| ★石倉三郎との出会い、小料理「花菱」の40年 |
男たち憤慨「マドンナを盗られた」■
きょうこそは、と朝の9時前に家を出て、床屋さんに向かった。よほどの決心をしないとなかなか行かない。子どものときからの習い性である。
途中、門前仲町の飲食街を通り抜ける。夜の街の朝は静まり返っている。居酒屋、レストラン、スナックが並ぶなかで、創業40年になる小料理「花菱」は異色である。黒い板壁で覆われた二階家、玄関先の大鼈に生けてある、たっぷりの花、人も街もずっと伸びやかだった時代の名残りを見る気がする。

花菱(手前)
床屋さんの椅子に座り、訊いてみたかったことを訊いた。「花菱のおかみさんって知ってる?」
ぼくよりやや年下の理髪師は、「もちろん」と力をこめた。「同じ深川三中ですから。ふっちゃんが結婚したときは、大変でしたよ。マドンナを盗られたって、深川じゅうの男たちが憤慨して」
石原富久子さんだから「ふっちゃん」である。同性たちをかっとさせた幸せ者は、俳優の石倉三郎で、性格のまっすぐな男っぽい男を演じたら右に出る者はいない。NHKの朝ドラ『ひらり』(1992 - 93)で、親父で鳶の頭の花沢徳衞と丁々発止とやりあった演技は、いまも語りぐさである。
そんなにも深川の男たちを熱くしたふっちゃん(と呼ばせていただく)は、どんな女性なのか。暑かった夏の日の午後、我々は、打ち水をした玄関を入って、開店前の「花菱」を訪ねた。
店に鳴きしきるのは閑古鳥■
「結婚した当座は、たしかに大変でした。毎晩のように喧嘩になってましたから」
石倉からは「ふっこ」と呼ばれるふっちゃんにとって、20年近い昔は、懐かしくもありほろ苦くもある。
新婚のころは、仕事を終えた石倉がよくカウンターのなかに入って、手伝ってくれていた。そこへ、ふっちゃん崇拝深川男が、ふらっと入ってくる。カウンターに向かい、ふと目を上げ、石倉と視線が交差する。すると、はじまってしまう。
「なんだ、てめえ」
「なんだとはなんだ」
「ばかやろ、表へ出ろ」
この繰り返しであった。役の上ばかりでなく、もともと竹を割ったような性格の石倉は、怒って客をどんどん追い出してしまう。
こんなこともあった。あまりにしつこい相手に業を煮やして、「わかったよ、じゃ、おまえにふっこをくれてやるわ」と言い放った。とたんに相手はしょんぼり肩を落として帰っていく。家に戻れば、こわーい(かどうかはともかく)カミさんが待っている身だったのである。
「結婚してから半年は、店に閑古鳥が鳴いていましたよ。でも、私はこれもしょうがない、いいやと思い切りました」
そんなきっぷを気に入る客も一方にはいて、「花菱」はやがて勢いを取り戻した。
花嫁、激怒「なにするのよ」■
ふっちゃんと石倉は最初、イチゲンの客と小料理屋の女主人として、この「花菱」のカウンターで出会った。
いまから20年前である。店に出入りしている電気工事店の主人が、知り合いの石倉を連れてきた。そのころは、レオナルド熊とコンビのコント・レオナルドでブレーク中であった。ふっちゃんがファンだと知って、取り計らってくれたのである。
「初対面で意気投合して、店が終わってから、ふたりで行きつけのカラオケへ出かけました」
とふっちゃんは、出合い頭の恋を証言している。
その後、石倉は店にしばしば飲みにくるようになる。めざしか漬物ぐらいを少しつまみながら、静かに飲む。しかも、きっぷがよくて、店の人気者になった。じつは「マドンナの略奪」を企んでいるとはツユ知らぬ深川男たちは、無防備にも「さぶちゃん、さぶちゃん」と大歓迎だったという。
ふたりは、そんな「外野」をよそに、結婚へ向かって急速に進んだ。
坂本九に、仲人を依頼する。石倉が、彼のショーの司会者をしていた関係である。ふっちゃんも一度会っている。『上を向いて歩こう』の歌手は、そのとき石倉に向かって「さぶ、よかったな、こんなにしっかりした人に巡り合えて」と言ったという。
しかし、坂本九は、ふっちゃんらの式を間近に控えた85年8月12日に、日航機の墜落事故のため、非業の死を遂げる。結果、式は一年延期された。ふたりが晴れて挙式したのは、86年10月16日であった。仲人は頼まず、武田鉄矢と、児童文学者の灰谷健次郎のふたりが、後見人を引き受けた。
控室で、白無垢に文金高島田の花嫁を前にして石倉は「ぐっときた。この女は一生大事にしようと、覚悟を決めた」と、いまでもふっちゃんに言う。
