滅びゆく急行列車で行く金沢・能登 

「遠距離ローカル線」■

 飛騨古川は、高山本線の高山から各駅停車だったら三つ目の駅である。早朝に大阪を発った急行「たかやま」は、そこが終着駅であった。前夜の真夜中近く、東京発の寝台急行「銀河」に寝そべりながら、一晩をかけて東海道本線を走り抜け、大阪駅構内できつねうどんをツルツルすすり上げた後に、「たかやま」に飛び乗ったのであった。
 もっとも、東京から古川へ行く気なら、なにも大阪にまわることは、本来ないわけである。朝9時前の東京駅発「のぞみ」の座席を確保して、名古屋で特急「ワイドビューひだ5」に乗り換えれば、午後1時17分、「たかやま」からわずか9分遅れで着いてしまう。
 それなのになぜ、わざわざ? ここが謎、でもなんでもないんで、滅び行く急行列車に乗りたいと、その一念である。
 このごろは急行がほんとうに少なくなった。なかで夜行急行になると、その数は、JR全体でも両手の指に収まってしまう。この貴重な急行の、夜行と昼行を乗り継いで、飛騨の緑に沈む、古き城下町古川を訪ねるなど、だから、贅沢過ぎるくらいである。
 快速と特急に挟まれた急行とは何か。がら空きの「たかやま」の車中で、とりたててすることとてないから、ぼくはよくよく考えた。寝台車の不眠を取り返すために、居眠りつつ目覚めつつ。
 出発してしばらくは車内販売の気配さえなかった。岐阜でやっと、よっこいしょと売り物をしこたま背負ったおばちゃんが乗り込んでくる。座席に荷物を並べて仕分けをしてから、売り歩きはじめる。
 「お弁当ください」
 「はいよ。きょうは空いてるから、ゆっくり食べてくださいよ」
 という具合である。
 乗客は少なくなっていくばかりで、車中をひとわたりしてしまうと、もう売り歩いてもカイがない。おばちゃん、グループ客の隣でおしゃべりの輪に加わったり、顔馴染みらしい岐阜県警の警官と話し込んだり。停車駅では、降りていく客を出口まで見送って手を振る。と、やや離れた座席から声あり。
 「古川は、あとどのくらいかね」
 「えっ、ビールですか」(おばちゃん、聞き間違えてるよ)
 窓の外は飛騨の峡谷。山肌を覆う木々の深い緑が、目のなかにまで侵入するかと錯覚するほどだ。そこで、とうとう結論が出た。急行列車は、「遠距離ローカル線」あるいは「長距離鈍行列車」であると。
 車中のこののびやかさといい、白地に薄ピンクの帯という、どうしても納得のいかないカラー・コーディネートのくたびれた車体といい、先を急ぐことをしなかった、懐かしきかつての汽車旅の、これこそ忘れ形見と断定したくなる。
 こちらが停車している隣りを、すっかり席の埋まった、美麗な特急列車が澄まして通過していくのを眺めやりながら、その感をいっそう強くした。

