★駒形のどぜう屋で「記憶カード」を集める |
浅草に近い駒形に、有名などじょう屋がある。どぜうと称している。隅田川の西岸ということになる。ぼくは、隅田川の東岸、川を隔てて浅草からは向かい側の街で育った。このどじょう屋へは行ったことがなくても、常識の範疇にはある。世間一般にも、駒形と言えばどじょうと決まっているところがある。
いつ、だれから聞いたのであろう。そのどじょう屋には、定期観光バスが毎日決まった時間に着いて、観光客がどっと入ったり出たりするという。だったら、はい一丁上がりで、右から左へ、ところてん式の客扱いなんだろう。とすると、どじょう鍋の味も知れている。そう思い込んだ。
これはだいぶ以前のことになるが、結果、思い込みが判断をむしばんだ。出かけていって、正否をたしかめようなどともしない。たまたま出身地の話題になったとき、「じゃ、駒形のどじょう屋が近いな。うまいだろ」などと訊かれる。「知らないよ、行ったことないから」と、こちらからは、愛想のない返答ばかり。
どじょうはずっと、他の店で食べていた。もっとも「駒形」へも一度連れられていったことはある。味は申し分ないのを確認した。それでも、自分のなかでわだかまりが頑固で、解けなかった。他人に先導されて出かけたからであろうか。
いまから3年前である。このごろの東京は、夏というと猛暑の記憶ばかりだが、その日の暑さもはんぱではない。友人とふたり有楽町で映画を観て、外に出るとまだ三時過ぎのかんかん照りであった。たまらず、缶酎ハイを買い求め、国際フォーラムの広場の緑陰で飲んだ。
友人が命令口調で、「駒形のどじょうへ連れていけ。ハタチのときに行ったきりなんだ」と言い出したので、「わかったよ。行こうじゃないか」ということに。
相手の切羽詰まった思いがそのまま自分に伝わり、この成り行きになった。干からびた思い込みに、いい加減で決着をつけなくては。ぼく自身、どこかでそう思っていたのであろう。友人の命令が渡りに舟になった。
勢い込んで出かけた。うまいどじょうで、よかったね、またいつか、では終わらなかった。そこを突き抜けたところで、事態が入り組むのである。
このとき、一階の座敷の隣席に、若者がひとりあぐらをかいていた。鍋にどじょうや薬味を思いきり入れて、慣れた手つきで食べる。ビールも飲まず、他になにも食べず、いかにも楽しげに、ひたすら鍋である。清潔そうな白いシャツにベージュのコットンパンツ、きれいに刈り上げた頭は、板前風。つやつやした肌。
まだ夕方の五時手前だから、どっかの飲食店へ出勤する前、という風情でもある。どじょうとはこうやって涼しげに食べるものなのか。この男の、見事な所作の一挙手一投足が記憶に刻まれる。感動した。友人は、男の繊細な手元から目が離せないらしい。
ぼくは、別の思い込みへ引きずり込まれるのを感じた。
1年後、つまり一昨年の夏、我々は、ふたたび、この店の客になった。飲食店をこうして複数回訪れるのは、ただの惰性か、一度でやめられない確たるワケがあるかである。我々にはワケができつつあったのである。
今度は、動きがひどく緩慢で、茫洋と歩くウェートレスと遭遇した。彼女は我々の席の担当で、動作がのんびりしているだけでない。かなりの頻度でもの忘れをする。注文した追加の鍋をもってくるのを忘れ果てる、いつまで待ってもタレが来ない。催促すれば、「すみません」「失礼しました」と礼儀正しくあいさつしつつ、さらに悪びれるところがない。悠然と、ときに眠そうに。
ぼくは、彼女を「アルマジロ」と命名し、その立ち居振る舞いへの称賛を表した。
前年の若者につづいて、この店で我々は、二枚目の「記憶カード」を手に入れたことになる。もし去年の彼が、彼女の給仕を受けたら、いったいどんな対応をするのであろうか。そんな想像をするのが楽しい。我々は、ふたりの刺激的な対面を、さまざまに演出して遊んだ。
なんだか、彼らを手札にしながらトランプゲームをしているみたいであった。二枚の札が跳梁し、我々を呪縛する。かつての思い込みが、こんなかたちで反転した。そのことに、あらためて驚愕の思いを抱いた。
前代未聞の暑さだった昨年の夏、我々は、またもどじょう屋の客になった。このときは、三枚目のカード狙いという目的が、少なくともぼくにははっきりしていた。
その日は、ランチと夜の部の端境いで、案内された二階の座敷には、他に数人の男たちのグループが一組いるだけであった。すでに定年をだいぶ過ぎたらしい一行の、声高の会話がよく聞こえてくる。
盗み聞きははしたない。しかし、聞こえてくるのだから仕方がない。男たちは口々に、ある政党の女性リーダーがいかに美人であるかを論じていた。熱情込めて、一心に。鉄道関係の労組の元闘士たちのようである。
一行の隣りに、カードNo.1の若者を配するのは、やはり無理があるかもしれない。No.3労組の闘士たちの席の係を、No.2「アルマジロ」にしたら、彼らは、その容姿についてどう評価するであろうか。カードが三枚になっているのを確認する。
いつかこの大座敷に、幻のカードを並べて、我々だけが企画しうる大宴会を開いてみたいものである。思い込みは、どんどん深みにはまっていく。
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[2005.3.29.]
初出=みすず 2004年10月号