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★40 代取締役<2>/「坊ちゃん常務」奮戦す
改装失敗のリベンジを■
じつは我々は、百貨店各店に連絡をして、40代取締役の所在をチェックしたのである。
結果、高島屋、東急百貨店、丸善、伊勢丹、阪神百貨店、三越、阪急百貨店、大丸、松坂屋、西武百貨店。以上 9 社にし、どこにも
40 代を見つけられなかった。変転きわまりない消費者の嗜好をときに追いかけ、ときにはリードするはずの百貨店業界の経営幹部が、50
代以上で占められる。これにはやや驚いた。
百貨店という業態の存続を危ぶむ声も出ているときに、貪欲に情報を吸収し、動き回って、トレンドにしっかりフックできる若手役員が必要なのではないか。もちろん若さが全てではない。しかし、長い経験や既存の知識にのみ頼ることの危険は、改めて指摘するまでもないであろう。先行きの見えてこない「いま」であればなおさらである。
百貨店の古い体質が、このあたりにも露呈していると思われるが、それでもひとりだけ、40代取締役にめぐりあうことができた。松屋の常務取締役
(営業副本部長)、秋田正紀氏(現在43歳)である。1999 年、ちょうど 40 歳のときに取締役に選任されている。
秋田氏は、我々のインタビューを受けた後、エレベーターまで送り出してくれながら、こんなことを言った。「他の取締役の方々は皆さん実力でおなりになった。だけど、私はそうではない。あとづけでがんばらなくてはいけない」
たしかに、同氏の百貨店歴は 10 年あまりしかない。しかも、松屋の現社長、古屋勝彦氏の縁戚関係での途中入社であった。さらに芦屋のお坊っちゃん育ちである。たしかに「実力」とは裏腹の材料が揃っている。失礼ながら、眉に唾状態にならないわけにいかない。
しかし、先入観ほどアテにならないものもない。経験や知識が少ないことがむしろプラスに作用する。新鮮なものの見方や考え方が、行き詰まりに穴をあけることがある。とりわけ百貨店は生活者と直接相対するビジネスである。それだけに、優れた生活感覚を持つ人物に権限が与えられるとき、可能性が大きく膨らむ。
「他とはちがう、松屋だけ」■
この数年、百貨店はどこも同じ、改装しても似たり寄ったりと言われ、同質化傾向が批判されている。これに対して、秋田氏が責任者のひとりとして断行した、2001
年春の松屋銀座リニューアルは、「他とはちがう、松屋だけ」の百貨店を標榜し、成功した。
一年経った現在、入店者数でリニューアル以前の15パーセント増、売上げで 12 パーセント増の「二桁」をつづけている。この現況に気をよくしてか、古屋勝彦社長は、従来は
10 年毎だった改装のサイクルを3年毎に短縮するという発言をしているという。
じつは秋田氏にとって、このリニューアルはリベンジであった。まだ取締役に就任以前の 98 年に、MD 統括部長として紳士服売り場の改装に関わり、失敗している。そこで、「高い授業料を払ってしまい、会社に大きな損害をかけた。これをなんとか取り返さなくては、という思いが強くあった」という。絶対に成功させねばならなかったのである。
リニューアルは、ふつう商品調達の都合などから、一年前には手をつける。その冒頭の会議に、秋田氏をはじめ、営業企画の担当部長、、銀座本店店長、同社のシンクタンクである東京生活研究所の所長らが出席していた。その席で、社長は「中途半端にやるな。過去を否定して取り組め」と、大号令をかけたという。
これを受けとめた秋田氏が目指したのは、従来からのいきさつにとらわれない、百貨店主導のリニューアルであった。それは、松屋のこれまでの店づくりのポリシーにも、取引先との関わりにも拘泥しないで、やりたいことをやりたいようにやることを意味している。
もともと呉服店から出発した百貨店が抱え込んでいるシガラミには根深いものがある。それがカセとなって、本格的な改革を邪魔していることが多い。しかし、この業界に途中から、しかも「特別待遇」で入ってきた秋田氏には、怖いものがない。
最良のスペースに、紳士物と女性もののセレクトショップを展開することを決めてしまう。一定のターゲットを対象にして、オーナーや店長の独自のこだわりで、服や雑貨を品揃えしたセレクト・ショップは、とくに「高感度おしゃれ」を自認する女性たちを魅了している。いままでは路面店にしかなかった、この形態を百貨店に取り込もうとする、これは大冒険であった。
さっそく、ある海外ブランドから横槍が入った。そのスペースはウチがほしい、と。しかし、「松屋の主義主張を明らかにするための場所だからダメだ」と、これをがんとして断った。いま、秋田氏は「あのとき譲歩していたら、と思うとおそろしくなる」と述懐している。
じつは紳士物のセレクトショップについては、大手取引先の社長から、「商売抜きで個人として忠告するが、絶対に失敗するからやめときなさい」と言われている。しかし、ここでも秋田氏は退かなかった。より慎重に計画を進めることにしただけである。
松屋銀座は、第二次大戦後の数年間、占領軍に接収され、PX (兵士と家族のための日用品販売所) になっていた。この接収が解除され、店を再開した時点から半世紀、ずっと売り場を持っている取引先がいくつか残っている。思い通りにリニューアルを進めるために、そのいくつかと取引停止にせざるをえなくなった。相手は「我々と手を切るんですか」と、信じられないという表情をしたという。
「百貨店には長い歴史があるから、縁を断ち切るのはむずかしいということはよくわかった」と言うが、だから改革を控えるのではない。スムーズに事を運ぶためにどうするか、そのノウハウを、こうした経験を通じて積み上げていくのだ、と考えるのである。
