★京都知らずの京都歩き2泊3日 


駅から宿まで歩いて2時間■
 根がグズだから、グズグズしているうちになんとなく時間が経ってしまう。朝のうちに発とうと思いながら、実際に、東京駅の自動販売機で自由席チケットを買い求め、すぐ出発の東海道新幹線に乗ったときは、もう午後2時をだいぶ過ぎていた。
 馴染みのない土地に出かける際の癖みたいなもので、車中では、行き先のガイドブックを丹念に読む。それまで予習をしていないから、試験の日に電車のなかであわててノートを丸暗記する学生のようなものである。
 いいおじさんが、『るるぶ京都』などというムックを熟読するのは、ほんと自意識ものだけれど、旅の恥はかいては捨て、捨ててはかきしていかないと、どんどん溜まって溢れてしまう。
 京都には、大昔の修学旅行を除くと、一泊とか半日とかで、数回行ったことがあるだけで、知らないも同然である。それにしても、この土地はむずかしい。
 ぼくは子どものときから東京に住んでいて、どこへ出かけるのにも、東京を起点にした方向感覚になっている。だいたい都市にしか興味のない人間だが、新幹線で西に向かうときは、進行方向左側に「街」の中心部があるという頭がつねにある。つまり、駅に下りて、南側に向かって、都市の中心部が展開していると信じ込んでいる。横浜も、静岡も、名古屋(ちょっと自信ないな)も、大阪だってそうだし、神戸も同様である。それぞれに海を目指している。
 ところが京都はちがう。駅から北側が中心街であり、この都市は海ではなくて、山を目標としているようである。ぼくの、さして根拠があるとは思えない常識が通用しない。それで頭がすっかり混乱してしまう。京都駅からの地理をいったん思い浮かべて、それを180度回転させないとおさまりがつかない。いちいちこうするものだから、疲れ果てるのである。
 今回は、これを徹底的に修正しようと思い立ち、ムックの記述と地図を見比べながら、頭のなかの「京都ソフト」の入れ替えに余念がなかった。そのため、五時ごろに京都に着いたときは、すでに旅がひとつ終わったみたいな、妙な気分になっていた。
 晩秋の日はすでに落ちていて、ともかく宿をなんとかしなくてはいけない。もっとも、ひとりで旅に出かけると、いつもこの調子だから慣れてはいる。
 「本日分旅館ホテル券発売コーナー」(この原稿を書いたのは、京都駅が現在のように改築される前のことで、いまはこのコーナーもないであろう)が、緑の窓口の隅にあるのを見つけて、係員に手配を頼む。いいとこお願いしますよ。
 このとき条件をふたつ出した。ひとつは、旅館ではなくて一泊八千円前後のホテルであること、もうひとつが、繁華街のなかか、すぐ近くに位置していることである。これをパラフレーズすると、「余分なサービスや気遣いがなく、思いついたらどこへでもすぐに出かけられる場所にある、安くて便利な宿」ということになる。要するに、面倒くさいことはなにもしないで済ましてやろうという、怠け者スタイルの極致である。
 修学旅行のシーズンにも関わらず、望みどおりの宿を見つけてくれた。感謝、感謝。場所は、鴨川にほど近い三条近辺であるという。じゃ、歩いていこう。「歩きたい病」がまた出る。
 京都は暮れるとすぐに夜だ、とこれも例によっての思い込み。それも墨を流したような闇になる、とぼくは信じている。愛想もなにもない、真っ暗闇のなかを、ともかく南へ、じゃなかった北へ北へと行けば、ほどなく四条河原町の明るい灯のなかに出られるであろう、と踏んでいた。
 ところが、案に相違して、ひどく遠い。途中どう間違ってか「五條楽園」(ここがいかなる地域かは、旅の最後に一度だけ乗ったタクシーの運転手さんが懇切丁寧に説明してくれた。ぼくはほんとはこういうところへ行きたかったのかな)とかいう、とりわけ闇が深そうな辺りに迷い込んでしまったりして、ようやく高島屋の袖看板が見えてきたころには、旅の支度を詰め込んだリュックがずっしり重く感じられる。
 よしよし、よく歩いた。新京極の「スタンド」で一休みしていこうじゃないか。ぼくは自分に対しては、ごく甘いのである。
 この酒場兼食堂は、ぼくの知っている、ほとんど唯一の京都ポイントで、きょうのように丸テーブルのひとつか、運悪くそこが空いていないときには、向かい合わせになったカウンターに座って黒ビールを一口。京都へ来たんだとしみじみ思う。
 ツマミは三百円のカキ串。このカキの小さいこと。しかし、傍らのレモンの輪切りにわずかにワサビが載っているといったところが、この店の細かい芸である。
