★ひとりごはん・新宿風月堂・古代ローマ

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 3年に一度ぐらい、風邪を引く。熱が出ると、食欲がなくなってしまう。悲しい。食べられるようになったらもっといい人になりますと、きっと心に誓う。

 イラストレーターの石渡希和子さん(45)にとって、「1日にたった3回しか出合えない」ごはんは、とても重要である。

 先ごろ、イラスト+エッセーの本『ぜいたくなひとりごはん』(すばる舎)を出版した。「ひとりだとしても、大切にしたいのがごはん」であり、「ひとりだからこそぜいたくに楽しんでいいのもごはん」と考える。

 自宅にいるかぎり、ごはんの時間は、朝8時、昼12時、夕6時と決めている。こうして生活のリズムをつくる。

 食卓に向かい、「いっただきまーす」と口に出す。目の前のごはんに元気に呼びかけ、食べることに、味わいに集中する。ときに、自分の料理の腕にひとり突っ込みを入れたりしながら。楽しい。とても楽しい。

 食事はやっぱり、みんなでしたほうがいいよね、とよく言われる。そんなことないよ、ごはんと向かい合っていることこそが、幸せそのもの。だから石渡さんは強く反論する。

 「じつは他の人と一緒に食べても、ひとりごはんなのです。ひとりひとりがごはんと向き合っている。私とごはん、あなたとごはん。だれと居ようと、食べるのは自分です。だから食べることをもっと真剣に考えたい」

 出来合いの食は敬遠するし、料理は手を抜かない。すると「そんな暇がよくあるね」と驚かれる。石渡さん、ただちに反撃。「自分でごはんつくって食べるよりも大事なことがあるのか、それを私は知りたい」

 この「ひとりごはん主義」者は、四畳半一間きりの目黒からはじまり、都内で独り暮らしを20年ほどしてきた。しばらく前から多摩地区の実家の2階に生活の場を移した。1階には母が住む。日常の暮らしは別々。

 環境が変わったのを機に、1ヵ所で全てできる態勢にしようと考えた。そこで、仕事机を台所に持ち込み、パソコンでインターネットをチェックしつつ、食事ができるようにした。ここで難問が発生。

 和食の場合、自分から向かって左がごはん茶わんで、右に味噌汁。これが日本人の食卓である。ところが、困ったことに味噌汁とパソコンが接近しすぎで、汁をこぼすとマシンをやられそう。心配で、安全な場所を求め、味噌汁をあっちこっち移動させるハメに。

 石渡さんは、心穏やかでいられない。パソコンごときにごはんが押しやられるのは、美しくない。せっかく食事と仕事が仲良く共存して、ひとりごはん態勢がコンパクトにまとまったと喜んだのに。これではダメ。どうしよう──。

 つねにゆるぎないのは、ひとりごはんのスターはお米のごはんだということ。石渡さんがこだわるのは玄米。「白いお米よりも、噛んでいるうちに味が出てくる」からである。

 明日死ぬからなんでも食べていいよと言われたら、迷わず玄米ごはんの塩むすび1個を、と固い決意。

 日本のひとりごはん、ここに極まる。(2007.3.1)

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 あれはどこへ消えたのか。私の青春はどうなってしまったのか。夢のなかで必死に探しまわる。江守純史さんの青春探しは、59歳のいまも続く。

 夢に見る青春は、新宿駅東口、飲食街の中央通りの喫茶店「風月堂」で見つかるはず。でも、店がない。裏手に引っ越したのか。そっちにもない。

 都内には、類似した名前の喫茶洋菓子店があるけれど、皆ちがう。江守さん、夢のなかで絶望する。

 生まれは長崎。親たちの離婚で、各地を転々とし、東京の下町に辿りつく。貧しく居心地の悪い家庭。1960年代の半ば、高校生の江守さんは、街から街へジャズ喫茶に入り浸る日々を送るようになった。やがて深夜も居続ける。

 「おもしろいかっこうの人たちがいる店」と、新宿街頭の似顔絵描きから教えられた。それが「風月堂」である。たしかに、アーティストや演劇関係者の溜まり場で、自由が溢れていた。気分がいい。その中2階に陣取り、睡眠薬でラリっては、うだうだと無為に時間を過ごすように。

 やがて、午前10時の開店から、夜の10時の閉店まで居てしまう。店の対応が緩く、気兼ねがない。閉店後は、明け方までオープンのジャズ喫茶に移動し、朝になると、7時に開く別の喫茶店へ。そこは「風月堂」の隣りだから好都合。