妥協なきリニューアルに突き進んだ秋田氏は、松屋生え抜きでないばかりか、もともと百貨店業界の人でもなかった。一方で、取締役として、大きな権限を持っている。しかも、百貨店の経営幹部としては群を抜く若さの
40 代である。そのうえ、会社トップの縁者でもある。
したがって、反対したり妥協や修正を求める声を封じるのに、秋田氏は絶好の立場にあった。言い換えれば、その力を十二分に発揮して、やりとげられる条件が整っていたということでもある。
皮肉なことに、百貨店という旧態依然の業界は、ここまでしないと大きく変わらないのかもしれない。
阪急電鉄で運転手を経験■
百貨店が低迷するなかで成功を収めた、松屋銀座リニューアルの中心人物、秋田氏の来歴をたどってみることにしよう。
「私はもともと保守的な性格で」と、小さく笑う 40 代取締役は、はじめ、生まれ育った関西に定住するつもりであった。だから、大卒後の就職先としては、大阪近辺に本社のある、転勤などしなくて済むような、しっかりした企業を選ぼうとした。その結果、阪急電鉄に入社したのである。
当時は、どのような学歴であろうと、現場から体験させるのが、この鉄道会社の方針であった。だから、3 カ月半、指導員について運転技術を学んだ。国家試験にも合格し、わずか一週間だったが、電車の運転士も経験している。
その後、経理畑を歩んで、30 歳過ぎの 1991 年まで電鉄マンとして過ごした。そこへ、松屋から転社の誘いがあった。実の姉が社長に嫁いでいた関係である。
松屋側から、数年後の高い売上げ予測を示されて驚いた。年間 7 パーセント程度の上昇がずっと見込まれているらしい。すでに関西の鉄道は乗客数が伸び悩んでいた時期である。だから、「甘い夢」を抱いて上京してきた。
入社すると間もなく、研修のため伊勢丹に送り込まれて、すぐに婦人服の売り場に立った。91 年 9 月のことである。バブルがまさにはじけたときであった。伊勢丹の売上げは、8
月までは前年を上回り予算も達成していた。ところが、9 月にどちらも前年割れという異常事態が発生した。「甘い夢」はたちまち吹き飛ぶ。
だれにとっても初めての経験であった。伊勢丹の担当者は、なぜだろう、と首を傾げつつ、売上げ確保のために、次々に手を打っていく。秋田氏は、この光景を傍らで見つめていた。「苦心されているのを直に見られたのは、いい経験になった。向こうからすれば、私なんか疫病神みたいなものですけど」
伊勢丹では営業スタッフも経験して、2 年後に松屋に戻った。その後、三菱銀行 (現・東京三菱銀行) の二ユーヨーク支店で、一年あまり、トレーニー
(研修員) として過ごす道を選択している。
金融実務を体験するとともに、ニューヨークに住んだことが、後に女性ファッションを手がける際に役に立ったという。また当時、バーニーズをはじめ、ニューヨークのデパートがつぎつぎにつぶれていくのにも遭遇している。これもまた、貴重な「現場」であった。
東京に戻るとすぐに、婦人服用品雑貨の部長として、最前線に立っている。ここから取締役に就任するまでの期間は、わずかに 4
年である。
秋田氏が、阪急電鉄から松屋にリクルートされた後の道筋をたどってわかってくるのは、明らかに、エリートとして、「促成栽培」されたという事実である。
これは、今後の経営者づくり、組織づくりという点できわめて示唆に富んでいると思われる。他の業種から優秀な人材をスカウトして、徹底したエリートづくりをするという道があるはずである。
老舗企業の起業家精神■
経営学の巨人、ピーター・ドラッカーは、在来の組織が生き残り、繁栄をつづけるためには、起業家精神を失わないことが必要だと述べている。新しい事業に乗り出す冒険と賭けは、ヴェンチュア企業だけのものではないのである。
その好例としてドラッカーが挙げているのが、カトリック教会である。この宗教組織は、ローマ教皇の下に、ふたつのミレニアム (千年)
を生き延び、いまも大きな影響力を行使している。それというのも、絶えず新しく、若々しいグループが生まれ、それが刺激となって、時代に即応した変革を遂げてきたからである。
創業 130 年を経過した松屋の秋田氏の役割もまた、ここにあるのではないか。持続するための新たな活力として機能している。
松屋はずっと、メンズのトラッドもので定評があった百貨店であった。丸の内のビジネスマン御用達の感があった。したがって、商品に変化が乏しく、内装も重い感じであった。
秋田氏らによる、今回のリニューアルは、これを一新した。レディスに大きなスペースをとるとともに、20 代の「準トレンドセッター」を標的にした売り場づくりに徹している。「おかげで、いままで松屋に来なかった、ファッションに敏感なお客さんが来て、百貨店の活気に目を向けてくれるようになった」という。
経営トップがハナから、この変化を求めて、秋田氏を導入したかどうかはともかくとして、結果として、変化は現実のものになった。店内のムードはまるでちがうものになった。
この 40 代取締役は、「私はファッションに特段強いわけではない」と言うけれど、この数年、春と秋のパリコレには欠かさず通いつづけている、という。「流れが感じられる、流れをつかめる」と。
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(『プレジデント』誌2002年8月12日号掲載原稿に加筆)
(2002.8.16.)
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