★多摩川台公園につづく、ふたつの田園調布 
田園調布界隈の地図
田園調布を歩くことになった。もっとも縁遠い街のひとつである。
 
以前に、東横線の田園調布駅の近くに、鳥専門の獣医さんがいて、そこを訪ねたことはある。ちょうど、羽を痛めたらしいカラスが連れてこられていて、彼だか彼女だか知らないけれど、そのあまりの静かな所作振舞いに感動した。その他には、駅舎に隣接したスーパーに、仕事で行ったことがある。それぐらいが、田園調布体験であろうか。したがって、この街にはほとんど足を踏み入れていないことになる。
 
多摩川べりに住んでいる知己に、自由ケ丘にあるバーのことを尋ねられて、電話番号などの情報をメールした。これを頼りに出かけていったらとてもいい店だったと、返信をもらった。
 
楽しく過ごしたことの「お礼代わり」にと、そのバーと組み合わせたらおもしろそうだという散歩コースをいくつか挙げてくれていた。そのなかに、真夏におすすめの「田調コース」というのがあった。あのあたりの人は、田園調布を略して田調と言うらしい。
 
そのコースは次のようなものであった。
 
まず、東横線で田園調布駅の次の多摩川駅で下車する。駅の近くで缶ビールを買う。べつに瓶ビールでもかまわないのだろうが、まずは軽く缶でいこうというのであろう。
ビールを提げて多摩川のほうに歩いていって、川を見下ろせる多摩川台公園に至る。そこで、当然のごとくビールを飲む。
 終わって、この公園を突っ切っていけば、田園調布の住宅街の入り口にたどりつく。この高級住宅地を通り抜けると、田園調布の駅に出る。
すると、駅の東口に、ひいきにしている焼鳥屋があって、その焼鳥はやたらと大きいそうである。なんでも、長嶋茂雄氏の色紙が飾ってある店だという。長嶋氏も、田園調布の住人なわけである。
 ここからくだんのバーまでは、一駅だけれど、かなり歩き疲れているから、だいたいタクシーを拾うことにしている。ただし「夏場なら歩くのもいいのでは」とのことであった。
 
こうして教えられたのは、梅雨のころであった。その後のメールで、もし 8 月でよかったら、「田調コース」をガイドしようではないかとの、うれしい誘いがあった。渡りに船とはこのことで、よろしくお願いします、となり、お盆が過ぎたころに、お互いの時間を合わせた。
 
このような次第で、縁のなさそうだった街が急に身近に感じられるに至ったわけである。
 
待ち合わせは、東急東横線多摩川駅の改札になった。時間は 5 時半。辺りをしばらく歩いてから焼鳥屋に入れば万々歳というスケジュールになっている。
 
知己は、その駅の近くに住んでいるらしい。こちらは、江東区にあるアパートから地下鉄と東急電車を乗り継いで出かけていく。電車で 1 時間も乗れば、同じ都区内でも、ちがう文化圏へ運ばれていく。それは楽しくもあり、心細くもある事態である。
 
途中の駅で、特急電車の待ち合わせになった。こちらは普通電車だから、しばらく停車するらしい。隣りに女子高生のふたり組がいる。そのひとりが、停車時間の間に、ホームのキオスクへ CC レモンを買いにいくと言い出している。「だけど、かばんだけ行っちゃうとやだな」と、行く末不安な顔になる。すると、車内に残るほうの女の子が元気に言い放った。「そのときはがんばれ」
 
がんばれよ、ではない。たしかに、がんばれ、と言った。思わず、その子の顔を見てしまった。なんという明快な言い方であろうか。こちらは関係ないけれど、「よし、がんばる」と返したくなる。不安げな CC レモン好きも、この言葉に促されて、ホームに飛びだしていった。
 
