★「緑道散歩」の理論と実践 |
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理 論
東京で、知らない街を歩く。その街には緑道があるという知識だけが頼りだとする。通りすがりの人に、ナントカ緑道はどのあたりですかと訊くと、しばしば訝しげな表情をされる。そこで、桜の並木がある川沿いだそうですけど、などと具体的な風景を口にする。これで、たいていは決着がつく。ああ、あそこね、それはね、あっち曲がって、こっち行ってと、詳しく教えてくれる。
緑道という言葉は新しいが、風景としてのなじみは古い。そこには、川や掘割、あるいはかつての路面電車の軌道跡もある。ときに川は暗きょになり、軌道は取り外されたかもしれない。しかし記憶は残る。並木や、川筋の一部、橋の名残りなどを整備して、緑がつらなる道として公園化したのである。
ただし、緑道にもさまざま。京浜運河緑道公園のように、中空をモノレールや高速道路が抜け、水上は屋形船やハシケが行き交う、堂々たる運河沿いに、鬱蒼と松林がつづく場合もある。これなどは「ブロウアップされた緑道」というところか。
緑道とは近縁にあたる、親水公園という概念がある。都区内の西側にある呑川親水公園は、途中から呑川緑道に変わる。小川が途中で突然、暗きょになるからである。川が見えている間は「親水」、見えなくなったから「緑道」と分けたのであろう。
もっとも、巨大な水の帯が横たわる京浜緑道公園などは、ここでも、そうした分類をハナから拒んでいるわけである。
ところで、親水という言葉は、近頃いたるところで耳にする。これを言い出したのは、河川工学の宮村忠氏(関東学院大学教授)とされる。宮村氏は、15年をかけ日本中の川をすべて「踏破」した人物である。お会いしたとき、「川には表情がある。そして川の近くに住んでいる人は、とても表情豊かです。人と川との付きあいにどんどん引きつけられた」と述べていたのが印象に残っている。
都市においても、水と暮らしを近づけることで日々の生活に潤いをもたらそうとの思いが、この概念に含まれているにちがいない。江東区を流れる掘割の仙台堀川と横十間川掘は、ともに親水公園のイメージを代表している。ふたつが合流する地点に池がある。その周囲にはしばしば、水鳥を狙うアマチュアカメラマンや絵画教室の生徒が散開している。
緑道といい、親水公園といい、呼称の定義は確定しないけれど、どちらの場合も、「緑の道」や「水の道」としてつづき、その間ずっと、日常の生活に隣り合い、人々の暮らしと交錯する。
これらの緑と水の帯の端から端までを、ともかく歩ききること、これが歩き方の基本である。途中でやめても、また日を改めてつづける。緑の道から外れずに歩く。外道に落ちてはいけない。周りの街を身近に感じつつ、そうしながら、自然の恵みもまた堪能できる。きょろきょろせず、せかせかせず、黙々と静かに。
実践1 仙台堀川+横十間堀川(江東区)
どちらの川筋も、マンションの街を貫いて伸び、やがて交錯する。朝晩は、サラリーマンや、買い物の行き帰りとか小学校の交通整理のお母さんたちと、すれちがう。街が公園にこぼれでている。
もっとも、公園に入ると、人は歩調をゆるめ、のびやかな顔つきになっている。ふたりづれのおしゃべりも弾む。知り合いの犬同士がすれちがいざまに吠え合うぐらいが、公園の騒動である。
仙台掘川側の西に沈む、巨大な太陽は一見の価値がある。
実践2 京浜運河緑道公園(品川区)
ここへ行くための第一条件は体力である。身体に自信があれば最高だけれど、そうでないときは、最低の経験になることもある。
電車を下りてかなり歩いて運河に到達し、さらに橋を越えていかないと、「緑道」にはたどりつかない。
しかし、いったん到着すれば、松の緑がどこまでもつづく果てに、人影がぼんやり霞んでいる程度で、広々とした空間と、この静寂とを東京都区内で経験できることが信じがたいくらいである。
失礼なことを言えば、京浜運河を抜けていく遊覧船などにぼんやり乗っている人がかわいそうにさえなる。こんなに素晴らしい緑を独り占めできるというのに。
実践3 呑川親水公園+呑川緑道(世田谷区・目黒区)
桜新町に近いほうの親水公園から歩きはじめるのがいいであろう。小川のせせらぎを身近に聞きながら歩ける。遊歩道は公道になっているが、クルマの往来が少なく、気にしないでいられるはずである。
緑道になると、急に街が近く感じられるのがおもしろい。暗きょになって水から遠ざかったからでもあろう。乳母車の幼児を遊ばせる若い夫婦や、ベンチで休むセールスマンらしい人などの姿には、もはや川の記憶は刻まれていない。
都立大学駅前の賑わいを抜けていく。このときは、「帯状街中公園」が街に呑み込まれるのではという危惧を抱くかもしれない。
★2005.12.12.