★横浜の近代建築を巡る

神奈川県立歴史博物館
(旧横浜正金銀行本店本館)■

 この建物をはじめて見たのは、夜もずいぶん遅い時間であった。「見た」というのは、適切ではないかもしれない。というのは、闇のなかに、まるで鬱蒼とした森のように立ちはだかり、その形をほとんど確かめることができなかったからである。
 繁華な馬車道通りも、このあたりまでたどれば、のどかである。それに日没からだいぶ時間が経ち、人通りも途絶えていた。それでも、その圧倒的な量感だけは、暗闇を押しのけるようにして伝わってきた。
 同じく馬車道に面し、「博物館」とは脇道をはさんで日本興亜馬車道ビルがある。ぼくはその後、この界隈を歩くうちに、これらふたつの建物の間の、いつも陰になっているらしい脇道を、馬車道へ向かって歩くのが好きになった。
 「博物館」こと、かつての横浜正金銀行は、明治37年の竣工である。もう一方は、大正11年に立ち上がり、当時は川崎銀行横浜支店であった。大正12年の関東大震災にも耐えた、ふたつの石造建築。後者は近年建てかえられて総ガラスの高層建築になったけれど、低層部分に石積みを残している。
 これらの間の、いつも閑散とした通りを行くと、肩ひじ張って生真面目に生きた近代の日本人たちの亡霊がさまよいでてきそうである。西洋を我がものにしようと、ひたすら努めた先達たちの頑張りは、果たして報われたのか。
 通りを抜け、馬車道に出たら、「博物館」の絢爛とした側面を眺めつつ(古典主義様式の精髄を見よ!)、かつての銀行の玄関口から建物に入る。この後は、廊下をぐるっと巻くようにして歩けば、現在の正面口に至る。
 こうして、ぼくたちは日本近代の腸へ挿入されるのである。銀行当時は、三階までが吹き抜けになっていたという。しかし、壮大だったにちがいない内部のたたずまいが、ぼくには、どうしても思い浮かばない。貧困な想像力の故か、近代が遠くへ去ってしまったためか。
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 竣工/1904 
 設計/妻木頼黄 
 所在地/横浜市中区南仲通5-60 電話045-201-0926 
 公開/9時30分-17時(入館16時30分まで) 月曜、国民の祝日の翌日、年末年始休 常設展・大人300円 
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横浜開港資料館旧館
(旧イギリス領事館)■

 ぼくは、この建物の側面が好きである。入口のドアの上に、弓形をしたペディメント飾りがあるが、真ん中の部分が途切れている。このペディメントのまっすぐ上に、装飾を施した丸窓がひとつ。
 可愛らしくて、つくった人の稚気が溢れているみたいで。
 駐車場になっている、建物の裏手にまわると、2階部分にがっしりした簡素なバルコニー。3階の両側に丸窓がひとつずつひっそりとある。
 正面玄関はともかくとして、サイドやバックでは、軽く遊んでみましょうかといった、ゆとりのある心持ちが表れていて、うれしい。
 竣工した昭和6年から戦後までイギリス領事館だったそうだから、当然、イギリス人の設計なのであろう。建物の外を一回りすると、突飛で派手な振舞いを軽蔑しつつ、真顔で常識を弄ぶイギリス人気質がほの見える気がする。
 庭の一隅に、赤い椿が咲いていたこともあった。それも満開ではなくて、点々と花をつけていた。
 いまは隣りに新館ができていて、新旧の建物に囲まれた中庭には、とんでもないものがあり、どうしてもそちらに目が行きがちになっている。
 それは、ただものではない、一本の樹木である。
 港に近いこのあたりで、幕末の日米和親条約が締結されたといい、その模様を描いた絵の隅のほうに、玉楠の木が描きこまれている。その樹木は、関東大震災でいったんは焼失してしまったけれど、新たに芽が出て成長した。それが、いま中庭を占拠している感のある、見事な木なのだという曰く因縁が、傍らの表示板に書き記してある。
 この中庭は一度で十分である。しかし、一方の側面のゲートを入り、裏を抜けて、もう一方の側面から出ていく「歩き方」は何度でも飽きない。一度、「資料館」の休館日に来あわせたことがある。正面は閉じていたけれど、側面はどちらの門扉も開いていた。
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 施工/1931
 設計/英国工務省
 所在地/横浜市中区日本大通3 電話045-201-2100 
 公開/9時30分-17時(入館は16時30分まで) 月曜、年末年始休 大人200円
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ホテルニューグランド本館■
 外から見ても、この本館の1階は押しつぶされているみたいである。新館のほうから入ると、本館の廊下になった途端に急に天井がへこむ感じがする。
 実際、5階建ての建物の核心部分は2階である。天井に描かれた天女の姿を見上げながら、正面の階段を上っていくと、広々としたロビーがそこにひろがっている。
 昭和2年竣工のホテルの正面には、山下公園を前景として、横浜港の海が展開している。ということは、1階は、この絶景を眺めるための土台なのかな、という気がする。2階以上の窓からの眺めを確保するために1階がある、という贅沢である。
 そこで、1階奥のバー「シーガーディアンセカンド」に入る気分は、穴蔵に誘い込まれるときのそれに似ている。こじんまりしたカウンターに腰を下ろして、右手の窓の向こうに中庭の明かりを確かめると、ほっとする。
 作家の大佛次郎が通いつめたころの「シーガーディアン」は、同じ1階でも別の場所にあったそうだが、そのころのことは知らない。ものの本には、大佛は、椅子をわざわざどけて、壁際に立ち、ブランデーの水割りを口に運びながらダイスに興じた、というようなことが書いてある。
 また作家は、5階の食堂へ行くと、港がもっともよく見えるテーブルに席をとったとあるから、1階の閉塞感と最上階での開放感との隔たりの大きさが気に入っていたのではないか、とこれはぼくの想像である。
 このホテルについて語られるとき、かならず出てくる人物が、もうひとりいる。戦後日本の占領を指揮したダグラス・マッカーサー元帥で、日本に進駐した最初の数日間を、ここで過ごしている。その後、東京へ移るのだが、マッカーサーの本拠GHQ(占領軍総司令部)となった、日比谷の第一生命館の設計は、ニューグランドと同じ渡辺仁が手がけている。
 この暗合には、日本の近代建築が指し示す「精神史的意味」のひとつが隠されていそうである。
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 施工/1927
 設計/渡辺仁
 所在地/横浜市中区山下町10 電話045-681-1841
 「シーガーディアンセカンド」の営業時間は17時-0時 
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 (『東京人』誌2002年4月号掲載原稿に加筆)



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