★絵地図師・夕暮れを撮る・エコ雑貨店

 あるカルチャースクールで、東京下町の街歩き講座の講師を担当する。60代から70代の女性が中心の25名ほどを「引率」して歩く。浅草、向島、谷中、根岸など。

 しかし、名所や史跡の説明だけでは済ませない。街の人を巻き込んでしまい、受講者から喝采を受ける。

 浅草の裏通りで、鯨料理の店の前を通りかかったときのこと。

 店内でニコニコしているおやじさんがいる。店主だなと直感。声をかけると気軽に、街のことから、自分と有名タレントとの縁までとうとうと語る。道端で主人を取り囲む受講者から拍手が起こった。

 「ハレとケ。よそゆきと日常。日本人の本質はケのほうに顕れると私は思っています。だから、街を理解するには、そこに暮らす人を知らなくては」

 高橋美江さん(54)が街歩きをガイドするようになって2年近い。しかし、その以前に長い蓄積がある。自治体や商店街などの依頼で、東京ばかりでなく、各地の街の絵地図(イラストマップ)を描きつづけてきたのである。その数は約200点に及ぶ。

 絵地図だから、風景も名産品も取り込むが、高橋さんは、好んで土地の人たちの表情を描く。そのため、街を丹念に歩き、人と触れ合う。それが、一味ちがう街歩きの基礎になっている。下町歩きの講座でもかならず、ガイドする街の絵地図を1枚ずつ配る。

 現在、高橋さんは絵地図師、あるいは散歩屋を名乗っている。

 さて、ここで20年前にタイムスリップしてみる。そこには30代の高橋さんがいる。ジグソーパズルの絵柄合わせを完成させようと必死になり、徹夜さえしてしまう主婦である。私はなんでこんなことしているのと、しきりに首を傾げているかもしれない。

 4歳と1歳、男の子と女の子、ふたりの子どものお母さんでもある。子育てにも主婦業にもなにも不満はない。とは言え、困ったことに、育児や家事には区切りや節目がない。だらだらと限りなく続いていくだけの気がする。これは困る。

 上司がいるわけでなく、お金のやりとりもない。そこでは緊張感や達成感を抱くことができない。

 周囲を見回す。60歳を過ぎたおじさんやおばさんたちが、身体のあちこちに故障を抱えて生きている。自分ももう半分来たな、と気づく。残り半分の人生を充実して生きなくては。ジグソーになど夢中になっている場合ではない。仕事を探そう。

 ベビーカーを押して職安(後のハローワーク)へ出かけていくことから、仕事探しをはじめた。結婚前にグラフィック・デザインとイラストレーションの経験がある。おかげで友人がイラスト描きを依頼してくれ、なんとか再出発ができたのである。

 ――今年6月、はじめての著書『絵地図師・美江さんの東京下町散歩』(新宿書房刊)を出版した。絵地図師の一生懸命と散歩屋のこだわりで仕上げたガイドブックである。

 いま、高橋さんが念じることはひとつ。これからも緊張感と達成感を失わずに生きたい、と。(2007.11.15)

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 太陽は隠れても、夜にはまだ間がある数十分。明かりがともり、あたりがぼんやりしはじめる。とはいえ、はっきりした影はまだない。そぞろ昔が思い出され、懐かしい気持ちになることも。夕暮れの東京は、しみじみとして切ない。

 写真家の鷹野晃さん(47)は、折りにふれ、紅葉狩りならぬ「夕暮れ狩り」に出かける。ひとりきりで、あちこち夕暮れを見てまわるのである。都内各所に、夕暮れポイントがある。

 たとえば、文京シビックセンター(文京区春日1丁目)。25階展望ラウンジからは、新宿新都心の向こうに、くっきりと富士山が望見できる。とくに11月には、峰にかかるようにして夕陽が沈むことも。

 代官山の西郷山公園(目黒区青葉台2丁目)では、夕暮れになると、どこからともなく人が集まる。おしゃべりしながら夕陽を浴びる、珍しい光景に出会う。

 鷹野さんはまた、下町の賑わい商店街の夕べも見逃さない。人込みに混じって、人々の息遣いを間近に聞き、夜と昼との狭間の時間を漂い、遊ぶ。

 このほど、9年前から、夕暮れを撮りつづけた写真を、写真集『夕暮れ東京』(淡交社刊)にまとめた。

 この夕暮れスペシャリスト一押しの眺望ポイントは、台場を走る新交通ゆりかもめの車中という。それも、豊洲から新橋方面へ向かう先頭車両に乗ること。自動運転だから乗務員席はない。前方が開けている。運が良ければ、そのまま都心の夕暮れに突入していくような錯覚を楽しめる。

