| ★1泊2日、日本縦断空の旅 |
石垣島のアーケード街で、目の覚めるような紺の暖簾に店名を白く抜いてあるレストランというのか、食堂というのかに出合う。店の前に立てた看板に「日替わりランチ ビタロウの丸焼き」と書かれている。
ビタロウという音が、おかしい。どんな動物かと思う。丸焼きでも出てきそうな気がする。「ビタロウ」に魅かれて暖簾をくぐる。テーブルについてさっそく尋ねると、ビタロウは深海魚で白身の肉がおいしいと、店の人が言う。沖縄ではごくポピュラーな魚らしい。寿司ネタ程度しか魚を知らない当方には、そう言われても、そうですか、という答え方しかできない。
もっとも、後に石垣空港へ向かうタクシーの運転手にも訊いてみたら、「はて、ビタロウねえ。なにかね。私が知っているのは、マグロ、カツオ、サンマ……」と、頼りない返事であった。沖縄の人なら、だれでもかれでもビタロウを知っているわけではなさそうではある。
ビタロウくんは、焼き魚になり、皿から尻尾をはみださせて登場した。タイに似ているなというのが、魚音痴の感想である。向かいの小上がりに座っているおばさんは、明らかな沖縄ヘアで、結い上げた髪をおだんごにして、そこにかんざしを突き刺している。ビタロウとおだんごヘアを見比べつつ、ぼくは、この旅は長かったのだろうか、短かったのだろうかと、考えた。
長かったと言えば言える。なにしろ、北海道から、沖縄の果ての波照間島まで、飛行機だけで日本列島を縦断し終えたところなのだから、長かったにはちがいないけれど、東京を出てまだ三日目である。時間で言えば、長旅などと言える類いのものではない。
ぼくは、ビタロウの骨についた肉まで丁寧に取り、ゆっくりゆっくり食べた。魚のなかでも、焼き魚や煮魚の類いを苦手としているはずなのに、きょうはどうしたことであろう。皿の上に反り返った、この一尾を念入りに征服しつつ、間もなく終わろうとしている旅を反芻していたのである。
「沖縄ヘア」が突然、着ている紺がすりの和服の右腕をまくり上げるのが目に入った。そのときぼくのなかに、確信みたいなものが生まれた。ぼくはこの瞬間をけっして忘れないであろう。沖縄のおばさんとビタロウとはぼくのものだ、と叫びたいところであった。
東京を出発する二日前のことである。日本列島のなかで最北端に位置する空港のある礼文島の役場に電話をした。かの地がどの程度寒いのかを尋ねるためであった。東京は11月の末で、北の国の寒暖は想像もつかない。すっかり冷え込んでいるのか、まだ東京の冬程度なのか。現地にきけばわかるであろう。これは、インターネットがまだ、母体に眠る胎児状態のころの話である。
電話口の女性はこんなことを言った。「もうアイスバーンですね。ダウンがいいです。内側に毛皮を張ったブーツでないとすべるでしょう。スニーカーでも、ゴツゴツした底でないと。えっ、滞在じゃないんですか。すぐトンボ返り? だったら、ふつうの恰好でいいですね。そう、ふつうでかまいません。東京だって、もう暖いってことはないんでしょ?」
北海道でも、札幌あたりではなくて、稚内からさらに飛行機を乗り継いで行く島だと思うだけで、背筋がピンとする気がするというのに、この電話の受け答えは、どうも要領を得ないのである。
もう一度受話器を取り上げて(もちろんケータイなどまったくなかった頃のことである)、最南端の波照間空港がある町の役場に電話をする。今度は男性の声で「20度ぐらいかな。それでも朝晩は冷え込むよ」と、ぶっきらぼうな返事であった。
北の女性の、柔らかく親しげな話しぶりとはだいぶちがうけれど、あまりよくわからない、ぴんとこないという点では、どちらもあまり変わりがない。
現地の人はそこでずっと暮らしているわけで、暑いか寒いか、暖いか涼しいか、などと形容詞を突きつけられても、こたえようがないのであろう。北海道の人は、東京に来ると、暖房設備が「不備」でひどく寒く感じるらしい。「内地」の女性が、結婚などをして沖縄に移り住むと、ちょっと涼しくてもしきりに寒がるといった話はよく聞く。寒暖を巡る会話は、同じ土地の人の間でしか、ほんとうは成り立たないものなのであろう。