 隣の親父はラーメンと生ビール。奥のテレビに映っているのはNHK衛星チャンネル。おかげで元気を回復し、また歩き出す。と、学生風(京都はどこへ行っても、こういう風体ばっかり)の若者に呼び止められた。
 「すみません、河原町どっちですか」
 「えっ、なんだって。あっちあっち」(ぼくなんかに道訊くなよ)
 ホテルにたどり着くと、はや七時半。京都駅から二時間以上かかった計算になる。こんなはずではなかったのに。
 これじゃ、呑んで寝るだけだな、という明快な論理に直行するところが、酒呑みの強みで、ゆうべ知り合いが送ってくれたファクスを手にいそいそと出かける。それは、「思いつくままに書き連ねた」という酒場リストで、まもなく、ぼくは、西木屋町の「飛鳥」のカウンターで、わが人生でもっとも豊潤なジンリッキーのグラスを握りしめていた。ツマミはオニオンカナッペにしなさいと、酒友の指示は懇切をきわめている。
 向かいの窓の外に、高瀬川を隔てて木屋町の通りがチラと見える。気持ちが落ち着いてくる。アルコールに混じって、京都が体内に流れ込む。旅のはじまりである。
 「飛鳥」を出ると「木屋町サンボア」の看板が、すぐ目の前にあるではないか。
 サンボアは、関西の名門バーとして知られ、京都には三軒あるという。以前に、寺町の「京都サンボア」へは行ったことがあるから、今度こそ、あと二つを征服しようと、密かに企んではいたのだけれど、怠け者のつねで、どこにあるのかも調べていない。頼りのファクス・リストにもない。
 そこへ、飛んで灯に入る夏の虫(もうすぐ冬だよ)。勇躍してハシゴとなり、この酒場の主人に、もう一軒の「祇園サンボア」への地図を描いてもらったところで、幸せな一夜は幕となったらしいが、このころには意識が薄れていて、どうもよくわからない。

アテもなく、出たとこ勝負の一日■
 翌朝、目が覚めると、もう九時半を過ぎている。夕べはだいぶ突っ走ったようだ。どうしようか、きょうは。まずは新聞を読みながら考えるとしよう。
 ドアの下に差し込まれていた『京都新聞』を丁寧に読む。自分の家だったら、見出しを読み流して終わるところだが、いまここにいるのだと思うと、紙面にも親近感が湧いてきて、隅々まで読み尽くしてしまう。知る人もいない旅先で、新聞はとても頼りになる。ありがたいことだ。
 投書欄に、「東山二条から祇園回り壬生行きの201系統の市バス」の女性運転士さんの、りりしく丁寧な応対を褒めあげた手紙が載っている。きのうの新幹線のなかで研究してあったおかげで、このバス・ルートはだいたい想像がつく。
 つづいては、「地域ワイド京都」のページに、「ふるさとの社寺を歩く」という連載記事があるのを見つける。じつに百五十七回も続いているそうで、この日は、山科にある勧修寺という、聞いたこともないお寺のことが書いてある。千年以上前、醍醐天皇の創建になるという。「観音堂のすぐほとりに季節はずれのスイレンが一輪。深い紫色の花びらが風で恥ずかしそうに揺れていた」か。いいじゃないの。
 というわけでコースが決まってしまった。まず京都の中心街を横断して壬生まで歩くことにしよう。そのあと、「201系統」のバスを探して乗り、どこか京阪電車の駅のあるところまで戻り、それから山科へ出かける。アテのない、出たとこ勝負の旅だから、まっさらな紙に描くように、どんなにでも思いつきのコースをつくれる。これが強みである(弱みかもしれないけど)。
 壬生は、以前に使っていたワープロに「みぶな」と入力したら、ただちに「壬生菜」と出してきて、そんなに有名な食べ物なのかと驚いた記憶につながる。山科はと言えば、明治維新のころに岩倉具視が住んでいた郊外のはず(ぼくはかつて、大仏次郎の『天皇の世紀』を愛読したのだ)。大石内蔵助もいたことがあるような。浅い知識の泉を無理矢理掘っても、出てくるのはこの程度である。
 まずは朝御飯を食べて、ともかく出かけてみましょう。
 方角だけ見当をつけて、裏道をたどっていくと、観光コースからはすっかり外れているらしく、観光客らしい人たちにはほとんど出会わない。
 佛光寺を経由して、新撰組ゆかりの壬生寺へまわっても、境内は、ただ広々として、砂利の上に這いつくばる黒猫がいるぐらい。この猫がバカで、石を盾にしながら鳩の群れに接近しようとするのだが、獲物のはずの鳥たちは、気にもしないで移動していく。ただうろうろするだけの猫の後をついてまわるぼくのほうが、もっとバカか。
 ベンチに腰をかけたおばあちゃんが、同年輩の旅行者らしい男に向かってクイズを出しているのに遭遇する。
 「うちの商売はね、男も女も子どもも来るところ」
 「パチンコ屋?」
 「ちがいますよ、ハダカになるところ」
 「えっ、ハダカ? あれじゃないだろな」(バカ!)
