| ★長野駅とグランド・セントラル駅と | ![]() |
よく晴れた冬の日であった。長野駅に新幹線が着いたのは、午後3時半過ぎだったと思う。改札を出ながら、何気なく見上げると、細長い天窓に、白い光が満ちていた。その光の帯に導かれ、視線が右手に移動した。そこには、広々としたコンコースが展開している。
この駅舎の完成後はじめて、ここへやってきた者にとって、きわめて意外に思われた。かつての駅は寺院を思わせた。善光寺への「参拝駅」だからであろう。しかし、そのイメージは、いまは払拭されている。
その広さだけではない。ドーム状の大鉄傘も、そこに満ちている光も、人がまばらに行き交うスペースの茫洋としたひろがりも、なにもかもが意外であった。
そこはむしろ、広場と呼ぶほうが適当かもしれない。真ん中に立って、ますますその感を強くする。
西向きの壁に、縦に長い窓が四つあり、近づくと、在来線の線路の群れが伸びている先に、山々が連なるのが、はるかに望める。傾いた陽の光が自らを励ましつつ、あたり一面に光をばらまいているかのようである。
もっとも、これらの窓は、外を眺めるためだけにあるのではないかのようである。窓枠のなかにすっぽり身体が入ってしまえる。そうすると、自分も窓の一部になって、午後の陽射しを浴びているかのようである。
窓のなかに立ち、振り返ると、光が長々と床に伸びている。まるで窓枠が縁取る光の巻物がひろげられてでもいるかのようである。床の下り、光る「巻物」を踏みつけて進むと、在来線の改札口に通じている。
こうなると、改めて140円の入場券を買って、入構しないわけにはいかなくなる。この季節、この時間に、西からの光にさらされている、年を経たホームと線路がどんな姿をしているか、しっかり見てみたい。
長野駅は、駅舎が在来線の線路に覆いかぶさる構造になっているから、地上を走る、昔ながらの信越本線や篠ノ井線などに光が射し入る現場が見られると予測した。結果はその通りであった。
もっとも、ホームに降りてまず目を引かれたのは、「疑似ベンチ」である。ベンチを装ってはいるけれど、ベンチではない。ひとり座りの椅子が横に連なっている。腰を下ろす部分と背中が木づくりで、しかもピカピカに塗ってある。塗料はニス系らしい。
同様の待ち合い用の椅子の駅が他にもあるけれど、「これこそ長野駅にぴったり」という気がした。この駅に愛着する気持ちになりはじめているからであろうか。
陽の光はというと、射し入っているというより、我先にと乱入しているみたいで、駅舎の下の線路部分にあふれている。おかげで、列車を待つ人が立ったり坐ったりしているホームのほうは、かえって薄暗く見える。
試みに、ケータイを光のほうに向けて、撮ってみた。すると、幾本もの光の筋が、こちらに向かって突進してくるのがよくわかる。西の空は真っ白に輝いている。ホームの薄闇のなかで眺める光の海には、圧倒されるばかりであった。
列車接近のアナウンスが聞こえる。まもなく、その光の海から躍り出るようにして、先頭車両が現れる。そのあまりの突然さには、驚かないではいられない。
列車が停車する。と、車両とホームとの間に、光の道が車両に沿って伸びる。その道をまたいで、乗降客の影が行ったり来たりするのを追っているのは、楽しい。
すっかり陽の光と遊びほうけているうちに、長野市までやってきた用件のほうを忘れかけるほどであった。
駅に射し込む太陽の光ということで思い出されるのは、ニューヨークのグランド・セントラル駅である。高窓から落ちてくる光の筋が、床を歩く人間と交錯する様子を、ダンスに譬えた人もいる。
長野駅は、趣はだいぶちがうけれど、同じく、輝く光の駅と呼ぶにふさわしい。
★2008.3.3.
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