 「風月堂」はまるで太陽みたい。日々の生活の中心になる。お金は女友達からもらったり、シェアしたり。仲間が増えて、30名前後がここを拠点にした。

 彼らを世間は「フーテン族」と呼ぶようになる。マスコミでも話題に。なかで江守さんの渾名は「フーゲツのJUN」になった。

 フーテン族って昨今話題のニートとみたい。「仕事をせず漫然と過ごす若者という点は似ている。しかし、ぼくたちは、このライフスタイルから新しい文化が生まれると、楽天的に信じた。いまの若者は、もっと群れて族をつくり、自分を主張するべきだ」

 「風月堂」から駅へ向かうと、駅前に広々とした緑地があった。江守さんたちは「グリーンハウス」と名づけた。昼間からそこに座り居眠りしていると、仙人になった気分である。新宿が自分のものみたい。

 江守さんは、もはや自分の家に帰らなくなった。家出少年である。仲間たちとの心地よい居場所を「風月堂」界隈に見つけ、家族よりも強い絆で結ばれた。みんな暖かであった。親も教師ももう要らない。

 当時の新宿は、新しい演劇、映画、ファッションが溢れる街であった。そこでの自由はかけがえがない。

 「風月堂」は1973年に店を閉じた。だから江守さんは夢で探す。「風月堂」で過ごすうちに書きだした詩作もずっと続け、月に一度、朗読の会を開く。

 10年前、ホームページ「電脳・風月堂」を自ら立ち上げた。そこで、店の主人(故人)宅を訪ね、あいさつを兼ね、焼香した。

 かつて、コーヒー1杯で終日ねばった末、もらったレシートをぽい捨てしていたことを主人の妻に話し謝った。妻はしゃきしゃきと答えた。「あのころは代金払う人なんてほとんどゼロだったわよ」

 ──なんだか楽しくなってくる。(2007.3.8)

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 かつて地中海周辺全域にまたがっていた、紀元前にまでさかのぼる世界帝国、古代ローマ。それに比べたら豆粒ほどにもならない。でも、この赤坂のバーは、小さな小さなローマ帝国である。オーナー・バーテンダーの李和典さん(36)は、そのつもりでいる。

 「お客さんが皇帝で、ぼくは、付き従う特攻戦士かな」

 店名は「ピエタス・リーズ・バー」。ピエタスとは、慈愛や敬う心という意味のラテン語。ローマ人が大切にした道徳心を表わしている。「店の内装もローマっぽくしたかったくらい。でもカウンターを大理石にしたりすると、お金がいくらあっても足りないからやめたけれど」

 この7年ぐらい、李さんは、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を愛読し、熟読している。これは古代ローマの興亡を描く全15巻の大著で、昨年完結した。酒棚に隣り合って本が並ぶ。客の旅行土産の古代ローマ遺跡絵葉書も。

 「古代ローマの支配者たちが、強い信念をもって戦い政治を行ったことに魅かれる。征服しても相手を奴隷にせずに対等に扱った。戦いに敗れて戻った軍人にもふたたび勝つチャンスを与えた。まず相手を拒まず受け容れることが必要だと教えられる」

 ときに、大きな声で話すバーの客がある。しかし、大声お断り、と直ちに反応はしない。ときには、李さん自身が少し声を大きめにして対応する。あるいはぐっと小声で話しかけ、相手が気づくよう仕向けることもある。

 まず自分を信頼してさえいれば、その場で右往左往することはない。

 ローマ帝国では、しばしば暴君が現われ、人々を苦しめた。「でも読んでいて勇気づけられるのは、ローマ人たちが、そういう連中を克服していったこと。店のことをふと思い、つらいときもいいときもあるんだとわかれば、ポジティブになれ、励まされる」

 李さんは、韓国籍の在日3世である。子どものときは、同級生などから「朝鮮人」扱いを受けた。数年前、店の物件を探したときは、国籍を理由に何度も断られた。

 現在、日本への帰化を申請している。「ぼくは日本語しかしゃべれない。中身はほとんど日本人だ。これから日本で結婚して家庭を持ち、仕事をつづけていく。生きていく最善の手段として日本国籍をとろうと決心した」

 日本人としての姓もすでに決めた。韓国人姓にこだわりはないか? 「李は心のなかに残る。バーのお客さんは、李さんと呼びつづけるだろう。いくらでも呼んでほしい。人間は変わらないわけだから」

 その日の準備が完了して、開店までの短い時間。あるいは、9席あるカウンターの客足が途切れた、すき間の時間。まもなく日本人になるであろう李さんは、『ローマ人の物語』のページを開き、読みつづける。

 いつか、かつてのローマ帝国の辺境に沿って、その壮大な領土を一周し、古代の遺跡を訪ねてまわりたい。そして思う存分に写真を撮りたい。これが、李さんの夢である。

 最近、デジカメを買った。(2007.3.15)
[2007.6.11.]

読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!


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