「雲」を見ればわかる■
 
 行き着いた飛騨古川は、心洗われる町であった。どこにいても、水音が聞こえる。大小の水路が回り、豊かな清水が流れやむことがない。ここでは、軒先の植木鉢に水をやらない。ひょいと鉢ごと流水に浸すのである。 人口の1パーセントは大工さんという。飛騨の棟梁たちである。だから、古川の木造建築はかならずしも古い建物ではない。どんどん建て替えられて、真新しい木造りの家々が立ち並んでいる。
 雪国だから、軒が重い。軒下に長い腕木が並び、さらに、肘木が腕木を支える。その肘木に、白い紋様が刻みつけてある。これを「雲」と言う。雲みたいなのもあるけれど、花模様もある。それぞれが、大工さんのトレード・マークなのだという。「雲」を見れば、だれが建てた家か一目瞭然になる。だから、いい加減な仕事はできない?
 「雲」にカメラを向け、ひとつひとつコレクションしながら歩く。中心部に造り酒屋が二軒並んでいる。どうして、隣同士なの?
 「さあ、ずっとむかしからこうですから。300年くらいかな」
 と、すれちがったおやじさんは、こちらの疑問がかえって疑わしいという表情をする。
 角々に、決まって小さな社がある。古川は明治37年に大火に遭い、以来、火の神の秋葉様をまつって、町内の人がお灯明が灯しつづけているのだと。巨大な石をくりぬき、はめこんだ祠。このスタイルって何か意味があるんでしょうね、きっと。
 「さあ。石の上に載っている祠もあります。私ら土地の人間はそういうものだと」
 と、役場の女性の声は、途方に暮れているように聞こえた。
 好奇心にはしばらく暇を出すとしよう。目に映り、耳に聞こえるすべてをあるがままに受け入れる気持ちに、次第になっていく。
 翌朝7時過ぎ、路地から路地を渡って歩くぼくに、登校途中の小学生は、「おはようございます」と声をかけ、自転車の主婦が会釈をして行き過ぎた。
 (この地方の木造建築については、「飛騨の匠文化館」電話0577-73-3321が詳しい)

夕市の静、朝市の動■

 その日、昼前に古川を出て、夕暮れにならないうちに輪島に着くことができた。
 乗り換えを繰り返すだけの半日だったけれど、鹿渡陵太郎くんのおかげで、ずいぶん心和むものになった。生後7ヶ月の陵太郎くんは、気さくで美しいお母さんに抱かれて、通路を隔てた隣の座席にいた。表情が豊かな男の子で、いまうれしそうにしていたかと思うと、次には、きっとなってガンを飛ばす。彼を抱かせてもらい、ぼくは、自分が若い父親だった頃のことを、久しぶりに思い出した。母と子は七尾で下車していった。
 旅には、こういう思いがけない瞬間が、きっとあり、それが長く忘れられなかったりするものである。
 和倉温泉の先は、のと鉄道になり、車窓からは、富山湾に面した、穏やかな入江がいくつも、遠く眺められた。スコットランドのようだと思う。行ったことないけど。つい数時間前、窓に額をすりつけるようにして飛騨の峡谷を見下ろしていたのが、ずっと昔のことみたいに思い出された。
 輪島の朝市はあまりにも有名だけれど、せっかくの夕刻、港に近い住吉神社の夕市に出かけた。参道の両脇に点々と、露天が散らばって、土地の人たちが日用品を買っていく。大きなサザエのむき身を売っている。その場で焼いてくれるそうである。4個1,000円。それ、ちょうだい。
 黄色いタオルを首にかけて、サザエを火にかざしながら、売り子の中年女性、
 「鴨ケ浦の夕陽がきれいだよ。この前の休みの日、うちのおばあちゃん連れてって、あそこで一緒に焼きそば食べた。私だって、これでも昔は、男の子と海辺のデートしたんだから」
 と。
 日没には、まだ1時間近くあることをたしかめ、ひっそりとした漁師町を抜けて歩いた。塗り立ての漁船に身体をすりつけたのか、ペンキだらけの身体になった猫がぼんやりしている。暮れかける漁港に、人影は少ない。夕陽は見られるのだろうか。
 鴨の浦の岩は、激しい侵食の結果、さまざま表情をつくりだしている。人面、魚面、羊面、犬面……屈曲した岩肌から、いろんな顔を探し出しながら、日が落ちるのを待っている。サザエと缶ビールが、両手の花である。丸のままの焼きサザエを頬張るなんて、ぼくはいままでしたことがない。
 次第に集まってくる雲の切れ目から、赤々とした陽が、ほんの数分輝き、海に落ちた光は、波を渡り、長い帯となって打ち寄せる。
この夕陽のために輪島に来たみたいな気持ちがしてくる。夕市の黄色いタオルの女性に感謝しなくては。
 一夜明けて訪ねた朝市が、夕市と比べてどんなにちがうものであるかが、おかげでよくわかった。朝はやはり、観光客で雑踏している。それだけではない。頭上低くトンビの群れが乱舞し、ヒヨドリがぴーぴー鳴きしきる。その賑やかなことと言ったらない。
 朝方の動と夕刻の静と、朝夕ふたつの市が、輪島の町のリズムをつくっているのかもしれない。朝市でぼくは、鈴のついた「お金の入るお守り」を買った。小さな小さな藁草履です。これをぶら下げて、市の通りを歩いていたら、あすなろの葉を商う老女に呼び止められる。彼女は、葉を一枚ちぎって、ミニ草履の鼻緒に挿してくれた。
 「幸せのしるしですよ、これは」
 お金と幸せと、これ以上なにが要るというの?

