東京駅から1時間、5年ぶりのビールを訪ねて

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 敷地三千坪に、土蔵が六棟。ほとんどが建って百年は経つ。そのひとつで、いまはビールを醸造する。出来たてが、ヤエザクラの木を挟んで蔵と向かい合うビアレストラン「福生のビール小屋」に運ばれ、客のテーブルにサーヴされる。

 JRで東京駅から一時間。まろやかなホップの香りが鼻先に漂う、新鮮なペールエールを味わえる。フルーティな甘みが爽やかで、グラスをかざすと、淡い色あいが美しい。「日本のビール」との違いが実感できるであろう。

 もともとは、多摩川のほとりで江戸の昔からつづく造り酒屋である。樹齢700年のケヤキをご神木と崇める。その傍らにある井戸の底をたどれば、地下150メートルに張り巡らされる、秩父山系の水脈に行き着くという。

 3階建て、白壁の本蔵のなかでは、いまも日本酒がつくりつづけられる。その瓦屋根を見下すように、樹高十数メートルのケヤキが2本、寄り添って伸び上がる「夫婦欅」の風景も、ずっと変わらない。

 この地に、「ビールの風」がはじめて吹いたのは、なんと文明開化の明治21年という。ここでつくられたビールが、当時のハイカラを代表する街、横浜に積み出された。ところが、道はガタガタ、輸送は馬車。揺れに揺れ、ビール瓶のコルク栓がきれいに飛んでしまう。2年で製造中止に。

 それから130年後の平成10年、18代目(!)社長の石川太郎さん(現在42歳)が、周囲の反対を押し切り、ふたたびビールづくりに乗り出したのだと。因縁の地ビールである。

 ヨーロッパに行けば、どんな小さな町にも、地元のビールがあるではないか。醸造所が、コミュニティの中心になっている。我々も、この地域の誇りとなるようなビール工場をつくろう、というわけである。ビアレストランも、近所の人が集まる場にとはじめられた。店名の「ビール小屋」は、そこがかつて馬小屋だった名残りであろう。

 夏の平日の夕刻に訪ねると、レストランの外のビアガーデンに、欧米人のカップルや子ども連れが席を占めていた。
 この方々も、ご近所ですか。「オー、イエス」と営業課長の清水秀晃さん。生まれも育ちも、かつての基地の町、立川だけに、異国の言葉によどみがない。ここ福生は、現役の基地の町でもある。横田基地からクルマで10分。そこで、ご近所のアメリカ軍関係者にとっても、かっこうのくつろぎの場になっている。

 「ビール小屋の」隣りの蔵は和食の店である。そこでは、この酒蔵本来の地酒が供される。さらには、ビール工場のある蔵の2階、木の梁が剥き出しの大広間は、しばしば音楽ライヴの場に使われている。

 元気いっぱい、清水さんが締める。「ここは酒飲みのテーマパーク。江戸も明治も平成も、日本もアメリカも、異文化が入り交じり、ビールの泡のように盛り上がります」
06.11.3.

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