★ディズニーランドが望めるあたりで  カット

 東京ディズニーランドがオープンして間もないころだったと思う。旧江戸川を和船で下ったことがある。

 船の右手が東京都江戸川区、左手に、いまでは立派な住宅地域になっている千葉県浦安市ということになる。船上から、シンデレラ城の尖塔が眺められた気がする。そう思い込んでいるだけかもしれないけれど。

 午後の3時ごろだったが、陽の光はなく、鉛色の空が頭上を覆っていた。船には十数人のグループで乗ったのだが、実際には、知った顔が2人きりであった。所在なくて、舟の尾っぽのほうに寝ころんで、時間をやりすごしていた。

 船は東京湾に出て、それを合図にして、天ぷらの宴会がはじまり、やがて句会となった。船を仕立てて句をひとひねりしようという「風流」ともなんとも言いがたい会合に、誘われるがままに、うかうかと参加してしまったのである。後悔が波のように押し寄せてくるけれど、もうどうしようもない。渡された短冊に、句とも言えないようなものを書きつけた。

  水の上
  仰向き寝れば
  空の下

 季語はどこにあるんだい、「仰向き寝れば」なんていう表現ないだろ、などと突っ込まないでもらいたい。いましがたまでの、落ち着かない気分をそのまま5・7・5に押し込んだまでのことである。

 それでも、この5・7・5は、いまも忘れない。仰向けに寝ころんでいると、たいそう気分がよかった。自分がいったいどこにいるのかが、まるで不分明になって、空と水の間をふわふわと漂っているようなものである。他に人がいなければ、眠りにさえ落ちたかもしれない。眠りの底に横たえられてそのまま目覚めなくても、それはそれでいい。身も心もほとんど投げ出した状態を体験した。

 水路から海へ流れ出る。水の道から、水の原っぱとしての湾へ、そして広大な外海へ解き放たれる感覚がなんとも言えない。無限の空の下を、いまぼくは無限の水へ向かっているのだという思いの虜になっていた。このときの釣船は東京湾から外へ出ることはないのだけれど、思いはすでに、太平洋であった。

 ぼくは昭和15年の東京生まれ。子どものころに、川から海へ出ていく体験をしていない。同年配の知己との間で、そんな話題が出たこともないように思う。

 成長期は戦後間もなくの頃で、当時の川は汚れきっていた。川べりを歩くと、川面から立ちのぼる悪臭がむせるようであった。そんなところを船で下っていくなど、思いも及ばなかったのにちがいない。

 だから、先輩たちが、記憶のなかから取り出して披露する水の思い出話はうらやましい。

 日本橋の和菓子屋の主人から戦前の少年時代の「日帰り社員旅行」の話が出た。毎年春になると、船を仕立て、主人一家と従業員総出で潮干狩りに出かけたのだそうである。日本橋川から隅田川に出て、東京湾へ下り、千葉方面の海辺へ向かう。

 「海岸で貝を掘るのよりも、行き帰りの船の上で、親に叱られながら同年配の小僧さんたちとふざけあっていたのが、楽しかったし、一番の思い出だね」

 水の上、あるいは空の下では、だれが主人方か使用人側かなどということは、すっかり忘れられているのであろう。

 川にしろ、海にしろ、それらが、自由に対する人間の憧れを煽り立てる装置であるかと思いたくなるときが、たまにある。そういうときは、とても気分がいい。
2006.4.7.


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