★山谷ガイジンホテル・プジョー修理日本一・旅行社「カイラス」

象

 3つちがいの姉がいる。愛称ココちゃん。20代で家を飛び出し、以来ずっと地球を放浪。いまはグアムに家を買って住んでいる。

 ときどき日本に戻ってくる。すると、弟の帰山博之さん(54)の経営するホテル「ニュー紅陽」の手伝いをする。嬉々として。ここの宿泊客の多くは、バックパックの若い外国人。世界を旅しているココちゃんとは気が合う?

 「ぼくも、あの姉がいなかったら、この商売していなかったかもしれない。姉には、旅の楽しさ、むずかしさ、旅する人の心を教えられる」と帰山さん。

 このホテルは変わっている。午後3時チェックインの建前だが、朝の10時でも客を受け入れる。部屋の掃除が済み、前夜の客が使った夜具が生暖かいのが気にならなければ。格安の航空券で東京にたどりつく旅行者がなによりほしいのは睡眠だとわかっている。ぐっすり眠らせたい。

 ここは台東区日本堤。いわゆる山谷。日雇い労働者向けの簡易宿泊所が集まるドヤの街だったころの、はりつめた空気はない。

 帰山さんは、13年前、先頭を切ってガイジン向けに転じた。「金髪のおねえさんたちが来るようになるよ」と言ったら、「そんなことあるわけねえじゃねえか」と同業者たちは一笑に付した。いまや、黒髪も赤毛も銀髪も。オーナー自身、先日までモヒカン刈りであった。このあたりのガイジン専門宿も10軒に。

 畳2畳あまりのシングルで、一泊2500円。

 以前と変えたのは、シャワールームをつくったことぐらい。鍵をかければ個室になり、ペアでシャワーも可能に。

 客たちは和式トイレに一苦労。ここのは、またがるとお尻をドアに向けることになる。ガイジンはこれが大の苦手。経験がない。逆向きに座って汚してしまうことがしばしば。結果、図解「和式の使い方」の説明書きが張り出された。

 じつは帰山さん、コンピュータ・オタクのはしりである。日本中でインターネットに接続している人がまだ数百人という「原始時代」からのマニア。いちはやく、この宿のホームページを英語で立ち上げた。情報は、たちまち世界をかけめぐったらしい。

 ネット経由の予約申し込みが、当初から当たり前。アメリカの新聞『ニューヨーク・タイムズ』が、「世界一物価の高い東京で、こんなに安く泊まれる宿を見つけられるのはインターネットのマジック」と報じた。

 「お前にぴったりの商売だね」と励ます、姉のココちゃんは、旅先からよく絵葉書を送ってくれる。(2008.4.24.)

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 オヤジは鼈甲職人であった。鼈甲の原料は亀の甲羅。糸鋸でひとつずつ、櫛、かんざし、ブローチなどに細工する。高価なアクセサリーとしてもてはやされてきた。

 ところが「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」いわゆるワシントン条約が、1970年代にできた。生きものの輸出入を規制して、自然保護をしようと。

 真っ先に亀が槍玉にあがった。「この商売、もう駄目だな」と、オヤジはつぶやいた。甲羅の輸入ができなくなり、先細りに。

 結果、息子の原誠二さん(51)は、クルマの専門学校へ進んで整備士になった。同じ職人の道を継いでいると思う。亀がクルマに代わっただけのこと。

 現在の原さんは、フランス車、プジョーの修理で日本一の評価を得ている。日本各地から、東京の東のはずれ、新小岩(葛飾区)の裏通りにある修理工場を目がけて、病気のクルマが送られてくる。

 ブジョーが日本で本格的に売り出されたのは、いまから22年前。原さんは当初から、この修理で頂点に立つぞと心に決めて努めてきた。

 あくまでもクルマの味方である。人間ではなくて、クルマの側に立って物事を考える。

 「クルマが壊れるのは、人が乗るから。乗り方が悪くて壊れる。つまり乗り手も故障しているということ。だから乗り手の話をよく聴く。細かいことを訊き過ぎ、『まるで私が嘘を言っているみたいじゃないですか』と抗議を受けることも」

 ずっとディーラーの技術スタッフをしてきたが、6年前、社内事情から、急に独立せざるをえなくなった。
 すぐに会社をつくりたい。しかし、お金がない。そこで、鼈甲仕事をやめた父親の休眠会社をもらい受ける。自動車修理工場なのに、社名は「有限会社昭栄鼈甲」のまま。

 当初はパソコンを買う余裕もない。領収書は、手書きの伝票に鼈甲会社の社判を押して渡した。案の定、噂を立てられた。「原は自動車やめて鼈甲会社はじめるらしい」と。

 オヤジには「あんたが死んだら会社の名前変えるからな」と告げていた。自前の社名「原工房」になったのは4年前、オヤジの死後1年が経っていた。
 原さんの名刺には、タイヤとスパナーを持って走る亀のイラストが描いてある。「この亀がぼく。オヤジが朝から晩まで仕事している背中を見て育った。だからぼくもいまだに夜中まで飛び回って働いているんだよ」(2008.5.1.)

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 峠の上で、突き上げるような山の姿が視界に入った。思わず「停めて!」と運転手に命じた。その途端、涙がこぼれた。ぼろぼろと止めどなく。

 落合一民(かずのり)さん(49)は、同行の5人を目で探す。サンスクリット語で般若心経を声高に唱える者、踊り出す者、石のように動かない者。その場のひとりひとりそれぞれに違う。感動した。

 ここはチベット西部。突然見えた山はカイラス、標高6656メートル。チベット仏教の聖地である。だから、だれも登頂はできない。

 6年前、ツアーの客5人との23日間チベットの旅。目玉がカイラス山であった。山の周りをぐるりと巡礼した。最後に麓の湖畔にたどりつき坐ったとき、添乗員の落合さんは地球が身近に感じられようになったのに気づいた。

 「地球は、その誕生のときと今とで体積がほぼ同じだという。湖畔の小石も私自身も地球の一部。同じように大切。どちらがなくなっても地球が困る」

 落合さんは3年前、勤めていた大阪の旅行代理店を辞め、自前の代理店を立ち上げた。JR国立駅から徒歩10分の住宅地。ひっそりとあるオフィスに、落合社長含め総勢3人。主にインドとその周辺のツアーを企画し実行する。

 社名が「カイラス」。「ちっぽけな会社だけれど、すごく大切な会社。地球のためになにか役に立つ仕事をしたい」

 駆け出しの添乗員だったころ、インドで仲良しになった少年ふたりに、靴を買ってプレゼントしたことがある。ふたりともうれしそうに履いた。ところが、しばらくすると、また素足に戻ってしまっている。
 靴のサイズが合わないのか。「いや、彼らは足の裏で大地を握りしめているのだ。足の指で地面をつかんでいる。その自由を束縛する靴はかえって邪魔。それに気づこうとせず、かわいそうにとだけ思いたがる。そんな価値観を壊すのに、インドは特効薬になる」

 ツアー客を先導して月に10日は海外を旅する。客にほんとうに見てほしいのは、名所旧跡ではない。現地の子どもたちの、純粋な笑顔。なにより、自分がそれを見たい。

 落合さんのオフィスには、旅の途次、街頭のモノ売りから買った人形や絵、あるいはアクセサリーなどが無造作に置かれている。いつかここを昔の駄菓子屋みたいな空間にしたい。子どもは大喜びだけれど親は二の足を踏むような。

 「子どもが買っていったのを後で親が、『こんなの困ります』と返しに来る。これがぼくの目標なんだけどね」(笑)(2008.5.8.)
[2008.8.18.]

読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!


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