とりわけ街については、■
世田谷に生まれ育った人に、こんなことを言われた。「多摩川では小学生のときにフナを釣ったことがあって、長いこと金魚鉢で飼ったりしたけれど、逆に、隅田川あたりは水量が多すぎて、江ノ島の海などよりも、ずっと恐ろしい感じがする」
これにはショックを受けた。隅田川界隈で子どものころを過ごしたぼくにとっては、あの川は、慣れ親しんだ、気持ちの落ち着く場所である。それに比べて、水の少ない多摩川は、大小の石が河原にごろごろしている光景が、かえって異様に思えた。その感じは長いこと消えなかった。
東京のずっと南のほうに住んでいる知り合いと、東京のなかで、行こう行こうと思いつつ、まだ出かけていない街はどこだろうか、という話になった。さまざまな街が出てきた。そのたびに、おたがいの経験や知識を言いあった。それは刺激的な「情報交換」であった。
そのうちに、「隅田川の向こう側の東京ってどうなっているんだろう。あっちから眺める東京って」と知り合いが言い出して、「じゃ、行こうじゃないか」と、こちらが応じたことで、この会話は、情報の域を越えることになった。向こうは知らない場所だけれど、こちらはいやになるぐらい知っている、とぼくは思った。だからすぐに、そこへ出かける先導役を務めよう、と言い出していた。知り合いにとっては、そんなことしてくれなくても、行きたくなれば行くよ、と言いたいところだったかもしれない。しかし、こうなると、「いいよ、いいよ」と無碍に断わるのはむずかしくなる。このあたりが人と人の間のおもしろいところである。
人と人の間の通い合いは、気持ちのなかのある種のわだかまりを介しながら進行する。いやだ、勝手にさせてくれ、大きなお世話、ということになっては、もちろんハナから成り立たないけれど、それほどでない場合は、わだかまりを乗り越えることになる。そうさせるのは、自分の好奇心であったり、相手の熱心さであったり、その両方であったりするわけで、その結果、事態が新たなヴェクトルを得て展開していく。
そうなると、ひとりで、ああだこうだと考えたり、行動を起こしたりするのとはちがう領域が開けてくる。相手の領域が自分のほうに入り込んでくるからであり、自分のそれが相手に割り込んでいくからでもある。
誤差や誤解、誤謬や誤認は避けられないし、それらが遂には、通い合いの楽しみみたいなものを生んでいくと思う。とりわけ街については、各人それぞれに明確にちがった観念を持っている場合が多いから、これを重ね合わそうとすると、きまってはみ出し部分が出てきて、そこがかえって光彩を放ったりもするわけである。
絶妙の眺望のはずである。■
「隅田川の向こう側」に出かけることになると、どこからどうたどるかを決めるのは、こちらの役目で、またそれが順当だと、ぼく自身が思い込んでいる。そして、すぐに思いついた。
このごろ、都心の地下を貫いている半蔵門線の地下鉄が従来の水天宮駅から北へ北へ延伸されて、とうとう東武伊勢崎線に合流してしまった。その合流地点が、東武線曳舟駅であるという。
曳舟とは、北原白秋によって歌われた、用水運河の曳舟川がかつてあったあたりだが、その川もたしか昭和30年代のはじめに埋め立てられたはずである。浅草松屋構内にあるターミナルを出発する伊勢崎線の電車は、すぐに隅田川に架かる鉄橋を渡って、業平橋駅を過ぎ、次が曳舟駅である。このあたりではしばらく、電車は川に沿うような離れるような曖昧なルートをたどっている。そこで「隅田川の向こう側」ということでは、曳舟駅あたりで落ち合うのがいちばんいいであろうと、ぼくは考えた。
ここから川へ向かっていけば、都心方向へ戻るかっこうになり、彼岸と此岸のちがいがよくわかるはずだと。こういう機械的な発想が、相手の求めるものとかけ離れていたことは、後になって明らかになる。
