★現代詩詠・1000円カット |
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夜更けの病院。東京の銀行の不動産担当者は、デベロッパーの営業部員に付き合って茨城に来た。2人は院長が外出から戻るのを待ち、マンション購入を説得にかかる。午前0時を過ぎてしまう。「先生は詩吟がお好きとか。私も嗜む。一曲やります」と銀行員。
ところが院長室の隣は病棟。真夜中。先生、平然と「この部屋は完全防音で、大声おかまいなし」と。そこで銀行員、立ち上がる。本来の詩吟とはややちがう。漢詩でなく現代詩に節をつける。現代詩詠とか。
聴き終えた先生、目に涙をにじませ、初対面の銀行員の手を握りしめて「すばらしい。ありがとう」
銀行員の田川昌央さん(現在68)のほうがびっくり。現代詩詠は自分でそう名づけているだけ。しかも「持ち歌」は1曲のみ。こんなに感動されるとは。先生は、快くマンションの購入契約もした。不動産不況只中の1976年である。
その後、先生自作の詩に田川さんが節をつけ、レコードもつくる。深夜の朗詠がきっかけで、ふたりは終生の堅い友情に結ばれる。5年前、先生は他界してしまったが。
詩吟好きの医師が心をうたれた曲は「泣くな長崎」と言う。長崎市民の間で原爆体験が風化しているのに心を痛めた、地元の眼鏡店主の作詩という。
「まつりの好きな「君」だった/人にやさしい「君」だった/あの日の空が/まっかに焼けて/仲間が多く去ってから/「君」に笑いは消えていた/泣くな長崎 浦上の土……」(詩 高浪藤夫)
田川さんは、20代のころ、帰郷した折り、この詩に出合った。自身、ナガサキ被爆者のひとりである。
原爆投下当時は6歳。あの日、爆心地から2.6キロの自宅にいて、遭った。家族と山へ向かい逃れながら、県庁のドーム屋根から「紅蓮の炎」が立ちのぼるのを目撃している。高射砲陣地では、地面にへたりこんだ兵士たちから「水を」「水を」と哀願された。
幼時の悲惨な記憶にもう一度生気を吹き込もう。詩吟風の節をつけて歌おう、と思い立つ。明大在学中、詩吟部で鍛えられていた。
大きな声を出すので、人前で勝手にはやれない。川や海に向かって叫ぶ。満員の通勤電車では心のなかでつぶやく。いちばんいいのは、静かな山のなか。しかし、怖い気がしてしまいかえって歌えなかった。
しだいに、自分自身の心の歌として自覚するようになった。もっとも、初対面の医師の面前で朗詠するまで、他人の心までも動かせるとは考えてもいなかったのだけれど。
これがきっかけで、田川さんは、現代の詩を探しては、節をつけることをはじめた。各種の催しで朗詠する機会が増えた。教室で現代詩詠を教えることもある。その底につねに流れるのは、原爆体験者としての祈りの思いである。
92年、バブル経済の崩壊を機に、田川さんは取締役まで務めた銀行をやめる。現在は、JR大森駅前で、地元の不動産店の支店長をしている。
休憩時間にひとり、自分の店があるビルの屋上に上がり、朗々と詠じる。繊細に、そして力強く。その声は周囲の騒音に吸い込まれ、たちまち消えていく。(2007.7.26)
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巷で流行る、男たちの千円カット。髪をカットするだけ。ひげ剃りなし、シャンプーなし。所要時間は10分前後。代金1000円。
この店も「せんえんかっと」を名乗る。しかし、他とはちがう。パンク系もモヒカンも、襟足長いプロレスラーカットも、1000円。店主の泉克久さん(44)自身、髪の毛を短くして形をそれらしく整えるソフトモヒカン。
ここは、JR阿佐ケ谷駅に近い横丁、有名和菓子店の隣にある「ジプシーウェイ」。店名は、ある人気プロレスラー・コンビから贈られた。
店は、7坪あまりのウナギの寝床。理美容椅子はひとつだけ。もうひとつは予備。床が黒とピンクのチェック。BGMはハードなロック。したがって、年寄りの客がつづくとボリュームをどんどん下げていき、やがて音が消える。
泉さんが千円カットを初めて知ったのは10年前、赤坂見附のカットハウスに勤めたときである。
「目前のお客の頭をバンバン片づけていくのが気持がよかった。ぼくの性に合っている。数が多ければいろんな人に出会える。それもおもしろかった」
30代の半ばにもなっていなかったけれど、25歳でオープンし6年続けた美容室を閉めるという、苦い経験をすでにしていた。
20代の泉さんの美容室は「アナーキー」。高校生の時から同名のバンクバンドが大好きで、同じ名前の店を持つことを念願していた。夢がかなった。折りからバンドブーム。目立つ髪型にこだわる若者たちが、この美容室に集まった。人呼んでバンク美容室。
泉さん、売れっ子になり、テレビなどの取材が殺到した。バンドのメンバーに呼ばれて楽屋まで出張髪結いしたことも。
大忙し。レゲエのドレッドヘアなど、髪を編み込んだり、逆毛立てたりする力技がたたり、手の腱を痛めた。腱鞘炎で店を閉じ、手術をしたのである。
泉さんの妻で美容師の明美さん(38)は、手が痛くて当たり散らす夫を持て余した。一方、妻にも弱点がある。手が荒れやすく、すぐ化膿すること。夫婦はお互いにやりきれない思いをした。「彼は腱が弱い、私は皮膚が弱い」と妻。
そんなふたりに、千円カットは福音になった。カットなら力が要らないから手への負担は軽い。また、薬液を使わないので皮膚は痛まない。そのうえ、ふたりとも、新しいことに飛びつくのが好き。
働き、資金を貯め、昨年の春、JR阿佐ケ谷駅近くと隣の高円寺駅界隈とに、千円カットの店がめでたく2軒揃った。夫婦で1軒ずつ担当する。
もっとも泉さん、安いだけの千円カットでは満足しない。パンク好きの虫が騒ぎ出す。
さまざまな髪型に合わせた千円カットを考案する。たとえば、坊主頭に細かいぼかしを入れたり。普通では我慢できない。
近頃、店内から外の通りを眺めていると、自分が、ちがう鳥かごへ行きたがっている小鳥に思えることがある。危ない、危ない。
泉さんがこだわりつづけるアナーキーとは、英語で「無秩序、混乱状態」の意味である。(2007.8.3.)
★[2007.9.14.]
読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!
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