★「D坂シネマ」の夜が更けて

ポット

 山の手線を都営地下鉄三田線に乗り換え、蓮根という駅に降りた。夕刻6時を過ぎていた。奇妙な気分であった。隣の西台駅から歩いて5分のアパートにしばらく暮らしていたことがある。30年前である。そこを引っ越して以来、このあたりには一度も足を踏み入れたことがない。

 長過ぎる時間が経った。当時幼稚園児だった娘は、いまは関西で会社勤めをしている。大阪のバーカウンターから、突然に写メールを送ってきたりする。

 当時の自宅に近い駅の、さらに先は、高島平団地で、この地下鉄も、そのどこかで終点になっている。

 暮らしたのは70年代後半で、東京はすさんでいた。晴れた日の夕暮れ、大団地の方角の空全体が黄色く濁って、塵が夕陽を受け、渦を巻いて見えた。中国大陸から光化学スモッグが日本に押し寄せているのではという、このごろのニュースから連想するのは、この黄濁した夕暮れの空の記憶である。

 ところで、蓮根駅は、これだけの時間が経っているのにかかわらず、当時と変わらないたたずまいであった。夕闇に包まれた街は閑散としていた。酔ったおやじとぶつかりそうになる。駅前でタクシーを拾う。クルマは、一本道を、荒川の河川敷に向かって走る。以前もこんなところには来たことはないな、と思う。4年住んでいる間も、まるで無縁に過ごした界隈である。

 ある人が亡くなって、その通夜に出かけるのが、この日の用向きであった。広々とした葬祭場の敷地にタクシーが入り、ドライヴァーはクルマを停める。「失礼ですが、本日のお通夜は、どちらのお宅でございましょう。お名前をお教えいただけますか」と、丁寧なこと。

 黒服の列にまぎれこんで、献花を済ませる。どこを見ても見知らぬ人ばかりである。外に出る。タクシーは次々に来るけれど、戻りはすべて予約済みらしい。もと来た道を20分あまり、歩く。すれちがう人もない。

 かつての近隣地域という思いがあるだけに、いっそうのよそよそしさを感じるのかもしれない。いっそ縁もゆかりも土地だったら、もっと自由な気分で歩けるのに。そう思いつつ、足はただひたすらに駅へ駅へ向かうばかりで、そのまま、来た方向へ戻っていく電車に乗ってしまう。

 ただ行って帰るだけでいいわけはない。決心して、駒込へ向かう。たしか団子坂近辺のはず。坂の上までタクシーに行ってもらう。8時過ぎの街は、ここも人影がなく、店はどこもシャッターを下ろしている。番地を頼りに、脇道に入る。闇を伝って歩く自分という存在が信じがたく思えてくる。東京に翻弄され、そのざらついた巨大な掌の上を転がっていく自分が。

 道端の草叢の杭に張りつけた紙きれに「D坂シネマ」と。発掘した映像の上映会があるのを思い出し、こうして帰途を迂回したのである。江戸川乱歩の「D坂」が、先の団子坂をモデルにしていることはよく知られている。通夜の客であった自分が、ところ変わってシネマの客となれば、少しは今夜のかっこうがつくかもしれない。なに言ってんだろ。

 使い古したらしい蔵に脇から入ると、外の闇がそのままつづいているみたいな暗さ。狭い屋内空間は足の踏み場がわからない。あっちよろよろ、こっちそろそろと。奥にぼんやりと、小さなスクリーンがある。数人の観客がいるらしい。ともかく傍らの椅子に坐ってしまおう。

 映像は、私設老人ホームの経営者が意気軒高として抱負を語り、おばあちゃんが入居費用の札束を差し出す、褪せたカラー。

 休憩に入り、周囲を識別することができるようになって、この会を運営する知り合いに挨拶する。十数人で満杯になる会場を巡る「おせんにキャラメル」売りのおねえさんから、ビールとツマミ少々を買って、やっと態勢が整った。この日は、夕食をせずにあっちこっち移動しているうちに、すでに9時近くになっていたことを知る。

 上映は再開されて、先ごろ地震に遭った刈羽原子力発電所が登場する。80年代のなかばに一号機が運転をはじめたときのPR映画という逸品である。

 電力会社自身が制作したもので、興味深いのは、映像のなかに、日本の巨大企業のロゴがいくつも映り込んでいること。輸送トラックの車体であったり、施設の壁面であったり。おそらくは制作サイドの意に反してということになるのだろうが、日本の経済中枢が総力を挙げて取り組むプロジェクトとしての原発の姿が一目瞭然となっている。

 本日の「D坂シネマ」は、鋳物職人が大物の用水桶づくりに挑んだ記録を最後にお開きとなった。観客は、蔵の隣の空き地に繁茂する雑草を踏んで、三々五々夜道を帰っていく。今日という日のフィナーレが、いよいよ近づいている。

 団子坂を下る。道沿いの飲食店から、華やいだ声が漏れ出てくる。地下鉄の駅へと階段を降りていった。結果、ぼんやりしていて、上りと下りの電車を取り違えてしまい、次の駅で大慌てで乗り換えた。やはりと言うか、残念ながらというべきなのか、きれいなエンディングには、とうとうならなかったわけである。
[2008.3.17.]
初出=みすず 2007年12月号

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