★CGデザイナー・三月の羊・「テーゲー」設計

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 学校の勉強は大の苦手。スポーツも自信がない。なんでもよく出来るきょうだいにいつも負けている。劣等感がいっぱいの女の子であった。

 秋長祐子さん(42)は現在、CG(コンピュータ・グラフィック)のデザイナーとして活躍している。ホームページの制作や、玩具類の企画開発を手がける。一昨年には、テレビ番組でレゴブロックのオリジナル作品を競い、チャンピオンに輝いた。

 幼いころ、何事にも自信が持てなかった秋長さん。彼女を支えたのは、「さっちゃんは絵が上手だから」と、長所だけを言ってくれる親たちであった。

 中2のとき、誕生日のプレゼントにほしいものを訊かれて「超合金ロボット」と答えた。父親とトンカツ屋を営む母親は、「いいわよ、いくらすんの。あんたは変わっているから、いいんじゃないの」と応じた。

 キティちゃんにもアイドルにも興味のない娘は、やがて後楽園のスーパーヒーローショーに通う。アクションの決めショットを撮るのに熱中するように。

 とりあえず入学した専門学校のグラフィックデザイン科で、卒業の頃コンピュータに出合う。1980年代半ばの当時はパソコン石器時代。時価2千万円のマシンの使い方を教師のだれも知らない。秋長さんは仕組みを突き止め動かす。これで仕事がしたい──。

 絵を描いて遊んでいると半年後、幸運がめぐり、企業から学校に、CGができる卒業生を求めてきた。就職する気がなく、家業のトンカツ屋を手伝っていた秋長さんの出番になった。

 「一家に1台の時代が来ると確信していました。でも、まだ取り組んでいる人はいない。いまはじめれば、負けてばかりの私にもチャンスがある。その後も、追いつかれそうになると、もっとがんばれと自分に言いきかせた。危機感をバネにやってきました」

 秋長さんの就職観は、一貫している。給与が高い企業だから、将来性があるから、あるいは世間体がいいからなどは関係ない。コンピュータをで高度の技術力、デザイン力が得られることをひたすら目指す。

 だから、新人並みの初任給で入ってしまう。派遣も厭わない。1年ぐらいで技術をおぼえると、やめてしまう。やりたいことができるマシンを求め、東京をあっちこっちと放浪しているみたいである。

 28歳まで、この繰り返しであった。その後は、2年前にフリーになるまで、同じ企業に10年居た。新しい技術が次々に現われ、仕事の中身が変わっていったからである。変化に懸命についていき、挑戦しつづけた。だから、転職を繰り返したも同然であった。

 社長から、はじめての、しかもむずかしい仕事を任されるのがうれしかった。

 こうして、かつて夢中になった超合金並にパワーアップしつづけるのである。

 年若い自分をバックアップしてくれた父母は、4年前、トンカツの店の暖簾を下ろした。ふたりが言い争うのは仕事の上で食い違ったときだけだったのを思い出す。「私も、お互いを認め合えるパートナーと一緒に、仕事の質をさらに高めていけるようになりたい」(2007.3.22)

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 羊が大好きで、ひつじ年生まれ。風貌も羊を連想してしまう。生まれは3月。そこで、店名は「三月の羊」になった。

 西荻窪駅に近い路地の突き当たり。芹沢章正さん(40)は、羊の形のメレンゲやクッキーをはじめお菓子やパンを焼いて売る。きょう売れる分、妻とふたりの生活に必要な分だけ。売り切れ御免。添加物はほとんどゼロ。包装にシールもモールも使わない。

 わずか7坪の店なのに、8席だが喫茶店も兼ね、絵本専門の本屋さんでもある。接客担当の妻の久子さん(30)は以前、図書館の司書をしていた。「売れ残ったら自分のものにしたい、隠れた名作絵本」を揃える。この店、いったい何屋さん?

 夫「基本は羊の店。なになに屋ではありません」

 2年半前のオープン当初は週休1日で、夏休みが4〜5日であった。いまは週に2日休み、夏はまるまる2週間休業するように。

 夫「1日ずつ休んでも疲れがとれない。短い休暇ではなにもできないことがよくわかったから」

 たくさんつくり、たくさん売るためにがんばる。そのために長い時間働く。そんな商いの固定観念は、きれいに捨てた。

 妻「でも、2週間休んだ翌日はさすがに、お客さんから忘れられているのではと不安でした。でも皆さん、お帰りなさいと言ってくれて」

 昨年の夏、ふたりは北海道を自転車で走った。釧路から旭川まで250キロの長丁場をみごとクリアした。

 夫「若い頃からキッチンでパンやお菓子をつくる仕事をしてきたけれど、やっと楽しめるようになった。あの北海道自転車の旅で、彼女と一緒に走り、連帯意識がさらに強まったことが大きいな、やはり」