2回の長距離電話で納得したのは、寒いからと言って、暑いからと言って、死ぬほどのことでもないだろうし、全ての土地は通過するだけの点に過ぎない。寒さも一瞬、暑さも一瞬ではないか。
ぼくは出発を前にして、妙に悟りすました気持ちになっていた。
*
当日の服装はほとんどふだんと変わらなかったけれど、用心深くもブルゾンの下にセーターを着こんだ。寒さに弱いタチで、暑ければ脱げばいいと軽く考えるけれど、寒いのにはなんとも我慢がならない。それで、薄いヴェストでアパートを出かけたのだが、思い直して、着替えにいったん戻った。
スケジュールは、一泊二日になっている。東京からまず、北の果ての礼文まで行き、波照間へ南下して、さらに東京に戻るというものであった。実際には、これが二泊三日になってしまうのだが、その経緯については後に述べることになる。
行程表は、緻密に組み上げられていた。と言っても、この企画を思いついた雑誌編集部の担当者が、ていねいに時刻表を調べ上げて、日本南北縦断の最短コースを設定したわけで、ぼくには自慢のしようがない。
かつて、アメリカ大陸をバスで横断していたときに、イエローストーン国立公園へ行こうと思ったことがある。タイムテーブルを調べて、ユタ州のソルトレイク・シティに朝5時に到着すれば、国立公園行きのバスにすぐ連絡するのをたしかめた。すくなくともそのつもりであった。ソルトレイクには予定通り着いた。ところが、バスが出るのは夕方になると判明したのである。時刻表の午前と午後を読み違えていた。この種の思いちがい、ドジ、間抜けの類いは枚挙にいとまがないほど多い。
ソルトレイクでは、待ち時間を利用して市内観光をするだけのお金も惜しまなければならない旅だったから、夕方まで、バスターミナルのベンチでうつらうつらしながら過ごすハメになった。前夜はずっとバスのなかだったのであまり眠っていない。その意味では好都合だったとも言えるのだが。
そういう人間だから、最短時間で日本の上空を渡る計画などできるわけがない。もっとも、そんなことを言い立ててもしようがない。
航空券が、なにしろ12枚もある。これをちゃんと使って、予定通りに乗り継いでいけるのか。だいたいこれが心配である。離島も含まれているので、一便でも逃すと、とんでもないことになりかねない。それがおそろしい。
羽田空港へ向かうクルマのなかで、スケジュール表を一行ずつたどり、細かいデータを記憶に刻みつけようとしたけれど、どうもうまくいかない。だいたい自分の記憶力というものに信をおけないのである。高校生のときに、数学の試験で、前の晩に解き方を丸暗記した図形の問題がそっくりそのまま出たのに、間違えてしまったことがある。救いようがない。
というわけで、乗りそこなったら、そのときはそのときだ。ぼくはいつもそうであるように、最後はひらきなおっていた。スケジュール表は、内ポケットの底に押し込んでしまった。「お客さん、きょうはいい天気ですね」と、運転手さんは話しかけてくるけれど、ぼくにとっては、東京が晴れようが曇ろうが雨になろうが、たとえ台風が来るとしても、なにも関係ないんだ。なぜかわからないが、ヤケクソの気分になっている。
さあ、裸一貫、空の上だ。意味の通らないことを心のなかでつぶやく。
*
札幌行きの飛行機のなかで、鳥海山上を通過中というアナウンスがある。ぼくはちょうど、朝食に出たハムサンドを頬張りながら、機内ショッピングのカタログを眺めていた。バタードラヤキが、山形空港で「大人気」と書いてある。紀州の梅干しもあるな。うまそうじゃないか。背後の席から「おっ山が真っ白だ」という、うれしそうな声が聞こえてくる。しかし、目の前の「スチュワーデスおすすめの名産品」の写真にすっかり注意を奪われているから、申し訳ないが、窓の外に目を向けるゆとりなどない。
外界はどうでもいい。空中を運ばれるがままに身を任せていたい。とりあえずは、おいしそうな食べものに神経を集中していよう。雲の上にいる心地などと言うように、これから二日、かなりの時間を空に浮かんで過ごせるのだから、これこそ幸せではないか。ぼくは、無理やり自分を納得させているようである。
