★三鷹駅と玉川上水のブッチガイ

三鷹駅

 総武線の三鷹行きを終点まで乗り切ると、電車は1、2番線のホームに入って停まる。乗客をすべてを下ろし、そのまま折り返していくことが多い。

 あるとき、都心から下り電車の最後尾車両に乗り、この終点で下りた。目の前に、樹木が鬱蒼と生い茂っているではないか。繁華な街の駅前には、あまり似つかわしくない風景であった。

 駅の南口を出て、樹木に近づくと、木々に覆われて水路が伸びていることを知った。橋があり、三鷹橋と言う。そして、この水路こそ玉川上水であった。

 「上水」がこのあたりを流れているとは聞いていたけれど。突然の出現に、驚いた。作家太宰治が入水自殺した現場も、すぐ先で発見した。ふだん縁のない三鷹駅が、急に身近に感じられた。三鷹駅のホームと「上水」とは、ぶっちがいのような形で、斜めに交わっているらしい。

 多摩川の上流、羽村市にある羽村堰にはじまる「上水」は、江戸時代には、神田川などとともに、江戸市民の大切な飲み水の供給源であった。東京の都市化が進んだために、水の自然は肩身の狭い思いをしているけれど、それでもいまも健気に街のなかを流れているのである。木々に守られた、三鷹あたりの「上水」は、その典型であろう。

 樹木に囲まれた水路に沿っていけば、三鷹の森ジブリ美術館へもたどりつける。

 駅と交差する玉川上水には、当然、北口でも出会う。そこでは、桜通りという桜並木の道路に沿って、流れている。岸から川底まで、一面に水草が繁茂しているため、水面はなかなか顏を見せないけれど。

 北口から駅を後にして、「上水」のあたりに歩を進めるとすぐに、興味深い街並みが現われる。美容院、沖縄物産店、保育所、子ども向けの本と小物の店、さらには、静かなカフェへと、続いている。女性それも母親と子どものための店が軒を並べているのである。

 なぜこのような一角ができあがったのかは知らないけれど、都心とも地方都市ともちがう、気分にゆとりのある街の暮らしを思わせるに十分であった。伸びやかな生活感のサバービア(郊外)である。

 「上水」の岸辺の、店舗に面したあたりに長椅子が置いてある。親子らしい一組が、そこに座り、一緒にウクレレを奏いていたことがある。7歳ぐらいの子どもは、楽器と一体になっているみたいに、軽々と自由に奏く。それが、離れたところから眺めていてもわかった。

 近づいてみると、男の子とばかり思い込んでいた子どもは、女の子であった。浅黒く健康そうな子どもの、のんびりした所作が、心に残っている。

 近年、三鷹は駅そのものも、周辺の街も大きく変わりつつある。しばらくぶりに出かけてみると、印象がちがっている。現在は、駅コンコースの改良工事が進んでいるらしく、夕方など、構内を貫く南北の自由通路の往来が、以前にも増して錯綜している気がする。

 その通路の南出口、歩行者デッキに通じる場所で、夕暮れどき、無料誌やビラを配っている若者たちがいた。何事か盛んに呼ばわりながら。そのすぐ隣に、托鉢僧がひとり、黙然と佇立していたことがある。くるくる回る渦のなかに、それが唯一動かない点ででもあるみたいである。

 やがて僧が歩みだした。被っていた編み笠をとると、頭を包む白い手ぬぐいがむきだしになった。僧は歩行者デッキを路上へと下りていき、姿を消した。時計を見ると5時半。ああ、托鉢にも定時があるんだなと思った。世間並みに5時半終了なんだろうと。

 ところが、辺りを一周し、もう一度駅に戻ってみると、なんと先ほどの僧が、編み笠をかぶりなおし、また不動の姿勢をとっているではないか。お坊さん、ごめんなさい。


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