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★37歳の「私」はいかに身を処すべきか
諸君のお利口な頭に、些細な考え方をひとつ通過させてもらえるかな。 私はいま、ちょっとした思春期をもう一度経験しているのさ。イカしたダンスクラブで長いこと過ごして、それから、そうだよ、例の錠剤をちょこっとやったりしてね。これはもう天啓だね。37 年生きているけど、この 2 年間ほどたくさんの親しい友人ができたことはないよ。それにだ、ぼくたちの絆は強く、長続きしそうだ。この親しみに満ちた状況。私が共に育ってきた喧嘩っ早い酔っ払いよ、さようならだ。 だけど、私の周りの人々の多くが、たいした夢を持っていないんだ。ただパーティのためにだけ生きている人がたくさんる。たとえば、2 週間前ふたりに訊いた、「なにしてる?」って。 (男) : パートで働いて、あとパーティ。 (女) : (肩をすくめる) この新しいパーティ・メンタリティは哲学に代わったね、完全に。ベビーブーム世代が権力を握っていて、この状態があと 20 年はつづくだろう。ということで、37 歳の私以下の世代は、手綱を握って世界を変化へ導く夢を放棄し、快楽主義的世界観を採ったのさ。 つまんないことでごめんよ。でも、いまでも少し苛立ちがないわけじゃないよ。 翌日の 5 月12 日、これに対して、ジョー・C からの返信が届けられた。 「嫌悪を抱きつつ後退するのは、無気力と同じではない」 あたりまえのことだけど、こうするといかにもほんとうっぽいだろ。ぼくについて言えば、「どうでもなれ」的視点に大いに共感する。ぼくは歴史の研究者で、最近の出来事を眺めながら、次第に吐き気がひどくなっている。この世界に対する倫理的反応はなにかと言えば、次ぎの三つのどれかしかない。 3)が正しい身の処し方でね。 |