★大阪/まず新世界界隈、次は、どこへ?

 金沢での仕事が終わったのは、夜になってからであった。午前3時過ぎの大阪行き急行列車「きたぐに」に乗ることにしていた。出発までに5時間以上もあった。時間をつぶすのに、だいぶ苦労した。食事をして、お酒を飲み、看板になった酒場から放り出された。揚げ句の果てに、サウナの湯船を出たり入ったリ。

 やっと列車に乗り込んで、蚕棚のような寝台にもぐりこんだら、すぐに眠りに落ちた。寝つきのよさだけは、だれにも負けない。それっきり夢もみないで、大阪に到着した。まだ7時になっていなかった。

 梅田からは、そのまま地下鉄御堂筋線に乗り換えて、動物園前駅で下車した。地上に出れば、そこはもう新世界の界隈である。

 大阪に来ると、このあたりへまっさきにやってくる。とるものもとりあえず、である。だいたい、金沢から大阪まわりで東京に戻ろうなどと、新世界がなかったら、思いつきもしないにちがいない。

 自分が子どもだった頃の、あの東京の街へ戻っていく気分、それがここにはある。思い出とかというのではない。あのころの気分を現実として体感する。手で触れられる気がする。空気が同じである。すれちがう人々の目つきが変わっていない。

 新世界界隈は、これまでに、昼も夜も深夜も歩いたことがあるけれど、こんな早朝に通天閣を見上げるなど、したことがない。これがはじめてである。じっと立っているだけで、ひたすら感動する。阪本順治監督の『どついたるねん』、よかった。赤井英和の幼なじみを演じた相楽晴子が、はきはき、しっかりしていた。よかった。『赤目四十八瀧』でも、赤井はちゃんとここにいたではないか。荒戸源次郎監督が、あっちでは製作をやっていたのだから、当然と言えば当然だけれど。

 通天閣を背にする。まばらな通行人が自らの影ででもあるみたいに、うすぼんやりと現れては消えていく。ちょうど喫茶店のおやじがシャッターを引き上げているので、一番の客として滑り込む。

 「モーニング」を注文する。トースト+ゆで卵+コーヒー=モーニング・サービスという公式を「発見」したのは大阪だというけれど、ほんとうか。たしかなのは、大阪の「モーニング」がうまいということだ。大阪と釜山、これが「モーニング」の二大巨頭である。出来立て感がたまらない。それに、量がたっぷりしている。

 さあ、朝食がめでたく済んだ。心ゆくまで歩こうではないか。

 10年以上も前のことである。新世界あたりから西成を斜めに突っ切って、新なにわ通りという大通りに出たことがあった。ずいぶん歩いた気がした。その道筋にまったく土地カンがないから、どこをどう通っていったものか説明できないけれど。

 歩き疲れて、たまたま来たバスに、どうでもいいやという投げ槍な気持ちで乗ったら、まもなく、まるで中空に投げ上げられるみたいにして、螺旋状の橋の上に連れていかれた。これが、木津川に架かる千本松橋だとは、後に知った。眼下には、幾本もの煙突、くすんだ色の屋根を連ねた工場、川を往来する小舟の群れが展開していた。

 20世紀初頭のアメリカの工業都市さながらである。そんな昔を知るわけはないが、セピア色の写真で見たことがある。その記憶に重なる。「東洋のマンチェスター」大阪の実景を見つけたぞ、と思った。

 きょうも、あのときのような大発見をしたいものである。ともあれ、新世界発の旅の終着点だけは決めてある。一泊7,000円の常宿@道頓堀に。

2004.7.26.]


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