★早春、富山・高岡を行く路面電車の旅
最終電車に乗れた夜■
富山と高岡と、富山県のなかで有数のふたつの都市の両方に路面電車があることを知ってはいた。これまで、富山市のほうの「市電」(と街の人は呼ぶ)には、学生のころから何度も乗っているのに、高岡市の「万葉線」のほうはチャンスがなかった。
それで、今度こそはと、富山空港から高岡に直行したのであった。駅前の停留所で路線図を眺めていて、これはひょっとしたらと思ったことがある。
終点の越の潟まで実線で記してあるのはいいとして、さらに点線が富山駅につづいている。ということは、点線の部分に連絡バスとかがあって、それを乗り継げば、富山まで行けてしまうのではないか。すると、向こうの「市電」にそのままつながる。そうなれば、二都横断・路面電車の旅になるかな。
これについて、後で「椿や」(本丸町13-10 電話0766-23-4740)の山田千さんに質したところ、「行けますよ、もちろん。でも、高岡の人はだれもそんなこと考えないですね」と、笑われてしまった。
駅前から乗った「万葉線」の電車を広小路で下車し、高岡城跡のある古城公園へ向かいかけて、小路に入ったところで遭遇した喫茶店が「椿や」である。そこは、天ぷら屋さんとお寿司屋さんにはさまれた、白壁の和風の二階家で、「喫茶」と小さな看板に記してなければ、割烹料理の店と間違えそうな構えであった。
店主の山田さんは、この2階に起居しているそうで、毎朝、上りと下りと両方の一番電車が、ほとんど同じ5時前後にゴトンゴトン通り過ぎていく音で、眼が覚めるとのことであった。
この店は、外観にも増して、内部が印象的である。太い梁を渡した天井、厚みが10センチはある木のテーブル、そして、窓には、がっしりした木組みのサッシがはまっている。どこかの古民家を移築したような雰囲気が漂う。聞こえるか聞こえないかぐらいの低い音量のクラシック曲が流れて、石油ストーブが赤々と燃える。日本海はまだ冬をひきずる三月はじめであった。
コーヒー(ブルーマウンテンと思われる)と、帝国ホテル・レシピという、おそろしくきめの細かいチーズケーキをいただく。
「私は、きれいなまま散って、あとに黄金の実をつける椿が好き。『椿や』を開いて二十七、八年になります。この店は、私の生きてきた証みたいなものです」
夕暮れのひととき、山田さんの静かな語りに耳を傾けた。カウンター席の壁に、インドの女性を描いたらしい絵が掛けてある。
「インドへ行ったことはありません。一時期、ここに通ってきていたヒッピー風の若者がいて、ガンジスのほとりで『順番』を待つ人たちの話をしていました。彼らは次第に解脱していき、あるときパタンと息が切れる。それで終わり。その傍らにはいつもの通り水浴する人たち。その光景が頭に残ったのでしょう。思い立って、すっと描いたのです、あの絵を」
小さな宇宙のような「椿や」で、時の過ぎていくことに気が回らなくて、外に出ると、すっかり暗くなっていた。城跡は明日にしよう。夜の路面電車に飛び乗り、おそるおそる米島口という停留所までたどってみた。
下りて歩くうち、明かりに誘われるまま「8番ラーメン」志貴野店(電話0766-21-5122)に入ってしまう。外の幟に書いてあった牛肉めんというのを下さい。一度焼き上げてあるらしくしっとりと柔らかい牛肉と、新鮮な長ネギの歯ざわりは、なんだかもったいないようであった。
窓の外に、ときおり電車が姿を現し、闇に浮かんでいるみたいにゆらゆらと移動していく。
いま来たルートを逆にたどって、繁華街の御旅屋(おたや)通りにたどりつくと、地方の町のつねで、店々はシャッターを下ろし、巨大なアーケードの下に、パラパラと人影が行き過ぎるだけ。横丁を尋ね尋ね、今宵最後の一杯を求めた。
小さなビルの三階に「正太郎BAR」(末広町37-37 京屋ビル3階 電話0766-21-8071)という酒場を探し当てる。ジンリッキーをつくってもらい、マスターの中野正一氏と、あのバーこのバー談義に花が咲く。棚の奧にシェリー樽熟成のモルトを発見。じゃもう一杯だけいただこう。「宿に電車で戻れるかな」とつぶやくと、「ここらは最終が早いからなあ。もうないかも」
中野さん、間に合いました、午後10時ちょうどの「万葉線」最終電車に。
