★くねくね水路の中川で、橋を探す

犬の骸との遭遇■

 10月の半ば過ぎのある日、青砥駅で下車した。都営地下鉄から乗り入れる京成線は、押上、曳舟、八広(以前は荒川という駅名だったのでは)、四ツ木、立石と過ぎ、次が青砥である。駅は青砥のままだが、周辺の地名は、いつのころからか、青戸に変わっている。きょうは、荒川放水路へ通じる中川に沿って歩いてみようと思い立ったのである。

 高校のときに、親しい友人の家が近くにあったが、この川のあたりを歩いたことはないはずである。中川という川の存在は知っていても、しげしげと自分の目で見たことがないと思う。たしかに、放水路のほうから盗み見たことはある。電車とかバスの窓からだったら眺めたかもしれない。しかし、近々とは接していない。そこは、うすぼんやりした水の帯として、意識の辺境に横たわっているようなものである。

 青砥の駅員は、無愛想であった。切符を差し出す乗客に対して、どこと言わずどこでも、駅員は無愛想に対することが多い。それにしても、その中年の改札係の無愛想は、相当に念が入っている。「すいません、ちょっとおトイレ行きたいんですけど、これ見ていてくれませんか」と、大荷物の老女が言うと、顔も向けず手も振らずに、「その辺に置いといて。貴重品はだめだよ」と命じたものである。

 老女は、閉鎖中の改札台に、いかにも重そうな薄茶のリュックと濃い茶の手提げを載せて、トイレに向かった。ぼくは、彼女が戻ってくるまでの10分あまり、そこにたたずんでいた。駅員は、その間一度も、その大荷物に目をやらなかった。リュックとほとんど同色のセーターの下に、黒のチェックのシャツを、可愛らしく着こなしている老女は、戻ってくると、そんな駅員に「ありがとうございました」と、ていねいに頭を下げて立ち去った。

 青砥駅から歩いて10分ほどの高砂橋の端で、中川の川面を漂う犬の死骸を見下ろしていると、老女の黒のソックスと茶の固そうな靴とが思い出された。改札の隣りに掛けてある、拾得定期券の掲示板に白墨で書かれていた、中国人らしい女名前が、范××とフルネームで浮かんでくる。

 犬は、うつぶせになって、後ろ足を、まるでチャイニーズ・アンティークの椅子の脚みたいに開き、上半身が、水面を流れながら集めたにちがいない藁と青々とした草とにすっかり覆われてしまっている。

 正午過ぎの、秋にしては強い陽の光であった。死骸は、堤防の下に打ち寄せられかけている。水流の状態にもよるだろうが、こうなっては、もう容易には流れていかない気がする。すっかり朽ち果てるまで、橋の下に滞っているのではないか。

 死んでしまった動物の骸の行く末について、思い煩っても仕方がないのだけれど、青砥の駅と、いま自分のいる川べりとは、なんらかの必然でつながっているように思える。

川と道をめぐる誤解■

 『東京の橋』という書物の記述に従うと、昭和22年9月のカスリーン台風の際に、利根川からの溢れ水のために、江東地区が水浸しになり、大きな被害を受けた。それがきっかけで、新中川(中川放水路)を開く工事が24年にはじまり、38年に完成したという。高砂橋のすぐ下流から、まっすぐに南下していっているのが新中川で、中川本流のほうは、まるで支流みたいな風情で、南西へと蛇行し荒川放水路へ向かう。

 いまのぼくは、その分岐点にいることになる。ぼくは、荒川放水路の対岸の街で育ったのだが、その当時には、まだ新中川の開削工事が進行中だったことになる。高校のときには始終、友人宅にたむろって遊んでいた。そこから少しだけ足を伸ばせば、中川にたどりつけたであろう。しかし、それをしていない。その気になれば、風景の記憶を蓄えられたはずなのに。そう考えると、なんだかもどかしい気持ちになる。