勇気が湧いてきた。異文化の土地を生き延びられるかもしれない。よし、がんばる。
 
決死の覚悟の東横線は、恙なく多摩川駅に着いた。とにかく一安心である。改札口へ向かって歩いていくと、手前の一角がパンの店になっている。店の入り口にポスターが一枚。
 
当店オリジナル タマちゃんパン 一個 70 円
 
アザラシのタマちゃんのお腹にこしあんがぎっしりつまっているらしい。多摩川に近くて、駅名も多摩川駅だから、タマちゃんパンかい? 買わねえよ、と思う。

まだ待ち合わせの 5 時半には間があるし、知己も到着していないようだから、がらんとした改札口に立っているくらいだったら、あたりをぐるっとしようと思う。
 
駅の南側というのか、改札口を出て左側に、緑が拡がっている。緑に覆われた傾斜面が上っていっている。道路を中にして、電車の高架と緑とが対峙しているみたいでもある。ずいぶんの量の緑で、公園にでもなっているのかもしれない。そこへ入っていくと、出てこられなくなってしまう苦境に陥らないともかぎらない。周辺をうろうろしていると、待ち人が現れた。こうして、改めて、謎の緑の中身を探索できることになったわけである。
 
知己の説明は、はじめて聞く類いのものであった。
 
ここには最近まで、多摩川ラケットクラブという、超高級な会員制テニスクラブがあった。近年、経済不況と関係があるのかもしれないが、ともかくそれが閉鎖された。一部はどこか宗教法人の持ち物になり、残りを自治体が買い取って、公園にしつつある、と。
 斜面を登ると、テニスコートがあって、知己は、そこからすぐのところに住んでいる。で、日々、コートの前を通ったり、ふと立ち止まったりしながら、生涯会員 500 万円というコートでラケットを振り回している人々をよく眺めていたそうである。「世の中には、こういう方々もいらっしゃるんだな」と思いながら。
 
そんな話を聞きながら、緑のいちばん高い位置まで行くと、テニスコートである。もっとも、コートそのものはすっかり取り払われていて、外側の囲いだけが残っている。だから、囲いのなかの土の上で遊んでいる子どもたちは、動物園の檻のなかの動物状態になっている。
 
もう一度駅のあるあたりまで下りてきて、多摩川台公園を目指し歩き出した。電車の轟音が気になってならない。四方八方から聞こえているような気がする。ここには、東横線の他に、多摩川から目黒まで行っている目黒線と、やはりこの多摩川から蒲田までの多摩川線とが走っているのだという。うるさいはずだ、と思う。
 
メールでもらったコース案内によれば、このあたりで缶ビールを買わないといけないのだが、そういう気配はさらにない。この日は雨上がりで、路面が濡れている。公園のベンチや土は、もっとひどい状態になっているから、とても缶ビールの快楽を味わえないと判断して、買うのを控えたのかもしれない。
 
ただ忘れただけかもしれないけれど。ともかく、こちらから「ビールは?」などと言い出すのは、図々しい気がする。
 
ビールはないんだな、という思いがあったからにちがいないが、公園の手前で、「あゆやき」という置き看板に引かれた。鮎を焼いて食べさせるとなると、ビールがないではおさまらないであろう。そこで、知己に「鮎を焼いてるらしいね」と水を向けた。婉曲に、ビール問題を浮上させようとのつもりであった。
 
すると、「冗談じゃありませんよ。そんなんじゃない」とつれない答えが返ってくる。もし魚の鮎を焼いているんだったらこうして通り過ぎるわけがない、と言いたいのかもしれない。
 
聞けば、これはたいやきの鮎版で、鯛の代わりに鮎のかたちをした焼き具を使うのだという。3 年ぐらい前までは、店先でおじいさんが焼いていたらしいが、いまはその姿が見えない。代替わりしたということは十分考えられる。すると、現在、あゆやきがどこからやってくるのか、どこで製造されているのか、界隈のことをよく知っている知己にも、そのあたりは謎だということであった。
 