桜の時期もとっくに過ぎて、隅田川の堤には、花見騒動のかけらも残っていないはずである。頃はよし、「川向こう」の実景に接することができるかもしれない、とぼくはひとり決めしたものである。
一度も乗ったことのない地下鉄は、所要時間が計れず、結局は、ずいぶん早くに曳舟駅に着いてしまう。おかげで、駅の周りをぶらぶらすることができた。このあたりはもう夏のような気分であった。路地に向かって、それぞれの家が開け放たれている感じで、家の前に水が打ってあったり、植栽に水やりをするステテコのおやじがいたりする。こういうのを称して「下町風景」と言うらしいけれど、家のなかが狭いので、少しでも広々とした気持ちになりたければ、外へ、隣近所と一緒くたになるスペースへ突出せざるを得ないだけのことだと思えば、そんなに喜んだり、称揚されたりことでもない気がする。
ドアや窓をきちんと閉じて、内部と外部を隔絶するのが当然の都会生活を前提としながら、たまさかの「下町」に感じ入ったり、羨ましげなことを言ったりする風潮は、眉から唾が垂れ流しになりそうなほどに、いかがわしい。
路地を抜けて、店屋のある通りに出ると、こういう在来の街にはかならずあるはずの、墨痕黒々とした看板の大衆酒場が、やはりここにもある。初老の男の一団が、その看板を仰ぎ見ながら、顔には喜びと期待を漲らせつつ、ガタピシとガラス戸を開けて、お行儀よく連なって入っていく光景は、いつ見ても伏し拝みたくなるくらいに神々しいものである。
後になってわかったことだが、知りあいのほうも同様に早く着いたので、喫茶店に座り、時刻になるのを待っていたという。だからおたがい、ちょうどの時間に、約束の曳舟駅改札口に姿を現すことができた。そして、恙なく歩き出はじめた。
隅田川までは、幹線道路の水戸街道をまたいで、昔の赤線の街である鳩の街を突っ切り、土手沿いの堤通りに上がれば、造作はない。しかし、それだと眼前に川面がひろがって風景が一転する、その衝撃はちょっと体験できない気がするのである。だらだらと川になっていく。もう川だろうなと思いつつ川を迎える。そういうなしくずしではつまらないだろうと、これもこちらの勝手な思い込みである。
そこで、堤通りの手前にある、谷底のような裏道をまずたどっていって、隅田公園に入る直前、王貞治記念少年野球場があるところで、はじめて通りに出るという仕掛けにした。王は、ここからほど近い本所石原町の中華料理店の次男で、「王さん」のファンだから巨人のファンという関係にこだわる連中は、このあたりには多いはずである。ぼくもそのひとりであることを隠すわけにはいかない。
ここで堤通りに出ると、ちょうど通りが川べりへ向かってカーヴしていく。そこで、これに沿っていき、言問団子の店の前を通り過ぎれば、そこが川となる。ぶつかった堤防の手前に立てば、180 度は確実に見渡せて、つねに豊かな水量を誇る隅田川と、その向こうの浅草界隈の街を前景として、彼岸が一望にできる。
これこそ「隅田川の向こう側」からという、知り合いの要望、かどうかはともかく、こちらがそういうことを望んでいるのだろうと解釈した、絶妙の眺望のはずである。果たして、ほんとうにそうか。そのときは、そうした懐疑の想いは生じていなかった。
短絡の通用しない世界■
ぼくたちはこの後、川沿いの隅田公園を途中まで歩いて、言問橋で川を渡り、浅草に出てから、酒を飲むという、ここまで来るとありきたりになってしまうコースをたどる。そのどこかの時点で、知り合いから、紙袋に入った本を渡された。面白いから読んでみろ、というのである。
