★限界狭間アーティスト・バックパッカー・女性起業家

 美術家の新藤武吉さん(50)は、限界狭間(はざま)アーティストである。この自称は、通勤に京王線狭間駅(八王子市)を利用してきたこととも関係がある。

 先ごろ座骨神経を痛めてしまった。いまは、坂のある狭間駅を敬遠し、途中が平坦で腰に負担の少ない隣り駅の高尾にしている。やや寂しい。

 でも、限界狭間アーティーストを、「限界隙間(すきま)アーティスト」などにはしないつもり。

 月曜から土曜は、府中の生花店に通い、朝から晩まで筆を握って、山札(葬儀用の菊の花に挿す木札)の文字を書きつづける仕事。

 日曜はずっと、幼い我が子たち、吉朗くん(8)と夕やけちゃん(5)と過ごす。

 そんな日常の日々の狭間あるいは隙間で、自宅や駐車場の一隅など限られたスペースを使い制作する。ベニア板をつなぎペンキで風景などを描く。子どもらが手伝いたいと言えば、画筆を渡して塗りをさせたり。

 10年あまり前、当時30代の新藤さんは、ぷちぷち一巻きに段ボールを張りつけた人形と共に、井の頭公園に登場した。キャンバスの上で、人形と戦う。持参のペンキをぶちまける。遂に必殺技を決めて、人形をKOした。これも作品。

 やがて、素知らぬふりで上野公園の一角にも姿を現わした。

 今度はゴザを敷いて座る。「空書 一書 五百円」の看板を立てる。客が来る。立ち上がって、客の望む文字を空に力強く揮毫する。終わると雅印を押す仕草の後、一緒に観賞する。見えなくても作品。

 お茶のサービスがあり、持ち帰りを希望する奇特な客には、幻の書(しょ)をクルクル巻いて手渡す。

 「全身で表現したくて、身体ごとぶつかった。でも大道芸や駅前フォークが繁殖したのでやめた。ぼくは、人に無視されたり気づかれないのが好きなので」

 今年の春先、上野の東京都美術館の美術展に、かわいい玩具の犬を出品した。底に車輪がつき、だれでも、ビニールの引き紐を手に、しばし犬との散歩を楽しめる。気持ちが和む。

 じつは、同じミュージアムのすぐ隣りの部屋で、同時に開催された書道展にも、新藤さんの書が出ていたのは、ほとんど知られていない。「搬入搬出が同じ日で、ついでに出した」。違和感はまるでない。

 書道作品のほうは、勤務先での山札書きの、まさに狭間で制作した。

 最近は葬儀生花でも機械化が進み、筆で書かずに、印刷シールを貼るケースが多い。そこで新藤さん、漢字を文字を分解して、まずプリントアウトしてから切り張りして組み合わせ、ひとつの作品に仕上げた。結果は入選。本人「どうしてかな」と首をひねる。

 「いまの世の中、どんどん平面的になっている。どんな冒険にもテレビキャメラが付き、ほんとうの冒険はない。スポーツ試合はリプレー・シーンばかり。オリジナルはない。そんな日常にどっぷりつかる超日常の作品をつくりたい」

 繰り返しとコピーの洪水を泳ぎ渡るアーティスト。

 さて、新藤さんが姿を見せなくなった狭間駅前には百日紅が咲くという。夏本番、昨年と同じ赤い花が同じ場所で満開になったか。(2006.7.27.)

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 2段ベッドを並べ、10人あまりが同じ部屋に。部屋代は一日1000円から。日本人外国人の別なく、比較的若い層がチョイ滞在に利用するゲストハウスは、都内で200に及ぶという。

 片岡恭子さん(38)は、そのひとつで管理人を務める。バックパックを負い、中南米を中心に世界30カ国以上を旅してきた。東京にしばし「定住」し、見つけた「定職」がこれ。

 ゲストハウスの仕事は、予約の受付、館内の掃除、金銭トラブルや深夜の酔っ払い対策、学生寮に住み込んでいるみたいでもある。

 もっとも、旅のベテランは、間もなくフィリピンへ旅立つ。3週間後に戻り、さらに1カ月の予定で、ペルーとボリビアへ向かう。

 束の間の東京暮らし。この夏は、明治公園(新宿区)などのフリーマーケットに出店し、旅で買い集めた小物を売った。またレンタル・ショーケース(ロッカー形式のスペースを賃借して小物などを陳列販売)でも、海外の陶器や手染めの布の即売をはじめた。

 「旅の体験を出版社に売込んだり、グループ旅行の世話をしたり、旅に関わる仕事の拠点が、私にとっての東京です」

 片岡さんはかつて、関西の大学図書館で司書をしていた。8年前「たいした理由もなく」スペイン語にはまり、スペインに留学。1年後に郷里の滋賀県に戻ると、不況の嵐が吹き荒れていた。消費者金融のカード係の仕事を見つけたが、馴染めず鬱々と過ごす。

