| ★1950年代・場末の書店を経由し神保町へ |
10代のころは、墨田区寺島町(現在の東向島)の路地裏に暮らしていた。路地を出たところが東武線の線路で、電車が通るたびに二階家が揺れた。線路沿いの3軒目が本屋であった。屈強な身体つきのおやじがひとり、いつも半袖の下着でがんばっていたような。寒い季節の記憶が欠けているのである。
ぼくはここで、研究社のジュニア英語雑誌を毎月買った。そこに出ていた住所を頼りに、アメリカの少年と文通をはじめた。平台の薄っぺらな雑誌が、英語の世界に導いてくれた。
この本屋では単行本を買ったことはない気がする。そこは角店で、いろは通りという商店街へ通じていた。その通りを500メートルほど行くと、玉ノ井館という映画館があり(『禁じられた遊び』! 『裏窓』!)、その向かいにも本屋があった。セロファンカバーの文庫本を買っては読んだ。漱石も鴎外も。それに、平凡社の「世界教養全集」を予約していて、毎月、新たに出た巻を受け取りに行った。いまから考えれば、この全集は、ノンフィクションの宝庫であった。クロポトキンの回想録なども入っていた。
いろは通りをさらに500メートル。左手に古本屋があった。明治の小説集や、名前も聞いたことのない作家の作品が、たくさんあった。それらが通路にはみだしている風景が好きで、遠征しては、わかりもしないのにいろいろ買いこんだ。
これが中学生の頃までの書店付き合いである。高校は歩いて15分の近さだったが、中学生までとは通学の方向がちがい、新たに一軒、行きつけの本屋ができた。学参はだいたい、そこで買った。この店の子が重い病気にかかっていて、奥で寝ているという噂を聞いたが、その子の姿を見たことはない。知らないから、奇怪な想像をめぐらせた。
あるとき、舗道に近い入り口付近で立ち読みしていたら、中学で同級のTくんが通りかかった。「おい、枝川、あんまり勉強するとおかしくなるぞ」と忠告してくれた。Tくんは、中学で学校をやめ、運送店に働いていた。
高校の生活に慣れると、ぼくは大冒険に出かけた。30番の都電に始点の寺島広小路で乗り、終点の須田町まで乗りつづけた。そこから靖国通りを歩いて、神保町の書店街にたどりついた。
スタインベックやヘミングウェイを原文で読みたかったが、寺島町には手に入る書店が見当たらず、どうして知ったのか、はるか神保町に来たのである。すずらん通りの東京堂書店。まだ木造の建物だったはずで、床がぎしぎし鳴る2階の洋書売り場で、ペーパーバックというものにはじめて遭遇し、胸が躍った。ざらついた紙の感触に興奮し、何度も撫でた。
近くに三省堂書店もあるはずだが、高校時代には、こちらで本を買い求めた記憶はない。三省堂で初めて買ったのは大学に入った年で、篠原一の『ドイツ革命史序説』だったはずである。60年安保の嵐がやってこようとしていた。
★2006.10.23.
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