 京成電車のなかで眺めていた地図の中川本流は、みごとにうねうねと折れ曲がっていた。歩き出して間もなく、地図から勝手につくりだしていたイメージをそっくり信じる過ちを犯していたことに気づいた。地図から思い描く現地が、本物の現地と似ても似つかないものとわかる経験は、これまでにも何度もしているけれど、その経験から学ぶということはまるでない。

 川に沿い、道筋がつづいている。地図でこのことを確認したときのぼくは、曲がりくねった川べりをえんえん歩いていけるのだと、思い込んだのである。いまの東京で、そんなことのできる街がいかに少ないかは、よくわかっているはずではないか。しかし、地図の上の川筋があまりに見事に蛇行するので、それにすっかり圧倒されたのであろう。

 たしかに川沿いに道はある。しかしそれは、ぼくの肩ほども高い護岸堤防と、さらに、その堤防の上に載っかった鉄柵とによって、川から完全に遮断されていた。中川の分岐点から近い青砥橋の上から遠望すると、堤防と柵と2段になった壁は、ずっと変らずにつづいていることがわかった。

 すぐ隣りに川があるにもかかわらず、そこからはっきり隔てられたまま歩かねばならない。コンクリートと鉄との強力な障壁が立ちはだかって、動物園の檻に閉じこめられたかのようでもある。

 そのことに気がついて、気が滅入る。こんなはずではなかったと失望しながら、こういうことも予想できたはずなのにという自己嫌悪に襲われる。橋の上から川面を見下ろし、ひどい不幸せを抱え込んでしまったという、おおげさな後悔をした。

 しかし、地図からの連想でこうなったとばかりも言えない。それ以前から、つまり、中川沿いに歩こうと思った時点から、ありうべき風景をすでにつくりあげていたのではないか。中川はこうだという思い込みが、どこか心の奥に居座っていたのであろう。地図を眺めて、それがいっそう強固なものになった。つまり地図は、幻想を活性化するための触媒に過ぎなかったかもしれない。

 根拠のない想いが、目の前の現実に裏切られる。失望感と言い、自己嫌悪と言うけれど、自分のしっぽを噛んで、痛い痛いと叫んでいるみたいなものである。一人芝居の自業自得か。

厄介な近代■

 堤防のこちら側は、複雑な構造になっている。堤防に沿う道は遊歩道になっていて、一帯は緑道公園と呼ばれているらしい。この道から一段低いところに、一般道が抜けている。一般道の向こうは、民家の列である。遊歩道を行く者が、背伸びをしながら、柵の向こうの川を覗き込んでいたとする。しばらくして、これに飽きて、視線を逆の方向は振ったとする。そうすると、一般道を見下ろすかたちになり、さらに、道路沿いの家々の2階部分が目に入ってくる。そういう関係にある。

 それにしても落ち着かない。川には近づいていきたいにもかかわらず、壁に拒絶されている。一方、中途半端に高い位置を歩くことになって、川沿いの街ともよそよそしい関係にある。

 コンクリート壁と鉄柵の間には、隙間がある。そこからカメラを差し入れて、川を撮った。壁のところどころに自転車が立てかけてある。それらは、紐やチェーンや針金で、柵の根元に縛りつけてある。柵を乗り越え、護岸壁の向こに下りるための踏み台に利用しているらしい。川と街との狭間に宙ぶらりんになっているみたいな気分に我慢できなくて、飛び出していくのであろうか。

 遊歩道の周辺には、犬の飼い主への警告プレートがたくさん掛けてある。それにもかかわらず、糞がかなりの頻度で落ちている。ここを散歩させられる犬の気分を想像してしまう。こんなところを歩かされて、お行儀悪くウンチをしたくなる犬に同情しないわけにはいかない。犬なりのうっぷん晴らしのやり方とすれば、同時に、飼い主のそれでもあるわけで。

