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★40 代取締役 <1>/売れない時代を戦う「営業担当」
女性下着メーカーの「怒る統括」■
総力戦の時代である。
10 年前バブルの終焉を中間管理職として迎え、前代未聞の逆風を真正面から受けながら、いま取締役の椅子を手にしている 40
代。しかし、彼らには安閑とそこに座っていることは許されない。
もはやかつてのように整序されたビジネス環境はない。だからと言って、新たなルールも確立していない戦国乱世である。覇権の行方は皆目わからない。
この混乱をきわめる状況をいかにして抜け出すか。その鍵を握るのは、過去の「光」を知り、いまの「影」を体感する立場にもある
40 代役員である。なかで、一丸となっての戦いをリードしているのは、企業に直接の利益をもたらす営業部隊の精鋭たちであることが確認できる。
永松忠氏(49 歳)には、「怒る統括」の異名がある。世界最大、日本国内 2 位の女性下着メーカー、トリンプ・インターナショナル・ジャパン(以下トリンプ)のチェーンストア統括部長を務め、2
年前に取締役に就任している。
「つまらない優しさは人の成長の邪魔をするんだ。教育的指導の厳しさが、結局本人の将来のためになる」という信念から、現場でしばしば怒りを爆発させる。自分が先に立って事を進めようとする姿勢がつねに前面に出て、「取締役らしくない」とも言われるわけである。
永松氏には、かつてダボハゼと呼ばれていた時代があった。それは、20 代の後半に入社したトリンプ九州営業部で、課長を務めていた
30 代のころである。
ダイエーをはじめとするスーパー各店に、売り場を確保すべく「スペースをもらう」までは食らいついたらけっして放さない営業の鬼であった。東京本社に移るまでの
4 年間に、スーパーの売り場を 31 店舗から 50 店舗に増やすことに成功していた。
突進して陣地を取り、売上げに貢献することこそ、営業マンの任務であり、責務であると、信じて疑わなかった。
九州から東京に転じた当座は、たしかに、イトーヨーカ堂、西友、長崎屋などなど、九州では名前ぐらいしか知らなかったスーパーチェーンと、一から付き合いをはじめなければならない苦労はあった。しかし、この程度のことは、時間が経てば克服できるくらいの経験を積んでいる。
ところが、1990 年代の半ばを過ぎて、思いもかけない事態に巻き込まれることになった。それはスーパー倒産の嵐であった。
女性下着にかぎらず消費物資のメーカーにとって、チェーン展開するスーパーを攻略し、販台を占領することは至上命令のはずである。ところが、倒産によって突如必要になってきたのは、逆に、撤退戦をいかに戦うかの戦略と戦術であった。それは、自社の商品と売掛金を守る「営業防衛」の戦いである。
スーパーには、ふつう 3 カ月分程度の在庫がある。大手メーカーになると、トリンプの場合で売上げベース 5 億円前後のリスクをつねに負っている。相手が倒産すれば、店頭在庫は不良債権として残ってしまう。まさかのときに備え、これをできるだけ少なくしたい。
この戦いの最初は、1997 年 9 月のヤオハンの倒産であった。早めに気配を察知した永松氏(当時、営業第二部長)は、自社のリスクを小さくする契約書をヤオハンと交わし直していた。この新契約に基づいて出荷を開始する前日に、倒産が現実のものになった。結果、トリンプは被害ゼロで乗り切ったのである。
こうして、「営業部隊は売ることが仕事のはずが、管理畑に入り込む」という方向に、事態は急転回していった。
長崎屋の危機に際しては、金融機関の公式発表がアテにならないことを思い知らされ、自前で集めた情報だけを頼りにするしかないことを学んだという。そのシビアな認識は、九州のあるスーパーチェーンの危機の際に威力を発揮する。
相手の担当役員は、新聞記事を見せながら、銀行支援があるから大丈夫だと、永松氏を説得しようとした。しかし、この「営業防衛」戦の強者は動じなかった。「私はよく学習しているから、新聞に書かれていることは心に響きません。ふたりだけでじっくり(収拾策を)お話しましょう」と突っぱねた。
さらに、昨年のダイエー危機でも、蛮刀が振るわれた。消化仕入れ方式を導入して、店頭在庫の全てをトリンプの資産にしてしまったのである。その額は締めて
4 億円にのぼった。万一の場合し、店頭在庫を引き上げることで、被害を最小限に抑えられる。
永松氏が取締役に選任されたのは、この防衛戦の渦中に於いてであった。営業のイメージを一新する「管理対応営業担当役員」は、この総力戦の時代が求める、新しいタイプの指揮官なのである。たくさん売ればいい、ではなくて、売った後の始末をつけられてはじめて企業に利益をもたらしたことになる。
「いま」が必要とする取締役像がここにある。
パルコの名刺から部署名が消える日■
「管理、営業の一体化だよ」
これは、永松氏と同年の 49 歳になる吉岡猛氏の発言である。吉岡氏は、4 年前の 98 年に、いまでは都市型ショッピングセンターの老舗の感があるパルコの取締役に任命された。今期からは常務として、全国に展開する
19 店舗の運営責任を負う立場にある。
いましばらく、40 代常務の話を聞くことにしよう。
「管理担当も営業担当の会議に出るし、テナントとの折衝もする。専門的なスキルをおぼえるのは必要だが、他から見たら間違っているということもありうる。いままでは、効率的にやるために管理課、営業課を分けてお互い完璧にやればいいはずだったが、それでは回らなくなってきた」
企業運営の常識に従っていたのでは、この先たちいかなくなるという危機感が、この発言には漲っている。すでに、パルコの小規模店舗では、これらふたつのセクションの垣根を取り払う試みがはじまった。
