★野川に沿って進める道はないのか |
JR国分寺駅の南口に出た途端に、高校一年生の娘は、「ここ東京?」と訊く。ぼくはリュックを背からはずして、そのポケットから地図を取り出し、ここが立派に東京であることを説明しなければならなかった。
東京駅から快速電車に50分も乗って、なお東京がつづいていることが、彼女には信じられなかったのである。小学生だったときに、芝居を観るために、一緒に吉祥寺まで来たことがある。そこが、娘にとっては、これまでの「西のフロンティア」であった。
彼女は荒川区で生まれ、いまは江東区に住んでいる。生まれて16年になる娘の東京は、東に大きく傾いている。
彼女は最近、学校のサークルの友人と、フリー・マーケットへ出かけたそうである。帰ってくるなり、「あたしびっくりしちゃったよ」という前振りをして話したのが、お昼にみんなで食べたというお好み焼きのことであった。ひとりずつ注文したものを、個々別々に食べるのだそうである。みんなでシェアするのが当然の感じがするけれど、そうはなっていないらしい。
昼食を共にした友人たちのなかには、東京の東のほうに住んでいる子はいなかったと聞いて、「じゃ、仕方がないんじゃないか」と乱暴に決めつけて、納得しあった。
そんな娘にとって、国分寺駅南口は、明らかにカルチュア・ショックだったのであろう。平日の2時半過ぎである。授業が午前中に終わるというので、午後から野川伝いに歩こうじゃないかと、待ち合わせたのだが、まだ歩き出してもいないうちから、重大な疑問を抱え込んでしまっている。
駅前の街は閑散として、道行く人も少ない。地下鉄から地上へ出ると、どんな時間帯であろうと、だれかとぶつかりそうにならないでは済まないような街から、ふいに運ばれてきた少女に、この風景は重荷にちがいない。飲食店の「助さん格さん」という店名看板を指さして、おもしろがってみせたけれど、ぼくはさっぱり信じていない。
「でも、なんか川っぽいよ」■
「坂道を下ると野川にぶつかる」というガイドブックに従って、ぼくたちは歩いたけれど、野川を発見することができず、住宅街ですれちがった初老の女性に尋ねなければならなかった。
「この道の先を左へ曲がるとあるわよ」
それだけ言うと、相手は行ってしまった。顔を見合わせた娘は黙っていたけれど、なにを言いたいかは想像がつく。
〈なに、あれ〉
ぼくがそう言いたかったからである。どのくらい歩いて、どこの角を曲がるかぐらいのことを教えてくれてもいいではないか。道を訊かれたら、その程度のサービスはするものだろうに。住宅展示場にあるみたいな、一戸建ての二階家が並んで、店の一軒も見当たらず、ぼくたちは途方に暮れた。
我が賢い娘が、ほんとうに口にしたのは、怒りや呪いとは無縁の、曖昧な言葉であった。
「でも、なんか川っぽいよ」
頭上の枯れ枝に、雀が群れて鳴きしきっている。高い電線には、セグロセキレイらしい、黒白ブチのスラリとした体形の小鳥が、よく通る鋭い声を張り上げている。たしかに「川っぽい」かもしれない。
国分寺市泉町1丁目15番地の押切橋のところで、野川を見つけた。地図でたしかめると、水源の間近であるらしい。野川は、同市内の東恋ケ窪1丁目の中央公園にある湧水からはじまっているのだという。
押切橋から見下ろす流れは、小川と呼ぶのもはばかられるくらいに細々として、玉石をコンクリートで固めた、平たい塊を点々と配して、流れにカーヴをつけている。両側からは家屋が迫り、細流に覆いかぶさるかと思える。
川沿いに道はない。
「川へ下りて、あのコンクリートの上を跳んでいけばいいじゃないよ」
16歳が大胆なことを言う。金網の囲いを破り、2メートル下の一級河川に飛び降りたら、気分はいいだろうが、そういうことは善良な市民のすることではないであろう。善良な市民とはだれのことか? さあ、だれだろ。