 「夕暮れに向かいあうとき、気力が充実していれば、前向きな考えが浮かぶ。しかし、気弱になっていると、いまは亡い友を思い出して、なぜ死んでしまったのかと切羽詰まった気持ちになるようなことも。夕暮れにはまず、自分の精神状態がそのまま映し出される」

 鷹野さんは、晴れた日、都心にいて夕暮れを味わいたくなると、ビルの屋上にかけあがる。

 閑散として無愛想な屋上から見渡す夕空。暗くなる寸前の空の赤と青のグラデーション(濃淡)、雲の移り行きを楽しむ。ひとしきり夕暮れに浸っていると、やがて心がリセットされるのがわかる。

 「元気をもらって、生まれ変わった気分になれる。私は、この夕暮れの力、夕暮れの効用を信じている」

 そっと「明日もいい日でありますように」とつぶやくこともある。4年前に父親になった。以来、このつぶやきが頻繁に出てくる気がする。

 札幌で育った。小学校高学年のある日曜日。親たちも兄も出かけ、ひとり留守番をしていた。明日はもう学校か、あーあ、つまんないな、という気持ち。テレビで『笑点』がはじまるぐらいの夕暮れどきである。

 ふと窓の外に目をやる。と、空一面、濁った黄色に染まっている。それまで一度も見たことがない色合い。そして、ひとりだけ捨てられてしまったような、強い不安に襲われた。

 夕暮れを撮るようになって、あの古い記憶がよみがえってきた。「昼とはちがう感覚のスイッチが、パチンと音をたてて入る気がする。どこか心のずっと奥のほうで」(2007.11.22.)

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 最近店頭に登場したのは麻のコーヒーフィルター。何度も使える。近ごろ話題の生理用布ナプキンは、6年前から扱っている。彼と連れ立って買いに来る若い女性も。指をひろげ血行をよくする五本指靴下は、21年前の開店まもなくから変わらない売れ筋。

 JR国立駅に近い路地にあるエコ雑貨の店「SAP」(さぷ)はわずか3坪。店内には、千点あまりの雑貨、衣料品が所狭しと。通路の床にはみだすほど。

 オーガニックコットンの無蛍光肌着、竹繊維のタオル、粉石鹸、天然原料のマニキュア、絹の腹巻、天然繊維・防ダニ加工のふとん……。環境と調和して暮らすための品々を提案し、朝から夜までの日常をケアすることを目指す。

 店主の川瀬佳恵さん(48)が、奮闘する。「大風呂敷をひろげると、次の世代に良い環境を引き継ごうと。そのために、自然の恵みの一滴、一滴を大切にしたいと考えながら、この仕事をしている」

 店名のSAPは、英語で「樹液」のこと。ただし、これとは別に「間抜け」という、笑ってしまう意味もあるのだと。

 川瀬さんは、少女の頃、クラシック・バレエでプロを目指していた。身体を気にかけながら生きる日々であった。指の先までをつねに意識し、鏡の前で練習をつづける。こうして、自分の身体と直接に向き合うことを学んだ。

 その後、23歳の誕生日に、当時まだ国立にはなかった、玄米定食の食堂をはじめた。大地のエネルギーの詰まった玄米と野菜だけを使って食事をつくり、提供する。それは、幼い日のバレリーナの夢につながっていた。身体を気にすれば、かならず健康に行き着くのだから。

 店を開けてすぐ、あたりまえのことに気づいた。忙しいと1日60食もつくらなくてはいけない。これは大仕事なのだと。それでも客がつき、軌道に乗ると、やめたくてもやめられない。

 やっとピリオドを打つきっかけが、27歳のときの妊娠。子育てをしながらでは、夜の遅い食堂運営は無理。それでも、仕事はしたい。結論は、身体への志はそのまま、「子どもが泣かないよう、寂しくないような」仕事に転じること。

 結果、食堂を模様替えして、自然志向の衣と住の品々を商う店に変えた。これがSAPのスタート。生後半年の娘を連れて店に出かけ、母乳をあげながら接客をした。当初は草木染めの衣類が中心だったが、まもなく、雑貨店への道を歩み出し、いまに至っている。

 「ご主人がよそで働き、こちらはご趣味で」と、よくうらやましがられた。そうではないのである。この子だけは育てるぞと、負けん気にも後押しされて、ずっとやってきた。

 その娘が成長し、最近、成人を迎えた。

 「娘には幸せな結婚をしてほしい。私自身は、50歳をどう迎えようかと考えている。そのときが来れば、機が熟し、なにかひらめきがあるかもしれない。いまはただ、子どもと暮らしながらしてきたことを、これからの人生にどう生かせるかと」

 川瀬さん、2年後の50歳を楽しみに待つ。(2007.11.29.)
[2007.12.25.]

読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!


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