回転寿司を探して■

 輪島は、日本の終着駅である。駅名表示板に、次は「シベリア」と、堂々と明記してある。我が遠距離ローカル線「能登路4号」は、はるかなロシアに背を向け、金沢目指してヒタ走ったのです。ぼくは、夕べいやに甘い日本酒を飲み過ぎた後遺症が出たらしく、うつらうつら。乗客はぱらぱら。走っては停まり、しばらくしてまた走り出す。急行は、ぼくみたいな怠惰な人間のリズムによく合っている。このままどこまででも座っていられそうである。
 そんな怠け者にも、金沢に着いたら是非是非成就させたい「野望」がある。じつは、出発前に、インターネットで金沢についての情報を集めた。なかで、金沢在住、40代前半のサラリーマンが運営するサイトで見つけた、ふたつの情報に吸い寄せられた。
 ひとつは、「エビの握り寿司」。金沢の回転寿司でいちばん安いのがエビで、かならずアマエビが載っていると。もうひとつが、「ドジョウの蒲焼き」。これは、金沢では夏ばて防止に欠かせない食べ物で、裏道を行くと、おいしそうなにおいがしてくるという。
 食いしんぼうにはたまらない。我が急行列車は、何気なさそうに金沢に滑り込み、ぼくはさっそく、駅構内の観光案内所へ。懇切な係員に教えられ、近江町市場に直行する。
 迷路のような市場のなかをぐるぐる。蟹が安いよ、などと誘われても上の空。とうとう見つけた、「江戸ずし」。念願のアマエビ2カン220円、ホタルイカ110円、イカ165円、ナス110円、イナリ110円(三角形で甘みがなく、最高)……同行写真家氏とふたりで30カン、占めて2300円。回転寿司通の同氏曰く、
 「全体的に安い、うまい」
 と。
 市場の裏手にある、老舗の喫茶店「チャペック」(電話076-232-2096)で、イタリアン・ブレンドのコーヒーを注文して休む。都会に戻ってきたという思いが押し寄せてくる。
 街では、歩く意欲をいっそうかきたてられる。金沢はすぐれた裏道都市だと、ぼくは考えている。無数の小路の網が市中いっぱいに張り巡らされている。大通りを避けて裏から裏へとたどる。と、やがて、犀川か浅野川か、川べりにたどりつく。
 犀川の両側をひたすらに巡ること二時間あまり。よく歩いた。兼六園近くに戻り、バー「マルティニ」(電話076-233-1991)に立ち寄り、ほどよい甘みが心地いいマーティニを一杯。輪島の海の缶ビールも美味だったけど、都会の酒場のカクテルは、また格別である。酒棚の上の明かり取り窓が、暗くなってきた。頃も良し、さて、「ドジョウの蒲焼き」へ行こうじゃありませんか。
 金沢駅に近い別院通りの居酒屋「とと屋」は、しかし、満席であった。幸い店の外のベンチが空いている。ここに座って、夕涼みがてら、生ビールを傍らに、苦味の効いたパリパリのヤツをいただく。これで「金沢の野望」はふたつとも成し遂げたわけである。
 繁華街の明かりを頼りにしているのか、しきりにツバメが飛び交っている。それを目で追っていると、酔いが急速にまわるようだ。こうなると、時間の経過が判然としない。★

(『旅』誌掲載原稿に加筆)


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(2002.3.12.)

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