娘はなおもぶつぶつ言っている。無視して、ともかくも川にいちばん近い道をたどりながら、小金井方面へ向かう。水源を見たい気はしたけれど、そっちも同じような家並がつづいているのではないか。少しでも早く、もっと開けた空間に出ないと、うるさい同行者が始末におえなくなるのを恐れて、諦めた。
彼女にはともかく、地図を渡してナヴィゲータを務めるよう言い含める。道端の番地表示板を地図の記述と照合しながら、最適のルートを指示するのが、その仕事になった。これでなんとか、少女の過剰な冒険心を鎮めることができたようである。
父親も娘もイヌ派ではない■
野川はかつて、文字通りに野っ原を流れる川であったという。農業用水に使われていた。武蔵野段丘の崖下をゆるゆると流れわたり、見渡すかぎりの野には、農家が点々と散らばっていたであろう。しかしいまとなっては、人家に遮られ、川筋をたどるのも容易でない。
ぼくたちは、川筋へ向かう小道を見つけると、ともかくたどって見る。しかしたいていは、川とおなじくらいにかわいらしい橋の上に出るだけで、川に沿う道はなかった。
「まただめだね」
と何度言い合ったことか。ときたま、川を傍らに歩けると、すっかりうれしくなって、歩く速度をゆるめ、流れに耳を澄ます気持ちにもなる。
あたりには、ほんとうに人の気配が少ない。ときたま学校帰りの子どもとすれちがうぐらいで、住宅は隙間なくつらなっているというのに、ほとんど物音さえしない。少し広い通りに出ると、クルマだけが走り抜けていく。
ネコがときに、戸口にうずくまったり、路地からさまよいでてきたりする。するとつい、膝を折って、手を差し出す。しかし、ネコはその場限りの親愛のジェスチュアなどに構っているつもりはないらしい。冷たい一瞥を残して、去っていく。
ぼくたちは、白色レグホンが一羽だけ閉じこめられている籠を覗き込みながら、このニワトリの「立派さ」について、論評をしあった。トサカの赤がとりわけ見事なこと、羽根がつやつやしてまるで梳っているみたいなこと、それに、まるまると太っていることなど、いちいち感心するのであった。
この光景を見つめていたのが、パーマをかけたみたいに毛を逆立てたイヌで、注目を独占するニワトリへの嫉妬心に駆られたのかも知れない。こちらに向かって猛然と吠えはじめた。
父親も娘もイヌ派ではない。あわてて、その場を離れた。
やがて野川はやや幅広になり、ところどころに小さな堰ができているらしく、ときどき、流れの音がザワザワと高鳴る。おかげで辺りがいっそう静まり返る気がする。そのことを言うと、娘の反応は予期しないものであった。
「ウチのほうが、うるさすぎるんだよ」
大通り沿いのアパートに住んでいるのだから、そうにはちがいない。それにしても、他に言い方がありそうなもんじゃないか。彼女の背中を小突いてやろうかと思ったけれど、思っただけであった。
穏やかな田園の幻想■
視界が大きく開けたのは、小金井街道を越して、小金井自動車教習所にさしかかるあたりである。丸山橋を過ぎて、天神橋のところで、やっと川岸に下りることができた。
向かいの南岸はゆったりしたのぼり勾配になっていて、雑木の林が、まばらにつづいている。すっかり葉を落とした樹木の列に、夕陽が引っ掛かっている。もう4時を過ぎた。
水面を滑るカルガモは、人間からの距離を計算しているらしく、向こう岸の近くにかたまって、足音が近づくと、なにげない風を装いながら、岸辺の草むらへと上陸していく。
「カモか」
ぼくはなんの気もなく言ったつもりだが、娘が、間髪を入れずに切りかえした。
「お鍋にしようよ」
それだけ言うと、川岸をスキップしながらどんどん遠ざかっていく。迷路からいっきに解き放たれた喜びが大きくて、のろのろした父親の歩みなどに付き合ってはいられないのであろう。