多摩川ではむかし、鮎がたくさんとれたらしい。そのことは田山花袋の大正期の紀行文にも見えている。
 
とにかく、ビールからはこれで、またさらに一歩遠ざかったようである。鮎のほうへ話題を持っていったのがいけなかったのかと、作戦の失敗を反省することしきりであった。
 
多摩川台公園は、名前の通り、多摩川に面した台地にある。ずっと以前、高校生だった娘と、ここを歩いたことがある。そのときは、薄いもやにくるまれて落ちていく夕陽が、公園の樹木の向こうに眺められた。
 
川を傍らにする台地の例に漏れず、ここにも古い時代から人間が住まっていたようで、古墳が売り物になっている。古墳ってなに? などとアホな質問をする子どもが多くて困ったのか、案内板には「古墳 (お墓)」と注がついている。しかし、これではなおわからなくなるのではないか。知己は、「笑っちゃいますよね」と、笑った。
 
公園の入り口にある派手な神社、浅間神社のキャッチフレーズは、「古墳の丘の氏神様」である。「氏神様」と、古墳をつくり維持した人たちの宗教観とは、かならずしも一致しないであろうが、そういう差異にめくじらを立てて、あれこれ言い立ててみてもはじまらないか。
 
浅間神社の本殿の奥から高らかに鳴り響くのは、日本古代からのメロディーのようで、古墳の時代から、日本はやんごとない人々の統べる国だったし、いまもそうなんだよ、と教え諭されている気がする。
 
その木管楽器らしい音は遠く近くから押し寄せてくる電車の轟音、それに、公園の下の通りを行くクルマの音と交じり合って襲いかかってくる。神社の境内から川面へ向かって張りだしている舞台の見晴らしはたしかにいいけれど、さまざまな音の襲撃は、気の休まる暇を与えてくれない。
 
それだけに、公園のなかを進んでいって、幾重にも枝を重ねた樹木の下の、うすぼんやりした暗がりのなかに入っていくのは、歓迎すべきことであった。雨のあがった後の湿った空気のなかには、虫たちが飛び交っているようで、それらが盛んに腕に当たり、顔に衝突するけれど、差し引きすれば、十分にプラスの気分でいられる。
 
うっとうしい空模様にもかかわらず、三つほどの家族がバーベキューの野外パーティをしている。知己の話では、週末になると、家族連れがキャンピングカーなどを仕立ててくるそうで、随所でパーティがあり、尺八を吹き鳴らす人も見かけるとのことである。「家族でないと居心地が悪い」と言う知己の口調に、辛辣さは感じられない。
 
公園のはずれまでたどると、街灯の色が赤っぽいものに変わった。その辺りは以前に個人の持ち物だったものを、やはり行政が買い上げて、公園に加えたのだそうである。
 
公園を端から端まで通り抜けて、街に戻っていきながら、歩きはじめてまもなくの蓮池で、黒装束の中年女性が、シャボン玉を吹きつづけていたシーンが浮かんできた。まったく同じシーンを、あまり遠くない過去に、どこかで見た気がするのである。
 
銀杏並木の道路を田園調布の駅に向かって歩く。反対方向から、家路を文字通り急いでいるらしい人々がすれ違う。田園調布は、さまざまの偏見にさらされているのであろうが、全体が内側を向いていて、外からの来街者にはまるで関心がないみたいな街と付き合うことは、とてもむずかしい。歩行者の観点から言うと、そうである。もっとも、この街はそうした付き合いには関心がないのだろうが。
 
田園調布の駅舎を、高級住宅地側から反対側に抜けると、住宅地からの視野に入らないようにとの配慮なのだろうが、低い棟の商業施設が連なっている。ニュー・イングランドあたりの鉄道駅付近にでもありそうな風景で、クリスマスの時期には、イルミネーションに映えるのではないかと思う。
 
知己の目指す焼鳥屋は、駅からはちょうど向かい側の一角にある。店内はいっぱいで、さらに外に一組、数人が順番を待っている。時計は7時前。ということは、一時間ぐらい空きそうもない。ぼくたちは諦めて、緩やかに坂をくだっていく駅前通りを歩き出した。知己は別の店へ連れていってくれるらしい。
 