それは大塚銀悦という聞いたことのない作家、ふだんフィクションを迂回する癖のあるぼくが知らないのは別に珍しくもなんともないのだが、ともかく知らない書き手による短編集であった。タイトルの『濁世』は、じょくせと読むらしく、カヴァーには、赤い筆記体のルビが、妙なところについている。
そのまま借りっぱなしで、申し訳なくも、しばらくほったらかしにしていて、あるとき思いついて読みはじめたら、なんだこりゃと嫌悪感が先に立つ、面妖な文体で、それなのにしだいに引き込まれて、やめられなくなってしまった。
読み終えて、知り合いの求める「隅田川の向こう側」は、じつはまったく別なものであり、半端な「川向こう」者の早とちりで、とんでもないガイドをしてしまったらしいことに、ようよう気づかされたというわけなのである。
3 編の短編には、それぞれひとりずつ 3 人の主人公が登場する。いずれ劣らぬ汚らしい男たちで、汚らしいというのは、身体、身なりのことを言っているのだが、だから精神がきれいかというと、そんな短絡はもちろん通用しない世界に、彼らはいずれも住んでいる。
伊東。池袋あたりの簡易宿泊所をねぐらとする泥棒。空き家のロックを難なく解いては盗む。何度目かの「ブタ」引きにうんざりして、次に狙うは、同じ境遇の宿なし、つまり公園在住者の隠し金。出没するのは、江戸川と隅田川で東西を区切られ北からは埼玉県におしまくられる葛飾、足立。伊興、舎人、谷在家、耳慣れない町名が跳梁する。
*引用
環七に出た。南椿公園の大便所で銭を数えた。百万束が八個、五千円の百枚束が三つ。九百五十万円だった。バッグを提げて表に出れば、細かい霧雨が降っていた。
岩本。中川が荒川に合流するあたりの橋の下で、ゴカイを獲っては船宿へもっていって千円、二千円の金にする。たまには鯉もとれないこともないけれど。「大仏石井」こと、海べりから川べりを日がな一日めぐり歩くアイスキャンディ屋の友人もいる。「大仏」は首吊って果て、岩本は、コンテナ酒場のおかみに惚れられ惚れて、望みありやなしやの逃避行へ。
*引用
柏あたりで黒かった空が紫紺に変わりそうして薄青くなった。朝焼けの赫い色が黄金色に変わる。大仏、今頃は中陰の空を翔けているか。照覧してくれよ。おめえの分まで生きてやるぜ。どうで落ちゆく先は地獄浄土双六の永沈の如き苦い生活だろうが……。
白木。連れ込み旅館のパート清掃夫。慣れ親しんだ女が死んで、骨壷抱えて、荒川べりの掘っ立て小屋にころがりこむ。住人の爺いが死にその後を引き継ぎ、公害にまみれた周辺を掘れば、出るわ出るわ、人骨、匕首。
*引用
清洲橋を渡った。もう二度とこの隅田川と江戸川に挟まれた低湿地には帰るまい。白木は何度も振り返り懐かしい町に連なる橋を眺めた。
闇がたまり、陽が暴れる■
この小説は、もっと「川向こう」へ、「川向こう」の奥へと唆す。これが、ぼくの「読後感」である。川の向こうには川がある。その向こうにも川がある。それが「隅田川の向こう側」の真実である。川には橋がある。橋を渡れば別の世界、これは常識である。したがって、川から川へ、橋から橋へ、変化から変化へ、全てが連なりゆく。
ところが、ぼくはあのとき、喉元を過ぎる心地よさにとどまり、とぐろを巻く内臓の摩訶不思議を回避したのだと思う。中途半端な胃カメラみたいなものである。荒川、中川、新中川、あるいは江戸川などの川筋にわだかまる、未成型の都市へ足を伸ばすとき、決まって、闇がたまり、陽が暴れる。御しがたいものを感じることがある。それだけに心が震える。
だから、隅田川に背を向けて、さらに東の川また川を目指すこと、そうしないと、この小説世界が、自らの想像力の範疇に入ってこない気がする。東京という都市の広がりと深さ。
いつかまたチャンスがあれば。
★
■■書籍データ
『濁世』
著者=大塚銀悦
文藝春秋
1,429円+税
1999年9月10日初版

[2004.5.28.]