞の社説のように、自重を促すことも、むずかしいことではない。
しかし、和解も融和も自重もできないからこそ、事ここにに至っているのである。
「遺伝子レベル」にまで入り込んでいる対立であるとすれば、その根の深さは、想像を絶するものがある。そのことがきちんと認識されていないから、「仲直り」の提案やプロジェクトが出ては潰され、また出るという繰り返しになっている。
メディアの仕事は、錘を最深部へ向かって下ろしていくことにあるにちがいない。このパレスチナ人の、いわば絶望的なイスラエル観は、天気図を読んでの「天気予報」とはくらべものにならないインパクトをもたらす。
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[2004.4.26.]
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