野川自身も、すっかり自由の身になったようである。両側に低い堤防はあるけれど、水際で眺めているかぎりは、自然の只中を、流れたいように流れているかに見える。流れは速く、水中の水草がなぎたおされている。実際には汚染が進んでいるのだそうだが、清流としか見えない。水面に、水鳥のかたまりと、鯉の群れが交互に現われ、穏やかな田園という幻想が紡ぎ出される。
目を上げると、東を区切って、西武多摩川線の高架が渡り、右手の雑木のなかには、赤白ストライプの煙突が2本立ち上がって、そこから白い煙が絶え間なく送り出され、沈みかける太陽に拮抗している。この白煙のおかげで、そうでなくても壮大な風景が、さらに力強いものになっているように思った。そこが、ごみ処理の作業センターだということは、しばらく忘れたふりをしていようと思う。
川沿いの広場では、コンクリート敷きのフロアと、端にある低いバンクを利用して、少年たちがスケートボードをしている。11人いる子どものなかに、白人と黒人の子が3人混じっているのが見える。もっとも勇敢にバンクに挑むのは、この3人で、日本人と思われる子たちは、完全に圧倒されている。
「そうそう、それでいいんだよ」
白人少年の日本語は完ぺきである。バンクの上に並べたソフト・ドリンクの缶に、ドクター・ペッパーが混じっている。
南へ上っていく丘にひろがる野川公園に隣り合って、調布のアメリカン・スクールがあるから、そこの生徒たちなのであろう。
向こう岸に坐り込んで、カモたちに餌を投げてやっていた母と子らしいふたりが、立ち上がる。日本人らしい女性は、ピンクのヘッドギアをした、白人の目鼻立ちの幼児を自転車の後ろに乗せて歩きだす。
“They're still waiting.”
鳥がまだ餌を待っているわよ、という意味か。子どもに話しかける声が、すっかり冷たくなった空気に運ばれてくる。子どもの声はついに聞こえなかった。
2時間半が過ぎて■
娘はもう、西武線の高架の近くまで行ってしまっていた。川辺にしゃがみこんで、水面を眺めている。近づくと、黙ってポッキーの箱を差し出す。
「カモにポッキーあげようか」
「よせよ。水を汚すこともないだろ」
「そうなのか。でも、あげたいな」
「よせよ」
「おいしいのに」
「カモもおいしいとはかぎらない」
娘はしばらく黙っていたが、立ち上がりかけながら、
「カモは鯉をなぜ食べないんだろ」
と、脈絡のよくわからないことを言った。高架の上を電車が通過していく音が下りてくる。見上げると、残光が車体に反射している。黄色い電車のはずなのに、光のなかに浮き立って見えるのは、ドアの銀色だけである。
「4両だね」
ふだん地下鉄しか乗ることのない彼女は、4両編成の電車に出会うことはめったにないはずである。自分がいまいる空間に馴染むことを拒まれている理由を、またも見つけてしまったみたいに、茫洋とした言い方であった。
5時を過ぎた。国分寺駅から歩きはじめて、2時間半あまりが経っている。東小金井の駅までたどって、中央線に乗ることにしよう。
暗くなっていく、狭い一本道を、行き過ぎるクルマにおびやかされながら、ぼくたちは縦に連なって進んだ。
「お腹空いたよ」
またはじまったと思う。疲れたりあきたりすると、かならず、この発言になる。ずっと幼いころから、こうであった。東小金井の駅前で、ハンバーガーとスープを調達して、黙らせる。
都心へ向かう電車は空いていた。新宿で途中下車して、「ヴァージン・メガ・ストア」に寄り、ぼくは、ジミ・ヘンドリクスのウィンターランド・ライブを買う。彼女は、グレン・ミラーが聴きたいと言う。妙なティーンエージャーだと思いながら、代金を渡す。
野川が、はやくも記憶から脱落しはじめていた。
(1991年に書いたものを、2005年に改稿した)
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[2005.2.7.]