 妻「ああ、そうだったの? 北海道が、そうだったんだ」

 「三月の羊」は以前、田園調布にあった。当時は、章正さんひとりの「あまりにも売り上げのあがらない」店であった。

 5年前、銀杏の葉の黄ばむ秋の午後、写生会帰りの久子さんが、店をはじめて訪れた。「羊好きの男がやっているらしい」という噂を聞いていたのである。

 妻「店内は全体にかわいらし過ぎ。でも、クッキーは、これを焼いたのはどんな人かと思わせる味で、すぐにだれかに食べさせたくなりました。うれしくて、その感想を彼にメールしたのが、私たちのはじまりでした。それからいままで300回喧嘩をし、300回仲直りしているかしら」

 ふたりは、西荻窪の店のオープンと同じ時期に結婚している。

 店がある路地の入り口に、道路標識風の看板が掛けてある。太った黒い羊のイラストの下に「羊 とびだし注意」と。ふたりの合作。そこで、わざわざ店を覗いて「ほんとうに羊がいるんですか」と尋ねる人もいる。

 もちろん羊はいない。しかし飼いたい。いつか、つがいの羊を育ててみたい。路地で飼えないかと、章正さんは、真剣に考えたこともある。べつに、東京の街の真ん中に羊がいたっていいじゃないか──。その思いはいまもある。(2006.3.29.)

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  沖縄の本土復帰が中1のとき。ドルから円に、お金が変わった。生まれも育ちも、米軍基地の町・嘉手納。伊礼智さん(47)は、大卒後、「がんばるぞ」と誓って上京し、建築家に。現在、目白の路地の奥、木造平屋建てに建築事務所を営む。

 どうも、東京の住宅に納得できない。

 「外気の遮断と防犯のため、どんどん閉鎖的になる。人は家に閉じこもる。きれいな住まいだが、まるで芝居の書き割り。生活感が伝わらない。人がいるのかいないのか。音も匂いもしない。家々は孤立し、結果、街並みがだめになる」

 故郷・沖縄の伝統的な住まいは、ちがう。家の内と外とがつながっている。ヒンプンのおかげが大きい。漢字で書けば「屏風」。ヒンプンは、屋敷内と道路との間に、何気なく立つ衝立てのようなもの。

 柔らかい目隠しになり、魔除けでもあるという。またヒンプンを右に迂回すればかしこまった客間や離れ、左に回ると気の置けない炊事場などに、それぞれ通じる。万能信号機のように人をふりわけ、家の内外の往来を円滑にもする。

 この数年、伊礼さんは、ヒンプンの考え方を住宅建築に生かす、東京町家の設計に力を尽している。

 きっかけは、阿佐ケ谷の2世帯住宅である。夫婦と老父。20坪の土地は、庭がとれる広さではない。常識では、道路との間を塀で仕切るが、伊礼さんは、白い花をつけるソヨゴという常緑樹とモミジで植栽スクリーンをつくり、その奥に小さな家を建てた。家と街とが緩やかに交流する。

 この考え方に賛同する工務店が現われ、シリーズ化された。以後、練馬、江戸川、中野など、都内に点々と10軒ほどの「ヒンプン思想」の家が生まれている。なかに、設計競技で大臣賞を受けた作品もある。

 個人の住空間と人々の行き交う道とがほどよくつながる。土地が狭くて、家がひしめく東京だからこそいっそう、ブロック塀などで隔絶しないことが重要なのだと、伊礼さんは考える。「ぼくのテーマはつねに、家と街の間をどうデザインするかにある」

 自身、20年前から、下町の北千住で借家住まいをしている。夏になると、寝るときでも窓を開けっぱなしにしたまま。おもてと家のなかを隔てるすだれが1枚。

 「テーゲーな住まいなんです」と言う。沖縄では、物事をきっちりかっちりさせない、ほどほどの感覚を「テーゲー」と言う。だれにも迷惑をかけず、まあまあの幸せを満喫する。1枚のすだれのおかげとも言える「テーゲー」の真骨頂。

 伊礼さんは、設計を依頼されると、まず現地へ出かけ、周りの街を見て歩く。なにが「テーゲー」かを探るためである。

 その結果、たとえば窓の位置をどうするかが決まってくる。採光だけでなく、なにが見えるか、どこにすれば隣りのプライバシーを侵さないかを判断できる。

 原則は「遠くが見えるところに窓を配す」である。こうすれば、隣近所に迷惑がかからないので、「品のいい佇まいの家」になるであろう。

 街と心地よく付き合う。それが住まうことだと考える。(2007.4.5.)
[2007.6.22.]

読売新聞都内版・木曜日「枝川公一の東京ストーリー」連載中!


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