*
札幌千歳空港に到着すると、市内の丘珠空港まで移動して、稚内行きの便をつかまえなくてはいけない。JR線で札幌駅に出て、というルートでは間に合わない可能性がある。そこでタクシーを予約してあった。これで高速道路を使い、大慌てで丘珠を目指すことに。 クルマの窓から左手はるかに雪が眺められる。恵庭岳だという。ぼくにも、少し気持ちに余裕ができてきたようである。雪は沿道には見えない。50分ほどの道のりのあいだ、若い運転手さんと、ずっとゴキブリの話をして過ごした。
この人は、生まれも育ちも札幌だけれど、しばらく前に、千葉県の船橋に住んでいたことがあるそうである。部屋にゴキブリがあまりに多くて閉口したという。だけど、北海道にだってゴキブリはいるだろうに。たしかにいるそうである。しかし、いることはいるけれどずっと小さいとのことで、しかも、生まれてこのかた一度もゴキブリを見たこともない人がいる程度に少ないらしい。
「はじめて見る人は、クワガタかカブトムシと思うらしいですよ」と運転手さんは言う。北海道ではゴキブリも忌み嫌われるということはないのであろう。
南のほうからもっと巨大な種類が北上中で名古屋辺りまで来ているらしいと、ぼくはゴキブリ最新情報を伝えようとした。すると、「大きいのって飛ぶやつでしょ」と訊かれる。飛ぶということでは、いま東京に出没するのも飛ぶことは飛ぶわけで、そんなのよりもっとずっと大きいののことを、ぼくは言おうとしているのだけれど、そのあたりのことがはっきりとは伝わらなかったようである。
この情報ギャップは、丘珠に到着するまでには、とうとう埋まらなかった。
このときにかぎらないけれど、この旅の間で人と話すシーンは、空港と空港の間や、空港と街との間などをつなぐタクシーのなかのそれしか、他にはほとんど思い出せない。実際、だれかと言葉を交わしたのは、車中がほとんどだったにちがいない。
機内でスチュワーデスと言葉を交わすことはあるけれど、コーヒーとお茶とどちらにするかとか、毛布や枕が要るとか要らないとかといった、決めの会話ばかりである。
そのうえ、旅のシーズンでもないから、隣りの席はいつも空いていた。したがって相客と話をすることもない。
孤独な空飛ぶ密室から密室へと運ばれているようなもので、タクシーだけが、気を紛らす場になっている。こんな客を相手にしなくてはいけない運転手さんはいい迷惑であろう。
*
丘珠を飛び立ち、機中の客を見渡すと、ビジネスマン風ばかりで、それも、ごくふつうのスーツである。なかでいちばんの厚着がぼくらしい。こうなると、バッグにホカロンを10個も用意していることなど、口が裂けても言えない。そんなことで口を裂きにかかる人もいないだろうけれど。
稚内に着いた。コーヒーショップで、昼食の天ぷらうどんを食べていると、「礼文空港は現在、横風調査中」のアナウンスが聞こえてきた。食べ終わり、コーヒーに手を伸ばした時点で、事態は「欠航」へと悪化していた。列島縦断飛行は、この時点で、はやくもつまずいたことになる。
カウンターで欠航証明書を発行してもらってから、同じコーヒーショップに戻って、今度はミルクティーを注文する。空港内に他には喫茶店がない。窓の外には荒涼とした原っぱがひろがっている。市内まで行ってみたいが、時間がない。ただここで暇つぶしをするしかない。宙ぶらりんな気分である。何かしたくても何もできない。こうして時間の隙間に放り出されることが、旅ではよくある。
それにしても、これから沖縄まで飛ぶということが、どうにも実感できない。ただぼんやりと待つだけの稚内空港の午後。これが、疾風怒涛の本編のプレリュードであるとは、このときのぼくは、気づいていないわけである。
*
朝発ったばかりの丘珠空港に戻る。まだ午後4時にもならないというのに、すっかり日が暮れて、雨さえ盛んに降っている。クルマでJR札幌駅に出て、さらに鉄道で千歳空港にたどりつけるだけの時間的な余裕はある、はずである。
