★トランポリンに夢中・インドで写真・家具職人の幸せ |
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医師、弁護士、建築家。将来はどれかになろうと、高校生の時に考えた。
どれを選ぶ? まず生と死が怖い。だから医師は駄目。記憶力薄弱で六法全書をおぼえられそうにない。弁護士も消える。と、残るのは建築家だけ。
大手建築企業「大林組」(東京本社=港区港南)に入社し、設計を手がけることに。入社10年のころ、勝山里美さん(48)は、自分の適性を疑うようになる。快適な空間をつくろうと「お絵描き」するのは楽しいが、夢ばかりでは通らない。悩む。
折りから、文化活動を担当する部署の社内公募があり、これに応じて、異動になった。そこでは、建築や街づくりに関わる展覧会、講演会を企画し、実現する。年中働いているみたいな忙しさを楽しみながら日々をせわしなく過ごした。
21世紀になってしばらくすると、仕事の中身が変わって、時間に少し余裕が出てきた。心にゆとりが生まれた。
すると、普通に暮らしているのではできないことをしてみたい。そうだ、とにかく大きく跳ぼう、と激しく思いはじめた。文字通り身体ごと跳びたいと。45歳の後半になっていた。会社での勝山さんの役職は、文化活動推進課長。
跳ぶ? 飛ぶ? パラグライダーもバンジージャンプも、ちょっとちがうけれど、フリークライミングも考えた。棒高跳びまでは思い及ばなかったが。その末に行き着いたのがトランポリンであった。
第一に高く跳べるのが好き。床から計ると6メートルも跳ぶ。宙返りもできるけれど、体操競技でもできることだから、あまり興味がない。それより、トランポリン独特の、背中で跳んだり、お腹で跳んだりがおもしろい。すっかり気に入ってしまう。
勝山さんの母は、娘のことを楽しみたがり屋さんと呼んでいる。
「私の人生、楽しいじゃないの、おもしろいじゃないの、と思うことを力にしてきた。そこに新たにトランポリンという強い味方が加わった」と娘。
通勤電車のなかでも、演技の組立てを考える。週に最低2日は練習に行くのが目標。ずっと仕事ばかりしていた自分が、トランポリンのために時間を空けようとする。仕事をがんばらないと練習ができない。生活にメリハリがでる。トランポリンもめきめき上達。
昨年12月、厚木市(神奈川県)で開かれた「第10回日本トランポリンマスターズ」に出場。愛称「かっちん」こと勝山さんは、36〜49歳女子の部で、優勝をさらってしまう。「気持ちよかったぁー」(2008.5.15.)
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だれでも写真は撮れる。とりわけ、ディジタルになったいまは。では、写真家の条件は? 例えば写真の仕事で御飯が食べられること。とすれば、日野市在住の白石ちえこさん(40)の場合、写真家になって、まだ3年ということに。
もともとは写真に関心がなかった。写真の勉強をきちんとしたわけでもない。
高卒後、OLになった。そこは保険会社で、仕事はエライ人の身の回りの世話係。パンを焼いたり、バラのトゲを全部抜いてさしあげたり。自慢の美術品の管理帳づくりも欠かせない。
四年勤め「いやでいやで」辞めた。すぐにパスポートを申請して、交付された直後に、アジアへ発った。親はびっくり。生まれて初めての海外、初めての飛行機。「日本だけ見ていたのではわからない。他の国の常識に触れたかった」
17年前で、第1次湾岸戦争の最中。東南アジアの某国で、持ち物をすっかり盗まれた。自分でもなぜかわからないが、このままでは帰れないと思った。TC(旅行小切手)の再発行を受け、シンガポール、マレーシア、タイを経て、予定外だったインドへ抜けた。
北西部にダラムサラーという町があり、チベット仏教の14世ダライ・ラマ法王が亡命生活を送っていると聞いた。行かねば。
