★トルコ楽器奏者・江戸あやつり・「不幸なフリーター」 |
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転機、人生の曲がり角。生きていればだれにもある。一度ならず。日本で数少ない、トルコ弦楽器サズの奏者、藤井良行さん(50)の場合、3度。
■転機1 沖縄のヒゲ
20代のころ、藤井さんは東京近郊の自治体に勤める、おとなしく勤勉な公務員であった。その平穏な日常が、沖縄10日間の夏休み一人旅で一変する。
旅の間ずっとヒゲを伸ばしていた。自分の顔を鏡に映して、精悍さが気に入った。役所に戻る朝、それでも口ヒゲだけにし、きれいに整えて出勤した。ところが上司から厳しく叱責された。たかがヒゲじゃないか。怒鳴り返した。すると、人事課長に呼び出され「剃れ」と命じられる。
急に仕事への意欲が失せ、剃らずに退職した。
■転機2 イカサマ
30代を前にして組織を離れた藤井さん。子どもの頃から、セリフや楽器で自分を表現するのが好きだったのを思い出す。いい声で歌い、巧みにギターを弾く。よし、ぴったりの楽器を探し、打ち込んでみよう。
スペインのフラメンコギターの、ジャラーンとかきならす奏法に参ってしまう。そして旅に出た。インドから中東を通り、スペインへと、フラメンコの心を学びとろうと。
ところが、途中でとんでもないことに。トルコ最大の都市イスタンブールにたどりついたとき、ほっとした心のすきをつかれたか、ぼったくりバーで所持金の大半を巻き上げられる。
翌日、向かいの海を行くフェリーに茫然と坐る藤井さん。このとき意外な予感を抱く。自分はいつかここで暮らすことになる──。
お金を奪われ、スペインへ行けなくなると、フラメンコへの執着も同時に消えた。東京に帰ると、高層ビルの外壁を上下する清掃用ゴンドラの上が職場になる。窓拭きの仕事はバイト代が高い。
心にあいた穴を埋めたのが、トルコで一番人気の楽器サズである。不安定な音調と、激しく悲しげな音色。やはりジャラーンとかきならす。と、先の旅の途次にトルコで出合った幻想的な風景が浮かんでくる。
予感した通り、藤井さんはイスタンブールへ帰り、サズを学ぶことに。なぜこうなる? わからない。
■転機3 血がドクドク
サズの演奏がはじまると、トルコでは、客が総立ちになり喝采する。ところが日本に戻ると、客はよそよそしい。9年前から、ソロ活動をはじめたが、いっこうに沸かない。音楽をあきらめ、どこかへ就職しようか。試験を受けてみる。でも落ちてしまう。齢40を過ぎていた。
その矢先、不注意から、サズの弦を押さえるのにいちばん大事な利き指を、カッターナイフで切ってしまう。血にまみれる指を眺め、強烈に思った。自分にはサズしかない。どうしても弾きつづけたい、と。
「3ヵ月でなんとか治りました。怪我した、この左ひとさし指が、いまは私の鏡です。指先が気分を映す。体調も表われます。指先を整え、気持ちをきちんとして生きていかねば」
現在、都内のライブハウスを中心に活動する藤井さん、「サズはなにがあってもやめられない。これで生きていく」 転機は人を強くする。(2007.5.24.)
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糸あやつり人形は、風に弱い。前線が通過し、南風が北風に変わる。途端に空気は乾燥をはじめる。と、人形の各部を吊る木綿糸が湿気を吐き、シューッと絡みだす。糸が頼りの人形の動きが乱れる。例えば酔いどれ男の人形が、酒を飲もうとして口に運べない。
木漏れ陽を浴びる人形たちは美しい。午後の陽が南から西へ移動するにつれ、木々の間を抜ける陽射しが変わり、色合いがちがう。陽を受ける人形の表情が、それにつれ千変万化する。
自然に育くまれる大道芸。人形を使う上條充さん(52)は、足袋はだしの足指で地面をまさぐり、つかもうとする。大地を踏む感覚が芸能の原点と思う。
初め、大学の工学部を中退して、人形芝居一座の門を叩いた。在籍11年半でやめた。芸に対する緊張感が一座からなくなったのが我慢できなかったから。
それから3年後にはじめて、「顔を引きつらせながら」新宿駅西口の雑踏にまぎれるように、江戸糸あやつり人形の大道芸を披露した。これが発端で、新宿のホコテン、さらに吉祥寺の井の頭公園と巡る。
「この公園に、私は育てられた。木の根がむき出しの、でこぼこの地面につまづきながら芸を磨いた」
気がつくと、糸を操る手板の位置がぐっと高くなっている。それだけ腰を落とした、安定感のある演技ができるようになっていたのである。人形芝居の一座にいる間、「腰が高い」と注意されつづけたのに。
お囃子やかっぽれのリズムに乗り、広い空の下にしばしオープンする野外劇場、それが上條さんの大道芸である。現在は、東京都のライセンスを受けたヘブンアーティストのひとり。