そこでタクシーに乗る。闇に包まれていく札幌の街。窓ガラスを流れ落ちる雨滴の向こうを眺めていると、1杯のビールも飲むことなく通り過ぎていくのかと思い、やや情けない気分になってくる。クルマがなかなか札幌駅に着かないことに気づいた。心配性のぼくは焦り出していた。やっと北口玄関に降りたのは、空港ライナー発車の5分前であった。
ぼくはもうすっかり慌てている。千歳空港に到着し、9番の搭乗口にたどりつくと、サインボードに「東京2」という文字が見えた。まず東京行きの便に乗ることになっているのである。「東京行きは2番ですか」と係員と思われる女性に尋ねる。彼女は首を縦に振った。たしかにそう見えた。これはまずいな。まちがえたらしい。2番というと、逆の端である。ぼくは走り出した。動く歩道に乗ってから走るなどということをしている気持ちの余裕がなくなっている。通路をただ走る。ところがたどりついてみると、どこでどう間違えたのかわからないけれど、やはり搭乗口は9番だという。どうなっているんだ。ともかく走って戻るしかない。出発の時刻まで、10分しかないのである。
たぶん、一人芝居をしているのであろう。自分の勝手な思い込みと早とちりに踊っているのにちがいない。ブルゾンの下にセーターを着込んで走っているのだからたまらない。汗が全身を覆っている。広い空港ロビーを無意味にひとりだけ走りまわっている。危うくセーフで機内にたどりついて、座席に倒れ込むと、身体じゅうがぐったりしている。それなのに、心臓だけが皮膚を破るかのような勢いで暴れ回っているではないか。
定期便の飛行機には、頼まれもしないのに急ぎまくっている客に付き合ういわれはない。知らんフリで、さっさと飛び立ち、粛々として羽田の滑走路に降りる。
すると突然、耳元でスチュワーデスが囁く。「お客さま、いちばん前に来てください」
言われた通り降機ドアの前に移動する。ドアが開き、すぐにタラップに押し出される。地上に着くと、若い男が「これから那覇行きのJALまでご案内します」とていねいに、しかし有無を言わせない調子で言い、傍らのクルマにぼくを押し込んだ。
*
クルマが走り出す。飛行機の列の間を縫うようにして走っていく。同乗した女性が小声で言う。「那覇までの航空券を出しなさい」と。その通りにすると、それを受け取り、代わりに黙って搭乗券を手渡してくれる。「なんだ、もうできているのか」と思わず言ってしまう。彼女は小さく笑ったような気がするけれど、車内は薄暗くて、相手の表情もわからないほどである。
クルマは暗がりに停車し、下ろされる。先ほどの男が、裏木戸のようなドアを開ける。そこは、人の群れが、これから乗るのか、降りるのかどっちなのかわからないが、ともかく階段を盛んに降りてくる。男は、この流れに逆らって、ぼくを上へと誘導する。どこへ行かされるのか。だいたいどこにいるのであろう、ぼくは。
階段を上りきる。男が左の手を伸ばす。人さし指を向ける先に、搭乗口が見える。あれに乗れというのであろう。「ありがとう」と言いかけて振り返ると、男はもういなくなっていた。
乗り継ぎに余裕がないので、手続きを代行してくれたうえ、那覇行きの搭乗口まで連れてきてくれたのだと、このときになってやっと了解した。それでも、なんだかキツネにつままれているみたいである。やっと気持ちがおちついたときはもう、横浜ベイブリッジが眼下に見える空に浮かんでいた。シートの同じ列の端に、まつげが長く、色の浅黒い、いかにも南方系の顔つきをした男が座っているのが見える。
ぼくは、どこか遠い土地に逃れながら、とうとう捕まってしまった凶悪犯になったような気がしていた。乗り物を替えながら、犯行に及んだ町へ護送されていくときの気分は、こんなものではないかしら。自分の意志とはなんの関係もない。他人の思うままに身体だけが運ばれていく。
那覇のホテルにたどりつく。窓から、ひどくのんびりしたチャルメラの音が入ってくる。時計は、午後11時5分を指している。翌朝は、7時30分発の便に乗らなければならない。指を折って、朝までの時間を数えてみる。そして、このまま眠るわけにはいかない、と強く思う。
