★鹿児島着、湯豆腐行き

「それひとつちょうだい」■
 午後8時ごろにホテルに着き、お腹は空いているし、お酒も飲みたいというわけで、チェックインだけ済ませ、タクシーに乗った。鹿児島の地理に不案内で、「繁華街へ」と運転手さんに告げたら、連れていかれたのが天文館通りであった。
 ちょうど下車したところから入っていく脇道がある。あてもないから、そこを歩いていくと、居酒屋が一軒あった。暖簾の間からのぞけば、ずいぶん混んでいる。空いている店は要注意だけれど、これなら期待できる。ガラス戸を開けると、コの字のカウンターはほとんど満杯状態であった。それでも先客たちが詰めてくれて、ひとり分の席ができた。
 ビールを注文し、一呼吸する。さて、なにを食べようか。この瞬間がつねに、イチゲンの居酒屋に於ける「最良の時」である。その店のベスト・フードを獲得しようとして、神経を集中する。壁のメニューを凝視し、相客たちの前に置かれている皿を、右左前、ときには後ろと盗み見し、さらに、従業員の運ぶ品々を横目にとらえる。忙しいのである。
 もっとも、そうした必死にして執拗なリサーチが、この鹿児島の夜の場合には、不要であった。
 カウンターのなかに、白木の四角い大振りの桶が鎮座していて、そのなかに、湯豆腐たちが気持ちよさそうに「入浴」しているのが、目にとまったからである。ただちに「それひとつちょうだい」と言ってしまっていた。
 これこそ、気合いで注文した湯豆腐である。その姿の、なんと立派なこと。ほれぼれする。まるで角材を適当に切り分けたみたいに大きな、木綿漉し豆腐のブロックが一個丸ごと出てきた。さっそく口に含めば、しっかりした歯触りと、野趣溢れる豆の香りが、豆腐食いの醍醐味を堪能させてくれる。
 じつは、このときの鹿児島は旅の終わりの地であった。それも、これ以上は望むべくもない終わり方だったのである。以来、鹿児島に行く機会はないけれど、あの豆腐と、あの居酒屋の場所だけは、けっして忘れることがない。
 ぼくにとって、鹿児島・天文館通り界隈で遭遇した、酒と湯豆腐の店が、どんなに感動に満ちていたかは、その旅の道筋を物語れば、ある程度納得していただけるのではないか。

車中二泊三日の果てに■
 もう10年以上前のことになる。正確な年号は忘れているけれど、その年は、日本の鉄道にとって記念すべき年だったらしい。津軽海峡線と瀬戸大橋線が相次いで開通して、その結果、北海道、本州、四国、九州がすべて鉄路で結ばれた。ある雑誌から、この一大事にちなんだ、日本縦断鉄道の旅という企画を、持ち込まれた。
 聞けば、夜行寝台で稚内を出発し、車中2泊して、3日目の夕刻に西鹿児島に到着するスケジュールだという。ひとりで汽車を乗り継ぎ、その体験記を書く仕事であった。
 日本は小国と言うけれど、北から南への距離は長く、アメリカ大陸にあてはめると、カナダの南部からテキサスのヒューストンあたりに下るぐらいあるという。したがって自然も多様で、亜寒帯から亜熱帯までが含まれる。
 といった知識は多少あるとしても、自分が生まれ育った日本列島を体感したことがない。鉄道で行けるかぎりの端から端までを移動すると、どんな感じがするだろう。これはおもしろそうだと思い、さっそく引き受けた。
 当時の行程表が手元に残っている。それによると、稚内21時43分発・急行利尻(車中泊)がスタートで、最後は、西鹿児島18時44分着・特急有明である。
 その間に、札幌−函館特急北斗2号、函館−青森/快速海峡8号、青森−盛岡/特急はつかり20号、盛岡−東京/東北新幹線やまびこ20号、東京−高松/特急瀬戸(車中泊)、岡山−博多/山陽新幹線ひかり3号と乗り継いでいる。なお、これでは高松から岡山までが欠けてしまうが、この区間は宇高航路とマリンライナー10号を使った。
 こうして、完成間もない瀬戸大橋を渡って四国をわずかにかすめることで、ともかくも、日本列島主要4島を全てカヴァーしたのであった。
 乗り継ぎのための待ち時間を除けば、走る列車のなかで、ほとんどを過ごしたことになる。その間に、さまざまの人間模様に接した。いろんな人と言葉を交わすチャンスにも恵まれた。窓外にうつろいゆく風景を眺めながら、南に下るにつれて気分が良くなっていくことに気づいた。おかげで、自分の「南好き」が確認できた。
 足かけ三日をかけてたどりついた鹿児島である。稚内でひとり過ごした「最初の晩餐」は、北の海の幸であった。10月半ばである。北の町は、意外に暖かかった。そして、やはりひとりきりの「最後の晩餐」の湯豆腐は、これも意外に肌寒い南の町に、よく似合っていた気がする。ぼくは、木枠の豆腐桶から立ちのぼる湯気に包まれながら、まるで極点到達の壮挙を成し遂げみたいに、高ぶっていた。その気分を語る相手はいない。
 見知らぬよそ者のことなど、客も店の人も、だれひとり気にとめていない。ぼくは、ひたすら湯豆腐と向き合っていた。★

(2001.1.12)