式には、芸能人が多数出席した。なかにビートたけしもいた。たけしは、離婚問題で騒がれている最中であった。レポーターもカメラマンも、結婚式そっちのけで、渦中のたけしを追いかける。主役のはずのふたりは、当然、おもしろくない。
とうとう、花嫁が取材陣に突き飛ばされるまでになった。頭にきたふっちゃん、「なにするのよ」と怒鳴りつける。この剣幕に相手は狼狽し、立ちすくんだ。 ある週刊誌が取り上げ「さすが石倉の女房」と評したものである。
三姉妹、力を合わせての創業■
いま、「花菱」の店内で天井を見上げると、小ぶりの弓張提灯が、群れをなして並んでいるのが、どこからでも眺められる。俳優・石倉三郎が、これまでに共演したり、店にやってきたりした芸能人の名前が、提灯に書き連ねてある。

花菱の店内
ふたりの結婚後は、さまざまの芸能人が出入りする、華やかな店として、知られるようになった。
いまは亡い横山やすしも、東京に来るとかならず寄った。彼は高知県の出身だから、香川県小豆島が故郷の石倉とウマが合ったのであろうか。
やっさんはたばこが大嫌いで、他の客が吸っていると、あからさまに、やめてくれと言う。ふっちゃんは気に入らない。「うちにはうちのやりかたがあります。やっさんの店じゃないでしょ」と言い出して、大喧嘩になったことがある。しかし、それ以後は気持ちが通じたようで、事あるごとに「奥さん、奥さん」と声をかけてきた。
九州男児の長渕剛は、酒を一滴も受け付けない。店に来ると、すぐに座敷の奥にひきこもって、焼き魚や味噌汁をおいしそうに食べる。ブルース・ハープが哀しい名曲『花菱にて』は、ここでつくったものである。
そんなこんなで、現在の「花菱」は、「石倉三郎の店」と言われることが多い。「石倉がカミさんにやらせている店」などと書かれることもある。ふっちゃんは言う。「うわっつらで、芸能人がやっている店とは思われたくありません。だから、中身だけはしっかりしようと、毎日努力しています」
「花菱」が40年前にオープンしたときは、三姉妹が力を合わせての大事業であった。魚屋経験のある長女(32歳)、芸者さんから転じた次女(27歳)、それに右も左もわからない三女(19歳)の三人である。
長女が魚をおろし、客扱いのうまい次女が接客と、それに煮物を引き受け、三女のふっちゃんは、いまで言えばホール、もっぱらお運びの担当であった。
当時は、深川の三業地のど真ん中である。店の二階は芸者置き屋さんであった。夕方6時になると、周りのお座敷から太鼓と三味線が一斉に聞こえてくる。店に三味線の箱を預けて、新内流しが出かけていく。
口のこえた客のために、魚と総菜を売り物に家庭料理を丁寧につくる店を目指した。はじめは、店のことで頭がいっぱいで、三人とも白いシャツ姿で客の前に出ていたりした。衣服のことまで気がまわらない。
店が終われば、洗いものを放ったらかして、座敷で、着の身着のまま寝てしまう。朝起き出すと、眼をしばしばさせながらも、手が勝手に動き、いもの皮をむき出している。
開店後しばらくして、NHKの大河ドラマで、栗原小巻、岡田茉莉子、藤村志保の三人姉妹が激動の明治維新を生き抜いていく姿を描いた『三姉妹』が放映された。それをぼんやり眺めては、「うちみたい」と言い合った。「テレビの三人、よく喧嘩するんです。私たちもしょっちゅうでした」と、ふっちゃんは思い出す。
その後、身体を壊すなどして姉たちは引退していく。彼女が石倉と出会ったころには、ひとりで全てを引き受けるようになっていた。
いまも大きな魚を自分でおろす。ぬか漬けも煮物の仕込みもする。全て姉たちの「直伝」である。手伝いの人がいないわけではない。しかし、一切を仕切るのは自分である。店が休みの日曜以外は、一日10時間は店にいて奮闘する。
「石倉三郎の店」と言われるのは、かまわない。実際、それで来てくれる客もいる。しかし、料理とサービスに込めるのは、叩き上げた40年という時間である。だから、客から、おいしいと言われるとき、和気あいあいの雰囲気に店が包まれるときこそ、生きがいを感じる、という。
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初出=下町情報誌『深川』160号
[2004.9.10.] .10.]
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