 「まだわからない? お湯へボチャン」
 「なんだ、お風呂屋か」(がっかりすることないでしょ)
 壬生寺の向かいに、旧神先家という郷士の屋敷がある。ここでは座敷に上がってお茶が飲める。縁側のガラス戸を隔てて、南天の赤い実に、昼をまわったばかりの陽射しが映え、庭の苔の上に雉鳩が一羽。こういうのびやかな静寂があれば、十分である。京都はいいですね。
 「ノー・テンプル、ノー・ディナー?」(神社仏閣をまわらないと、夕食にありつけないのか)と揶揄した、京都は初めてのアメリカ人がいるそうだが、名所も旧跡も、それらの由緒に暗いぼくなどには、たしかに、どれもこれも同じように思えてしまう。それよりは、心の栄養になるような雰囲気がほしいのである。せっかく京都に来たのだから。
 阪急大宮駅前で、201系統のバスをつかまえる。京都のバスは、前の座席の背中に降車用ボタンがついている。それだけのことだけれど、おかげで、まるで知らないルートなのに慌てないで居られる気がする。バスを下りて、京津線へ乗り換える。路面電車並みに、しばらくは路面を走ることになった。
 この選択は、我ながらなかなかのものだったと思う。こうして、京都の街を、ちょうどなめるように移動できる。バスと電車の緩慢な動きが、しばしの休養をとっている身体によく合致する。これって、只の偶然のつながりで、後からの理由付けに過ぎないことにはは気づいていないフリをしておこう。
 山科に着くと、もう三時近くで、さすがにお腹が空いた。そこで、駅からすぐの「みな井」という、食堂風のうどん屋さんに入った。注文したたぬきうどんが出てきたときには目を疑う。関西では、これがたぬきなのか。
 あんかけになっているので、沈んでいるうどんがうすぼんやりとしか見えない。しかも、厚めの短冊に切った油揚げがチョンチョンと上に載っている。きつねみたいじゃないか。小皿には、おなじみの刻み葱の隣に、すり下ろした生姜。さっき、ガリガリなにかをする音がしていたが、あれがこれか。
 しかし、このうどんがうまいのである。あつあつのあんかけに落とした生姜が、ピリッときいて、絶妙の「きつねだぬき」。
 こんなことで、またも道草をしていたものだから、バスに乗り換えて勧修寺(バスの運転士さんはカンシュウジ、道を尋ねたおばちゃんもカンシュウジ、寺の案内アナウンスはカジュウジ。どれがほんとの読み方なの?)の山門にたどりつくと、はや四時である。閉門の時間になっていたけれど、快く招き入れてくれる。
 完璧に人の影がない。蓮池の向こうに、低い山並みが展開する、雄大な景観は、ここまで遠出をしてきたからこそ堪能できるのであろう。大自然のなかに我れひとりを自覚すると、大きく腕を広げて、空気をいっぱいに吸い込みたくなる。
 寺を後にして、暮れなずむ空の下を、山科川に沿い山科駅まで歩いて戻った。学生のころに、高山本線に乗って、点々と下車しながら旅をしたときのことを思い出す。あのときの川の気分そっくりだが、あの川の名前はすっかり忘れている。
 その夜は、やや道に迷った末に「祇園サンボア」を探し当て、ドライでないマーティニを一杯だけつくってもらい、サンボア三店制覇の記念としたのであった。

同じガイジンとしてさまよう■
 翌日は、午後の新幹線で帰るので、あと半日の時間が残されている。
 今度は早起きした。今朝は迷いがない。もう決めている。きのう途中で下りた201系統のバスを終点の百万遍まで乗り切ること。乗り物は終点まで行ってみないことには、なにがあるかわからない。どのバスもダテに街のなかを走っているのではないであろう。それなりのワケがあって、そのルートをたどっているはずである。できたら行きつくところまで付き合うのが、「礼儀」というものであろう。その後はその後のことで、また考えればいい。