都電世代だからか■
翌日は、懸案になっている城跡に行き、大改修が終わった禅宗の大伽藍、瑞龍寺にも脚を伸ばして、思い残すことなく、富山に向かった。
高岡の人が考えもしないルートだったら、試してみよう。路面電車は全線40分、終点の越の潟に着くと、前方は行き止まりの海である。そこは富山新港の一部で、県営の渡し船が、数分で向かう岸の堀岡に運んでくれる。この船は、四六時中運行されている。真夜中の船の客になってみたい。その思いはしっかり胸に畳み込んだから、いつかきっと実現する。
堀岡から富山駅行きのバスが出るまでの一時間、岸壁にしゃがんで、高岡市内の方向に傾いていく陽を眺めていた。バスは、やはり40分ぐらいで、富山のはずれを流れ行く大河、神通川に達した。予想したとおり、「市電」の軌道に沿って市内に進んでいく。滑る箱のような車体が、ときどきすれ違う。
このあたりの気持ちは、他の人には通じないセンチメンタリズムかもしれない。高岡の路面電車を「走破」し、その車体の揺れを身体になお残したまま、いままたこうして、富山の「市電」の雄姿に接する。なんだかわくわくしてくる。自分が都電世代だから、こんなことに過敏に反応するのであろうか。
有終の美はどこで飾る?■
富山では、真っ先に行ってみたいところがある。「椿や」の山田さんが、「入った途端に、生きていてよかったと思わせる」と絶賛した喫茶店である。
富山駅前で、バスから「市電」に乗り換える。ここからは勝手がわかっているつもりである。黄金通りという大通りをまっすぐ南富山駅方向に進む電車を西町で下車して、ショッピング街の総曲輪(そうがわ)通りに入る。言われたとおりの角を曲がると、すぐに「チェリオ」(電0764-25-3404)であった。
入り口から花道のような通路があり、これを過ぎると、磨き抜いた木造りの階段が三階までつづく、吹き抜けの空間が開ける。昭和八年の創業で、かつては、香港の茶室がそうであったように、周りの商店の旦那衆に愛された、モダンなティールームだったという。
常連らしいおじさんと、ヴェテランのウェートレスの会話が聞こえてくる。
「眼鏡忘れたよ。新聞読めない」
「貸してあげましょうか」
「あるのかい、ここに?」
「ええ、店の奥さんのが」
「悪いね」
「もう老眼になったんですか?」
人生の時間のかなりの部分をここで過ごしてきた者同士でなければ、こうはいかないであろう。山田さんの言う「生きていてよかった」の意味がわかった気がした。
店を出て、西町の交差点角にある富山地鉄の案内所に行ってみたが、すでに閉まっていた。550円で一日「市電」乗り放題のフリー切符を買おうとしたのである。次の日の朝早くに出かけて、これを手に入れた。
一回の普通乗車券は200円だから、一日乗車券はずいぶんトクをした感じである。翌日は実際にも、乗り物に夢中の小学生みたいに、何度も何度も乗っては下りた。一日の終わりが近づくにつれて、「このおやじ、なに遊んでいるんだ」と、運転士(ワンマン・カーである)に思われているのではないかと、それが心配になったほどであった。
「市電」のおかげで、「富山の薬」の元になった製薬会社広貫堂の資料館も見学したし、富山県立近代美術館では、珍しくも、ロシア沿海地方のアーティストの作品を見ることができて感動した。
なかでハイライトは、一方の終点、大学前の手前の停留所で下りて、神通川に架かる富山大橋から立山連峰を眺めたことである。市街を越えて、東に文字どおり屏風のごとく、真っ白い山並みが立ちはだかっていた。
じつは前の晩、例によって、おいしいお酒にめぐりあいたくて、駅前に近い繁華街の桜町をさまよい、地酒の店「真酒亭」(桜町2-6-20 電話0764-41-0399)のカウンターに着地した。店主の村田千晴氏は、富山の日本酒について懇切な指導をしてくれたうえに、天気予報をチェックして、「明日は晴れるから、ぜひ立山を遠望しなさい」とアドヴァイスしたのであった。
おかげで有終の美を飾れた。だけど、せっかく富山に来ながら、富山湾のキトキトの魚をまだ口にしていない。帰りの飛行機の時間までは、少し余裕がある。そこで「市電」をもう一乗り、お寿司屋さんを探すことにする。★
(2001.3.23/取材は97年3月)