どこか地方都市、それも長野の上田ぐらいの中都市の駅に、夜遅くに到着した。宿は決めてあったけれど、来てみてはじめて、駅からかなり歩かなくてはいけないことを知る。それで、明かりの落ちた、見知らぬ街を黙って歩いていく。そんなに疲れてはいない。心配なのは、駅がどんどん遠ざかっていくことである。なぜって、軽い食事をして、ちょっとお酒も飲みたいのに、こんなに遠くに来てしまって、しかも、どの店も戸を閉ざしている。果たして、飲食店などあるのだろうか。
 
そんな気がしてくる。駅と線路を挟んではいるけれど町名はやはり田園調布という、この街を歩いていきながら、またも、デジャヴ感に襲われた。
 
途切れがちの明かりのひとつが、知己の目指していた居酒屋であった。まっすぐに奥へ伸びているカウンターのいちばん手前にふたつだけ、ぼくたちを待ってでもいたかのように、空席があった。
 
「ビール!」
 
他になにも言うことはないではないか。店はおやじさんがひとりでやっているようで、カウンターのなかの調理場をあっちへ行き、こっちへ戻り。首をぎゅっとつかまれたビール瓶が、すでに栓を抜かれて、カウンター越しに突き出された。そうか、こう来たか。生ビールのつもりだったんだけど。ぼくたちが顔を見合わせると、間髪を入れずに、隣から腕が伸びてくる。
 
「こっちもらう。どうせ私たち、まだ飲むから」
 
隣は女性ふたり。すでにビール瓶が 3 本、並んでいる。でも、もっと飲むので、ぼくたちに配達されたのを面倒見ましょうとのお申し出であった。ありがたく転送させてもらって、改めて生ビールをいただく。
 
酔ってしつこく言っているわけではないけれど、ここも田園調布である。
 
隣のふたりは、ご近所のおばちゃん同士であろう。30 代かもしれず、おばちゃん呼ばわりは失礼かもしれない。少なくとも主婦であり、どこかへ勤めにでている風ではない。瓶ビールを引き取ってもらった礼を言うと、ふたりともはっきりした、かなり大きな声で、「いいんですよ」「飲むんですから」と。見れば、ひとりは、茶髪に、大きな玉の眼鏡をしていて、この人は飯島愛を意識しているのではないか、と思う。
 
しばらくして、もうひとり加わり、後から来た女性は小学校低学年の女の子を連れていて、3人の年格好はだいたい同じぐらいであろう。それぞれ勝手にビールを勢いよく注いで飲みあっているのに、見とれてしまう。
 
大盛りのお新香、大盛りのイカ刺し、言うことなしの田園調布であった。
 
その後に、本命の焼鳥屋にも寄った。しかし、ぼくたちのなかには、多摩川台公園から、並木道を突っ切ってやってきた、あの緊張感がなくなっていたと思う。店のほうも山を越している時間であった。長嶋茂雄氏の色紙はたしかに目の前に掲げられていた。知己は、しかし、「土井たか子さんのが隣にあったはずなんですが、ないですね」と不満そうであった。社民党、がんばれ。
 
設定したコースに従い、さらに自由ケ丘にまわった。目指すバーは休業日であった。別の店に行ってみた。数年ぶりの酒場は、すっかり変容していた。
 
その日は、月曜日であった。ビジネスマンは週末に家族と過ごして疲れ果て、二日ぶりに職場に戻ると、「戦友」との再会の喜びに舞い上がり、どうしても誘い合わせて飲まないわけにはいかない。だから、この日、酒場は混むのだという話を聞いたことがある。とすれば、その狭間に割り込もうとしたぼくたちは、駅前の繁盛店からはじかれることになったということかもしれない。
 
おかげで、話には聞いていた、ふたつの田園調布の隔たりぶりがよくわかった。近くに住む知己には、ちがう思いがあったであろうが、遠い街からやってきた者にとって、こんなに楽しいことも少ない。
_
[2003.9.3.]


この記事のURLを友人・知人に知らせる

HOME自由意志購読BACK