 バスの終点からすぐ近くの知恩寺と思われる寺に、ぼくは迷い込んだ。これはまたゆったりとした伽藍ではないか。「ここは知恩院とはちがうんですか」と尋ねてくるのは、若い白人女性である。ぼくもはじめてなんだ。しかし、そう言われると、あの有名な知恩院にしては、さっぱり閑としすぎている。なんかちがうようだ。ぼくたちは、石畳の上で、こっちのムックと、向こうの英文ガイドを照合しながら、知恩院の位置を改めて確認しあった。
 「全然ちがうな、こことは」
 「そうですね」
 「遠いよ、知恩院は」
 「いいんです。私、銀閣寺のほうが近いから、そっちへ先に行きますから」
 青いオーヴァオールの彼女は、背を向けて去っていく。京都では、日本人も外国人も同じガイジンにならないわけにはいかない。ともに異邦の人となってさまようのである。
 そうか銀閣が近いのだ。こうしてぼくは、三日目にして、はじめて観光コースに加わることとなった。中学生や高校生の黒服が列をなして、なだらかな坂道を、将軍義政の別邸目指して上がっていく。ぼくもいつか、遠い昔に、この群れのなかにいたことがあるわけである(全然おぼえがないけど)。
 さらに、法然院から南禅寺へと、琵琶湖疎水の縁を下る「哲学の道」を伝っていく。どこも、団体の人たちでいっぱいのように思えるかもしれないが、実際にはちがう。有名社寺の、必見ポイントを外していけば、きのうと同じ閑寂が楽々と手に入る。これがおそらく、京都という都市の奥の深さなのであろう。
 南禅寺の山門を出て、すぐ左手にある「天授庵」の前にたたずんだ。正面の座敷の奥に、ガラス戸の枠がちょうど額縁のようになって、その向こうの庭を縁取っている。それをはるかに眺めていると、どうしても、あそこまで行きたくなり、300円の拝観料を支払った。
 庭をめぐり、池をめぐり、このつくられた自然(栞には、「南北朝の古庭らしい古雅さ」とある)はじつに変化に富んでいる。しかも、学生諸君は、こういうリトル・ワールドには関心がないらしくて、老夫婦と、来月は焼津へ団体旅行に出かけるという、大阪のおばちゃんふたり、それだけの、ごく穏やかな見学者たちである。
 池の鯉は、久し振りの客に期待してか、ぼくたちを追いかけまわして、大きな口を開けるけれど、あいにく、ぼく自身がお腹が空いて困っているんだよ。
 巨大な南禅寺空間のなかの、小さな庵の豊饒。旅の終わりに、やっと京都の入り口にたどりついたような気がしていた。
 地図を頼りに京津線の蹴上駅のあたりまで歩く。きのうは、この電車で山科まで行ったのであった。いいぞ、方向感覚が身についてきた。
 手を上げてタクシーをつかまえる。どうしても、夕方までには東京に戻っていなくてはいけないワケがある。とすると、もうタイム・リミットであった。
 この運転手さんは、観光客に慣れているせいか、気さくで気楽そうである。山科へ行ってきたと言うと、「私もね、貸し切りで乗られるお客さんには、時間があったら、山科・醍醐がいいですよとおすすめします」ということであった。偶然にも、新聞記事のおかげで、ベストな旅ができたことになるか。
 昼食は駅弁にしようかどうしようかと、うろうろしたけれど、結局、京都駅のカフェ・カウンターでハヤシライスをかきこみ、到着一分前の新幹線へ向かって、階段をダッシュした。京都の空気に身も心も洗われたわりには、相変わらずグズの大慌てぶりではある。

 (『旅』誌掲載原稿に加筆)

(2001.10.9.)