那覇の街の空気に触れずにしまうわけにはいかない。チャンスはいましかないのである。ホテルを飛び出した。目に入ったバーに座る、若いカップルたちが並ぶカウンターに割り込んだかたちになっている。思いつくカクテルを次々に注文してしまう。飲みかたがいやに速い。たちまちグラスが空になる。酒場を出て、スーパーに寄り、オリオンビールの缶を買い求め、椰子の並木の下を飲みながらホテルへ帰る。これでなんとかまとまりがついたように思う。
しかし、正気の沙汰ではない気もする。もっとも、このくらいしないと、自分の足が地面に着いていることがたしかめられない。飛行機を乗り継ぎする途次、目にする風景は激しく変わるけれど、どこかからどこかへ移動している実感がまるで湧かない。時間だけが経ち、まるでちがう外界が現われては消える。それが何度も繰り返される。それで神経が痛めつけられる。だから、酒でなんとかバランスをとろうとしているのだ、などと言い訳をしてもはじまらないし、この言い訳が、いかに信用ならないかは、ぼく自身がよくわきまえている。
*
朝になり、那覇から石垣島に飛んだ。石垣空港に待っていたのは、二度目の「欠航」のサインであった。波照間行きは一日一便である。北の果て、礼文に行けなかっただけでなく、南の果てもだめだというのか。
冗談じゃないよ。なんとしても行こうじゃないか。タクシーを石垣港へ走らせる。空がなくても海があるはずである。港の安栄観光のカウンターの前に立つ。うつむいて本を読んでいた係の女性は、妙なオヤジの突然の登場に、よほどびっくりしたのであろう。「おお、びっくりした」と、言葉に出しながら、まるで操り人形みたいに不自然な動作で、頭を後ろに反らせた。果たして、波照間行きは10分前に出港したばかりであった。次の便は、午後3時40分まで待たねばならないという。
何時であろうと、ともかく行くのである。おもむろにうなずき、ぼくは乗船券を手にした。それから近くの石垣グランドホテルへ行って、ともかく朝食を済ませる。そこを出て、港に面した公園にある、コンクリートのベンチに、背負っていたリュックを枕にして、横になる。すぐに眠ってしまったらしい。風がさわやかで、太陽は雲に隠れ、とても気持ちがいい。
目覚めると、まだ昼である。市街を歩いて、映画館を見つけた。10人ぐらいの観客に混じって、『寅次郎ハイビスカスの花』を観る。
寅さんと、ドサ回りの歌手リリー(浅丘ルリ子)が、一緒に過ごした沖縄の思い出を語り合っている。
「遠くで波の音がザワザワしてな」
「庭いっぱい咲いたハイビスカスの花に陽の光が射して、いい匂いがしてね」
「昼間の疲れでウトウトしていると、お母さんの歌う沖縄の楽しい歌が聞こえて」
リリーが歌い出す。
「私は白波の枯れた桜の木なのか。春になっても花が咲かない。好きな人とどうして一緒になれないんだろうって。ステキな歌ね」
リリーはまた歌う。
「私、幸せだった、あのとき」
「リリー、俺と所帯もつか」……。
美しい女とともに沖縄の日々を送った「寅さん」の幸せを羨みつつ映画館を出れば、波照間行き高速艇の出港まで、あと15分である。
船は予告もなしに出港した。上甲板はたちまち波しぶきに洗われる。乗り合わせたのは、某新興宗教の女性信徒たちであった。座席の前の横棒を握りしめながら、青白い顔、顔、顔が押し黙って並んでいる。神か仏かへ祈る声はついに聞こえなかった。
波照間に到着する。民宿に荷物を置き、自転車を借りて、島のなかを走り回った。なんだかうれしい。でも、この喜びをしゃべる相手がいない。無人のアスファルト道を全速力で飛ばすだけである。
午後5時過ぎの太陽が、一瞬、厚い雲から滑り落ちそうになったようだけれど、それっきり姿がみえなくなり、夕暮れは一気にやってきた。
この日の一泊は予定になかったのである。翌日の朝、石垣島からやってきた飛行機の戻り便をつかまえる。他の乗客は、まったく意味不明の琉球言葉を投げ合う老女たちばかりであった。その音を耳近くに聞くうちに、たちまち石垣空港に到着する。そして、あのビタロウに遭遇したのである。
ビタロウよ、ともあれ、またいつか会おう。
★[2005.8.26.]
![]()
この記事のURLを友人・知人に知らせる
│HOME│自由意志購読│フレームを外す│BACK│