 すると、高砂橋の下に残がいをさらしていた赤犬は、人間の真似をして、川べりの柵を飛び越えようとして、あえなく一命を落としたのか。となれば、一切のつじつまが合ってくる。

 ときおり、壁の向こうから話し声が這い上がってくる。声の主を確認するには、さらにずいぶん歩いて、川筋がカーヴしているところで振り返らなくてはいけない。川面とすれすれにある、コンクリートの出っ張りの上に、二人連れが並んで、釣りをしていたり、おしゃべりに興じていたり。さっき真下から聞こえていたのは、彼らの声かと、やっと合点がいく。

 声の主を特定するのに、これだけの手続きが要る。すでに声は聞こえないし、人相風体だけが遠くにうすぼんやりと見えているにすぎない。近代は厄介である。

 川沿いに、わずかに地面が残っている部分がある。そこに、ドラム缶の底を焼き切る作業をしている最中の、白い長そで下着の男の姿を認めた。柵の間からそちらへカメラを向けながら、妙だなと思う。こちらは、近代という牢獄につながれている囚人で、ドラム缶男に救いを求めているかのようなのである。

 うねうねとした川べりをのどかに歩くことなど望むべくもない。性格のあいまいな遊歩道ないし緑道を歩きつづけ、ともかくも川に沿って進んでいるだけのことである。

橋探しの旅に■

 いつしか、前方に橋が出現するのを心待ちにするようになっていた。橋に至れば、川と自分を隔てる壁と柵からは、いったん解き放たれる。橋の上に立って、欄干から見渡すのは、素のままの川である。わずかに皴の寄ったシーツみたいに、静かな水面には心が休まる。それまでの鬱屈した気分が大きいだけに余計にそう思うのであろう。視界をさえぎるものがないとは、なんとありがたいことか。

 橋にたどりつくために歩いているみたいである。近代を呪っているうちに、自分の性格までどんどんねじくれていくみたいである。橋探しの旅になってしまった。川沿い歩きが逆立ちしている。

 もっとも感動した橋は、本奥戸橋である。この橋は、京成立石駅のごく近くにあることが、地図で確認できた。立石の駅前アーケード街が切れたところから、大通りを東へ向かうと、ここに出るのではないか。ということは、高校のときの友人の家から橋まで、歩いて5分もかからないであろう。橋の架されたのは、昭和7年という。ぼくたちは生まれていない。

 魅かれたのは、正確には橋そのものではなくて、広々とした橋袂のスペースである。それは、青戸方面から、中川に沿いにただ歩きつづけるしかなかった者のみが知る類いの魅かれ方かもしれない。牢獄からやっと解放されたみたいな感動さえおぼえる。

 橋袂の広場に並んでいる地蔵尊や馬頭観音などをしげしげと眺め、ふだんは気に留めることもない立て札の説明を読み返す。道路の向かいがガソリンスタンドなのも、橋の周りをいっそう広く見せている。

 橋名を記した柱の傍らの柵に、若い男女がふたり並んで寄りかかり、川面を見下ろしている。お揃いのジーンズのパンツに、男はブルゾン、女はグレイのセーターにポシェットを斜め掛けしている。陽はかなり傾き、橋柱の影が、彼ら自身のそれに重なっている。崩れるに任された精神のバランスが少しずつ回復していくのを感じる。

 そして、空腹なのに気づく。昼食がまだであった。広場に隣り合ったモスバーガーの店に入る。キンピラ入りのバーガーが発売されたのを知る。コーラのLと、その新製品を注文してから、あわててフレンチ・フライを追加する。年に数回しか口にすることのないハンバーガー。

 ふだんあまりしないことをしないではいられない気分なのである。

 ここまでで、予定の行程の半分にしかならない。いっそう傾いていく陽を追うみたいにして、ぼくは足を速めた。京成電車には、四ツ木駅から乗ることにしようと思う。

(1990年に書いたものを、2005年に改稿した)

[2005.1.28.]


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