★37歳の「私」はいかに身を処すべきか

 5 月11日に、あるメーリング・リストに登場したギャビン・F のメール「エクスタシー国家」を再録する。

 諸君のお利口な頭に、些細な考え方をひとつ通過させてもらえるかな。

 私はいま、ちょっとした思春期をもう一度経験しているのさ。イカしたダンスクラブで長いこと過ごして、それから、そうだよ、例の錠剤をちょこっとやったりしてね。これはもう天啓だね。37 年生きているけど、この 2 年間ほどたくさんの親しい友人ができたことはないよ。それにだ、ぼくたちの絆は強く、長続きしそうだ。この親しみに満ちた状況。私が共に育ってきた喧嘩っ早い酔っ払いよ、さようならだ。

 だけど、私の周りの人々の多くが、たいした夢を持っていないんだ。ただパーティのためにだけ生きている人がたくさんる。たとえば、2 週間前ふたりに訊いた、「なにしてる?」って。

 (男) : パートで働いて、あとパーティ。

 (女) : (肩をすくめる)

 この新しいパーティ・メンタリティは哲学に代わったね、完全に。ベビーブーム世代が権力を握っていて、この状態があと 20 年はつづくだろう。ということで、37 歳の私以下の世代は、手綱を握って世界を変化へ導く夢を放棄し、快楽主義的世界観を採ったのさ。

 つまんないことでごめんよ。でも、いまでも少し苛立ちがないわけじゃないよ。

  翌日の 5 月12 日、これに対して、ジョー・C からの返信が届けられた。

 「嫌悪を抱きつつ後退するのは、無気力と同じではない」

 あたりまえのことだけど、こうするといかにもほんとうっぽいだろ。ぼくについて言えば、「どうでもなれ」的視点に大いに共感する。ぼくは歴史の研究者で、最近の出来事を眺めながら、次第に吐き気がひどくなっている。この世界に対する倫理的反応はなにかと言えば、次ぎの三つのどれかしかない。
 1)私を無視するか、私のメッセージを誤って解釈して自分たちのねじ曲がった目的への支持にすりかえてしまうやつらに対して、ガンジー的自己犠牲で応える。
 2)血に飢えた革命的虐殺に身を投じ、戦いを挑んでいる相手と同じモンスターに変身し、幸運にもいままで建設しえたもの全てを破壊してしまう。
 3)「勝手にしろ」とつぶやいて、自分のことにかまける。

 3)が正しい身の処し方でね。
 知力で殺し合うなんてくだらない。人は固められたくないんだ。人は問題の解決を望んでいないんだ。口を閉ざし腰を下ろすべきときを知ること、これも大切な啓蒙のひとつだ。一脱ける人、つまりただ自分の好きなように生き他のみんなを勝手にさせる人が多くなれば、体制に注ぎ込まれるエネルギーがそれだけ少なくなる。これでは体制は衝突を利用できない。体制に与えることになる損害はどれも、体制を気に病むことから生じるエネルギーによる修復以上のものだ。体制を飢えさせてこそ、真の変化が現実化する。頭を使え。

(2002.5.17.)


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