 私生活も頓挫する。東京で働く彼との遠距離恋愛が、急坂をころげ落ちるような事態に。「30歳前後で結婚しなくてはと思っていたから、そのタイミングを逃してしまい、精神状態が悪くなり、仕事もやめて引きこもりになりました」

 片岡さんを目覚めさせたのが、2001年の9.11同時多発テロであった。ニューヨークの超高層ビル崩壊で生命を落とした日本人ビジネスマンのなかに、大学の同窓生の名前を発見する。

 「海外勤務のエリート社員が、なんの落ち度もないのに死ぬんだ。好きなことしたほうがいいよな、と自分に言い聞かせました」

 すぐにスペイン経由で南米へ旅立つ。結局、2年数ヶ月に及ぶ長旅になった。

 しょっぱなのスペインで、強盗に首を締められ、所持品を奪われた。しばらくすると、なにを盗られたのかさえ忘れていた。物欲が消える。学生時代、ブランドのスーツで通学していた自分が信じられない。

 あのころは、先の先の人生設計をして生きていた。だから、よくつまずいてはストレスを貯めた。旅では一寸先は真の闇。

 グアテマラでバス乗務員に恐喝され、アルゼンチンの雪山で遭難しかけ、ボリビアでは暴動に遭う。「たとえゲリラに誘拐されても、私もうあわてないでしょう」と片岡さん。いまを精一杯生きることを学ぶ。

 一昨年の春先、長い旅から戻り、東京に住みはじめたころ。御徒町の交差点で信号待ちをしていたときのこと。右から中国語、左から韓国語が飛んでくる。東京にはこんなにたくさん外国人が来ている。日本人の自分が暮らしていくのなんて楽勝、楽勝──。

 片岡さんにとって、海外への旅は、この東京で生きる活力源でもある。(2006.8.3.)

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 今日という日は戻らない。明日事故に遭って死んでもいい。今日までは燃焼して精一杯生きたい。小沢智子さん(40)は、そんな自分をマグロだと思う。

 マグロという回遊魚は泳ぎつづけていないと死ぬ。小沢さんもつねに先へ進まないでは生きていけない。

 今年初め、会社勤めをやめた。18年で4社。経営企画に参加してきた。「もったいない」と引き止める身内に「人生一回だから」と答えた。「自分のしてきた全てに終止符を打ち、成功するかどうかもわからないのに出ていく。ギャンブルですよね」と言う。

 5月に、ウェルビーイング株式会社を立ち上げた。アロマトリートメント(芳香療法)の出張サービスから、美容業界の経営コンサルティングまで、幅広く健康ビジネスを手がける。

 それにしても、小沢さんの起業に至るまでの奮闘は、壮絶である。

 発端は3年前。勤務先の外資系製薬メーカーで、一緒にプロジェクトを進めていた外国人同僚の「罠にかかった」。失敗の責任の濡れ衣を着せられたのである。出社するのが初めてイヤになり、円形脱毛症に。

 後輩に誘われ、タロット占いへ行った。占い師から「宮仕えは向いていない。人のためになり、人と関わり合える仕事をしては」と勧められる。驚いた。その10年近く前から心理カウンセラーになりたいと考えていたからである。心の靄が晴れ、背中をぽんと押された感じがした。

 その晩にはネットでカウンセラーについて調べだす。また、カウンセリングを受ける人は癒しを求めて来ることが多く、アロマセラピーに関心が高いのを知った。

 心と身体の健康をテーマに起業しよう。目標が決まった。

 カウンセラーになるには、大学の専門科目を履修する必要がある。さっそく放送大学に編入。アロマセラピストの資格をとるための学校にも通いだした。37歳であった。

 「高給をいただく会社」の仕事をこなしつつ、昼休みも勉強に打ち込み、睡眠時間はぎりぎり。食事をつくる手間ひまが惜しくて外食ばかり。同時に3つの学校に通い、会社を含めると「4足のわらじ」をはいていた時期さえある。

 小沢さんにとって、この「苦行」は、一方で快適でもあった。新しいビジネスへ向かって突き進むのが楽しい。

 ──会社は、自分で一切の手続きをしてスタートさせた。いま3カ月あまりが経つ。業績は順調で、かつての年収を1年半後には取り戻せるであろう。

 三軒茶屋に近いマンションの一室がオフィス。小沢さんの住まいでもある。

 副社長の波多野由利さん(44)との打ち合わせはリビングで。波多野さんは、百貨店の法人外商部門に22年勤続したベテラン。「これが人生の転換点」と思い定め小沢社長に合流した。

 ふたりをを励ますのは、小島武夫さん(プロ雀士)から贈られた額「今日負けても明日は勝てる!」。さらに玄関にも、あいだみつをの雄渾な墨文字の額「一生勉強一生青春」がある。

 小沢さん、やや控えめに一言。「少しずつ前に行けるかぎり活き活きとしていられます」(2006.8.24.)
07.1.12.

読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!


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