TOKYO
2007.12.7.

☆都心のヌエ空間・湯島聖堂

烏イラスト

 お茶の水駅から聖橋を渡り、神田明神のほうに抜けるときに、湯島聖堂の脇を通る。門がふたつあると思うが、以前には、どちらも閉じていて、しかも鉄条網に覆われるという、尋常でない光景であった。その印象がとても強くて、聖堂に入れないものと、長いこと思い込んでいたものである。

 それがあるとき、門が開いていて、ふらふらとそこから入ったことがある。

 都市歩行者は、どこをどう歩こうなどと決めているわけではない場合がほとんどで、行き先がはっきりしていることも、したがって稀であり、水の流れと同じようなもので、どこでも歩けるところは歩いていってしまう。したがって、利用されることの少ない「間道」に踏み込むこともあり、ときには私人の敷地に迷い込み不審な眼差しを向けられることもあるわけである。

 紛れ込んだ聖堂は、不可思議な空間であった。樹木にかこまれているかと思えば、すぽっと空いた部分があり、全体がなだらかな斜面になっているために、歩きながら見上げたり見下ろすたびに、木々のたたずまいと建物の関係が変わる。油断がならない。一筋縄ではいかない。それでいて、何気なさそうにしている。

 ここでフリーマーケットをしていた団体の関係者が「蛇が多いんですって」と言った。きっとそうだろうと、一も二もなく納得した。

 斯文会という団体が文化庁の委託を受けて聖堂を管理している。この団体の職員に会ったときに、入れなかった場所から急に入れるようになったのはなぜなのかと質問すると、昭和61年に改修工事があり、その際に砂利を積んだトラックを入れる必要があって、門のひとつを開けたのがきっかけで、開放するようになったという答えであった。

 ということは、閉鎖しておくのに、さしたる理由はなかったということではないか。そのすぐ後に、ある画家が、斜面の下から見上げて気に入ったから、ここで作品展示をしたいと申し出たときも、簡単にOKが出ている。これがきっかけとなって、音楽やダンス、あるいはパーティ、このごろでは、先のフリーマーケットなど、さまざまに使われ出したそうである。

 こういう成り行きと、蛇云々に関する、ぼくの納得の仕方との間には、ある連関があると思っている。

 ヌエのような得体の知れない場所が、都心にポンと置かれていると考えたらいい。そこにどんな樹木があっても、いかなる動物がいても驚きはしないし、同様に、どういう類いのイベントや行事が行われたとしても、「聖堂」だからいいんじゃないかい、という具合にうなずいていられる。

 「聖」であるからには、全てを包含し、なにと規定できないし、ある特定の色にも染めえない。

 本来は孔子廟なわけで、中国では各地に同様の廟がありますけれど、どれも格式ばったものではありません。建物に入ってお弁当を食べたりもしています。ここも広場みたいに、お地蔵さんぐらいに考えてほしいですね」

 と、この職員は話していたが、「聖」への認識を突きつめると、こういうところに落ち着くのであろうか。

 あの時以来たびたび、ここを通り抜けるようになった。

(Landscape Design 1996 夏)

[2007.12.7.]


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