古典芸能の世界では、大道芸は歓迎されない。いちばんの理由は投げ銭。投げ捨てたお金を拾うのは下品だと。しかし、その場にいる人たちが、芸の価値を各自で決め、それに見合ったお金を投げる。理にかなったやりかたではないか。
大道芸の客は、いつでも帰ってしまう。黙って、一銭も払わず。きびしい。
定番の演目「獅子舞」が終わり、酔っぱらい客が、千円札を投げ銭したことがある。気前がいい。礼を言うと「きみね、獅子の摺り足はもっとキーッとやったほうがいいよ」と一言アドバイスし、すっと消えた。祭りの獅子使いであろう。キーッと、か。プロ同士、その意味は身体でわかる。
やはり「獅子舞」の後に、いつもするように獅子に観客の頭を噛ませる、縁起物のサービスをしていたとき。年配の男性が近寄ってきて、感に堪えぬように言った。「3年ぐらいずっと、あなたの芸を見ているけれど、ほんとにうまくなったねえー」
その途端、上條さんは不覚にもほろっとした。うれしい、とてもうれしい。
通常の芝居やパーフォマンスではありそうにない。行きずりの、何気ない、しかしいつまでも心に残る出会いである。
大道芸の最中、春一番が巻き上げた鳩の糞にやられ、一ヵ月も気管支炎に苦しんだ経験がある。あるいは、熱中症で割れるような頭痛に懲り「真夏は避ける」誓いを立ててもいる。
それでも「大道」をやめはしない。いまだに新たな発見があるから。(2007.5.31.)
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短大に入るため、広島から上京したのがはじまり。「私の表面はふつうに見えても、内面は長いこと崩れたままだった気がする」と、芝居の衣装づくりをする友森麻由子さん(38)は、東京生活を振り返る。
■フリーター
はじめ、東京の人の「我慢」に慣れなかった。みんな平気で、行列し忍耐強く待つ。映画館も電車もぎちぎちに座って、だれも不平を言わない。友森さんは、気持ちが悪くなって自転車を買った。ひとりで勝手に動けるように。
それでも、東京に居さえすれば、だれかが嫁にとってくれるはずと信じていた。卒業しても就職をせずに、即バイト生活に。
最初は中古レコード店の店員。ただ客を待つ。ある日、店長から郵便を出してきてくれと、封書と切手を渡される。「切手はどう貼るの?」「舌でなめるに決まってるだろ」「なに、それ」。すぐに店を辞めた。
日本のバブル経済崩壊は短大卒業の前年のこと。友森さんは、退屈なバイトを転々。嫁にもらい手は現われず、なんのための東京? 抜け道はない。お金がなくなると「優しすぎる」親にせびる。一方で、自分を「不幸なフリーター」と憐れんだ。崩れていた心。
■仕事へ
いまから10年前、池袋の屋内遊園地前で、入場無料のチラシ配りをしていた。バイト仲間の、小さな劇団のメンバーから、衣装の相談を受け、乗った。友森さんが短大で学んだのは服飾。「でも、デザインが好きなわけではない。自分の作品を見てもらい、友だちを見つけたかったから」
舞台衣装づくりをボランティアではじめた。わずかな報酬を手にしたのはやっと3年後。十着分1万5千円。うれしいより気が重い。仕事に責任をもたなくてはいけなくなるから。
そのころ、海のタコのイメージで洋服を、と要求された。そんなの無理。方法がわからない。第一、タコなんて気味が悪い。泣きながらつくる。できたけれど、訳のわからない怒りが胸の奥にもやもやと。
袖からタコの足がぶらさがる、奇怪な服。いまも大事にとってある。友森さん、フリーターやニートの世界から脱け出しはじめる。
同じ頃、カラフルなウミウシの着ぐるみをつくった。自分では大成功と思ったのに、目立ちすぎる、と批判された。くやしい。だれにも、なにも言わせないものをつくろう。仕事への火が点いた。
■喜び
現在の友森さんがいちばんうれしいとき。それは、仕上がった衣装を舞台に運ぶのに、重い荷物をよいしょと背負う瞬間である。
「しょったぞぉ、自分は人間だなあと思う。ひとりで生きている、ひとりの人間だと。意地の感情が立ってくるのも、このとき」
芝居の衣装づくりだけでは生活が成り立たない。バイトをつづけている。福祉作業所で知的障害者の作業指導をする。これも楽しい。東京生活のバランスがとれてきた、と思う。
気持ちにゆとりが生まれる。「真っ直ぐに向き合って、一緒にトシをとっていける人がほしい。でも、まだ無理だろうな」
ともかく、フリーターもニートも、バイバイ。(2007.6.6.)
★[2007.8.6.]
読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!
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