吉岡氏は、「パルコの名刺から部署名が消える日が来たら、それがいちばんいいことだ」と言い切っている。
同氏は、学卒で入社後、数年間は総務・人事関係の職場にいたが、その後は一貫して店舗運営の最前線を歩いてきた。テナントを指導し、入れ替えを行い、営業企画を打っていく。
バブル最後の 91 年に札幌店の次長に就任している。その後は、店長として「業績の芳しくない」店をわたり歩いた。それがいい勉強になったという。取締役就任の電話を受けたのは、広島店の店長を務めていたときで、「会社もよくやるよ、なにをトチ狂ったか」と驚いた。
来年創業 30 年を迎えるパルコはかつて、ファッションをリードする存在であった。店舗経営者にとって、そのテナントになることは、大きな飛躍を約束されたも同然であった。渋谷という街が、若者の流行の震源地になったのには、パルコの存在が大きかった。
しかし、近年、一時代を築いた、あの先端性は薄れている。そこで、この閉塞状況を打ち破るために、営業のエースが投入されたのではないか。
営業の楽しみはどこにあるか。「歴史だ」と吉岡氏は断言している。
若いころ、100 坪ほどの大きなスペースで、催事の切り替えがあった。閉店後にそれまでの催事を撤去して、翌日には新しいのをオープンしなければならない。準備のために徹夜仕事をするテナントに付き合い、自らも手伝う。
明朝までに仕上げて開場しなければならない。まるで薄氷を踏むような思いであった。しかし、この緊張感が楽しくてならなかった。
これがきっかけでテナントとの関係が密になり、積み重ねられて、今日に至る。このような歴史が無形の財産になっている。
ところが、企業の規模が拡大するにつれて、仕事が分担化され、パーツだけを担当するのがあたりまえになってしまった。これでは、テナントの顔も、客の表情も見えなくなってしまう。効率的にコストを下げるばかりの経営へ傾いていくのを止められない。その結果、尻すぼみに陥っていく。
これでは総力戦を戦えないという、切迫した認識を、吉岡氏は抱いているのである。
トリンプの永松氏は、営業が獲得する利益を守るために、管理の目できびしく点検するという、これまでだれもしなかった道に突き進んだ。
一方、パルコの吉岡氏は、社員の間に、パルコ意識を蘇らせ臨戦体制に目覚めさせるために、仕事の境界を取り払おうとしている。「どこの部署でもない、自分はパルコだと思えるようになれば、店を可愛がれる。宅急便の配達のお兄ちゃんにきちんと挨拶もできる」
これまでの延長からはなにも生まれてこない。現状否定、ふたりが志向するものは、これである。
次世代への橋渡しがミッション■
トリンプの永松氏が、30 代で課長だったころ、同じ年代の人たちとよく話したのは、「はやく俺たちが会社を動かしていけるようにならないといけないな」ということであった。
まだ 40 代の半ばに達しない時期に部長になると、「彼らには負けたくない」という思いが強まった。
いずれの場合にも、つねに念頭にあるのは、一世代上の団塊の世代のことである。いまも、この世代に対しては違和感が消えない。
50 代の団塊の世代はベビーブーマーとも呼ばれるように、数が多く、激しい競争を生き抜いてきた。それだけに、自分を生かすことにかけては貪欲で、たくましい。一方、人を育てるのには力を尽くそうとしない。それが永松氏は不満である。「我々より下の世代はもっと、彼らに苛立っていると思う。この橋渡しをし、一回り若いのを育てることが、自分たちの役目だと思う」
40 代取締役の目は、下の世代に向いている。日本経済が谷間に沈んでいるいま、次ぎの飛躍のための準備段階、あるいは過渡期にある人間として、自分たちを位置づける意識もある。
この柔軟な姿勢は、俺が俺がと突出するのが「成功の法則」と信じた、これまでの企業人とは一線を画しているようである。そこには、自分だけが突出して勝とうとする気配はない。
パルコの吉岡氏も、「パルコをつくった」先輩たちに対して、自分たちは次ぎへの「つなぎ役」だと述べている。「昔のエネルギーがあれば、次ぎのステップへ行けるというわけのものではない。若い人には、ちがうエネルギーがあるし、ちがう表現の仕方がある。それを引き出せれば、会社の将来にとって、メリットになるはず」
トリンプの永松氏は、「タイトルが人を育てる。任されれば一生懸命になり、自分を磨く。これが人間の素敵なところだ」という信念から、若いスタッフに積極的に課長代行の肩書きを与えている。
この人材育成にはじつは、近い将来の「ガチンコ勝負」という目標がある。現在トリンプは、女性下着の国内シェア 9.1 パーセントを占めているが、トップのワコールは、22.3
パーセント(数字はいずれも 2000 年)で倍以上の差がある。もっとも売上高でワコールがここ数年減益をつづけているのに対して、トリンプは
86 年から 16 期連続の増収増益で、「ガリバー」を急追している。
数年後の雌雄を決する戦いが視野に入っている。
「勝利の鍵は人にある。我々の世代には、まだまだワコールへのコンプレックスがある。なにするものぞという若い人たちを育てて、送り出し、勝負の場に送り出したい」と語るとき、早口の永松氏には珍しく、しみじみした口調になった。
未来の躍進を託すべき次世代をつくりだす。営業担当 40 代役員は、ここに自らのミッションを見出しているのである。
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(『プレジデント』誌2002年8月12日号掲載原稿に加筆)
(2002.8.15.)
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