★都市歩行者の新宿駅

 都市歩行者にとって、新宿駅周辺は、じつは鬼門である。ここでは、人々がほとんど一様にめまぐるしく動き回っている。しかも、あらゆる方向に。したがつて安易に立ち止まれない。足を止めると、さっそくぶつかられたり、にらみつけられたり、逆に不思議そうな視線を向けられたり。

 それでいながら、これほど面白く、魅力に富んだ都市空間も少ない。新宿駅の1日の乗降客は約150万人に及び、全国の駅のなかで1位だという。数だけにとどまらない。遭遇する人間の多彩なこと、他に例がないのではないか。老若男女、趣味嗜好、あらゆる類いの人々と出会う。

 東口、西口、南口、それらの改札口を出て入っていく街はさまざまである。飲食街も風俗街も、オフィス街も東京都庁も、ショッピングとなればデパートも家電PC量販店も。歩行者は、雑多な街と雑多な人間に、引き回されるようにして歩きつづける。

 過日、東口の駅ビル前から歩きだし、まず南口に出た。甲州街道の跨線橋を架け替える工事が進んでいた。これを手始めに、新たな駅ビル建設など、新宿駅周辺の再開発がやがてはじまるという。

 さらに、駅をぐるっと巻くようにして、西口から青梅街道の高架下を抜け、出発地点に戻った。約1時間の新宿駅一周遊歩であった。歩きながら、視野に入ってくる「面白い」人をメモしていった。

 薄いピンク色のキャップを被って鼻歌で演歌を歌うおじさんがいた。…両の手のひらに招き猫を載せたまま動かないおばさんにも出会った。…ズタ袋を背負い、スケボーを抱えた若者は、自転車の女の子に追い抜かれると、一瞬スケボーを走らせる仕草をした。…若いビジネスマンが、脚の間に黒いバッグを置き、ページを開いたコミック誌をそこに載せて、しばし瞑目してからケータイをかけはじめる。なにを祈る?…。

 歩き終えたのは、午後5時過ぎ。午後の遅い時間帯でとくに目立つのは、中年以上の女性である。おばちゃんと呼ばれる人たちからおばあちゃんまで、ひとりで、あるいは連れ立って闊歩する姿が際立っている。

 駅ビルのレストランに入り、モスグリーンのシャツのおばちゃんと、隣り合わせの席になる。カレーを注文しかけている彼女とウェイトレスの会話が聞こえてくる。

 「どのくらい辛(から)いのかしらね」

 「相当ですよ」

 ウェイトレスの愛想のない受け答えにも、おばちゃん、少しもめげない。「あらそう。じゃ食べてみようっと」

 向かいの席には、漢字の読みの宿題に取りかかっている小学生の男の子が坐っている。母親がトイレに行っている間に、通りかかったウェイトレスを捕まえ、生意気な口調で、こんなことを言い出した。「ねえ、おねえさん、この字なんて読むんだっけ」

 新宿駅界隈にいる大人も子どもも、この街を存分に楽しんでいるのがわかる。

 日を改め、今度は甲州街道向こう側、新南口とサザンテラス口のあたりを歩いてみた。いまのところ、新宿駅のいちばん新しい部分ということになるか。この駅が、膨張をつづけてきた歴史が、巨大化する、周囲の建物の姿に投影されている。

 新南口の近くに、ハイウェイバスのチケット売り場を見つけ、今回の新宿駅歩きで、はじめて旅心を抱いた。時刻表を眺め、あそこも行ける、ここも行けると、旅を思い描くのは、いくつになってもわくわくする。フェリーとバスを併用して札幌まで行くこともできるという。なにはともあれ、チラシを1枚もらう。

 それをバッグに入れて、新宿駅歩きは終わった。現代都市に於いて、駅は出入りポイントとしての機能と同じくらい、場合によってはそれを凌駕するぐらいに都市生活の重要な拠点でもある。新宿駅はその二重の役割を十分に果たしている、数少ない日本の駅のひとつにちがいない。
[2007.5.1.]


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