現地で、カメラをたくさん持つ、日本人の若者に出会う。東京の新聞社に入社が内定しながら、旅をやめられず、辞退のハガキを出したのだと。小型カメラを貸してくれた。
「インドの景色や人に圧倒された。独特のなにかを発散している。圧倒されるままに、構図もわからず撮りつづけた。私も周囲と一緒に突き進む。その間に撮らされている感じ。すごい写真体験だった」
白石さんは、部屋を借りて自炊し、「ほとんどお金を使わない」生活をつづけた。1年8ヶ月後、日本からの知らせで、父がくも膜下出血で急死したことを知る。元気だったのに。「わたし、やりすぎた」
我に返り帰国する。このころには、白石さん、写真に心を奪われていた。船橋市の実家近くで、モノクロ写真引き伸ばし講座が開かれるのを知リ、参加する。このとき講師を務めた写真家に力量を認められる。
インドとはちがい過ぎる日本に、逆にカルチャーショックを受け、写真が撮れない時期がつづいた。精神状態が回復すると、どうしたら写真家になれるのかと考えつづけた。ライブハウスや船宿でバイトをつづけながら。
今年の秋、初めて写真集を出す。これも一人前の写真家として認められるための一歩でる。(2008.5.22.)
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どのくらい楽しんで生涯を終えるか。楽しんだほうが勝ち。好きなことをすれば、生きているのがどんどん面白くなるはず。
――これが、古川良治さん(59)の人生観。だから近ごろの若者はわかっていないと思う。勤め先が自分に合わない、つまらない、給料が安い、と愚痴ばかり。まず好きになれるものを見つける努力をせねば、と。
古川さんは、注文家具専門の職人。注文主から、悩みを聞いて、アイデアを出し、理想の家具づくりを目指す。結果、鏡台を家具に組み込み、椅子を引き出せるようにするなど、無類の逸品が。依頼主は喜色満面。作る側もうれしい。
最近多いのは、引っ越しの際に欠いたり、へこませた高級家具の修復。知恵をしぼった仕上がりに、相手ははじめ不安げ。やがて安堵し、笑みが滲み出る。古川さんも幸せに。
この職人は、小名木川(江東区)に近い路地の奥に生まれ育った。「貧乏だったから、親を助けることばかり考えて、高校進学など、とてもとても」
若者の夢は親孝行。中学を了えると、得意な工作の腕を振るえる家具づくりの修業に。
父親が「うちに風呂があればなあ」と嘆いたのを思い出した。そこで19歳のとき、父母を伊豆の蓮台寺温泉に連れていった。初めての温泉。ふたりは我が子に頭を下げて感謝した。
それじゃ、今度は風呂付きの家を建てるぞ。と、定期預金と借金で家を建てたのが22歳のとき。借金は3年半で返した。
26歳で親方から独立。人は雇わないことに決めた。いまも変わらない。ひとりで自由にやる。それだけ喜びも大きい。
最後が、自分の結婚。「生活費で妻に心配かけたくないから、お得意を五軒つかむまでは結婚しない」と決めていた。おかげで、36歳までずれこんだ。
現在の古川さんの日々は、順風満帆。朝8時半に仕事場に入ると、鼻歌が出る。いちばん安らげる場所なのである。なかでも月曜日が大好き。さあまた一週間、仕事をするぞと張り切る。気持ちがいい。
もっとも昨年は、仕事場でよく涙を流した。次女が大学生になり、山梨暮らしになったから。「おかげで、戻ってくるのが楽しみに」と負け惜しみ。
6年前、このあたりの名物、深川丼の具になるアサリにちなむキャラクター「アッサリーちゃん」を考えだし、商標登録をした。家具の仕事が一段落すると、妻の千恵子さん(57)と、アッサリー印のキーフォルダーやストラップなど小物をつくる。
「これまでの人生でいちばん楽しい」(2008.5.29.)
★[2008.9.9.]
読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!
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