★エッセー「陽射しに焼かれた、あの夏この夏」
歩いてどこへでも行けると思い込んでいる人間であるぼくは、ともかく闇雲に、いつだって歩いてしまうわけです。それで、自然の摂理や世の中のしきたりと、ぶつかることが間々ある。いい加減にしておけばいいのに、中毒にまで至っているらしく、つい、考えもしないで歩く。先に立たない後悔が、おかげで山積している。
ついこの間も、埼玉県の行田で、街の中心からは離れた場所にある駅前の観光案内所の人が、自転車を貸してくれる、しかも無料だというのを振り切って、中心部目指し大通りを歩きだしたのです。両側は田圃。見渡す限りの平地。ああ、関東平野は広いなあと、はじめは満ち足りた気分だったけれど、いっこうに街らしい風景になってこない。昼近くの時間で、太陽は勢い込んで照りつけてくる。日陰なんて、あるわけがない。暑いよう。
すれちがう人もなく、クルマだけが行き交う、見知らぬ路上で、帽子もかぶらず、もはや多いとは言えない頭髪を、陽射しに思いきり焼かれている。
またやってるな。もうひとりのぼくは、汗を垂らして歩くぼくに、そう話しかけながら、記憶の糸をたぐりたぐり、これと似た情況をいくつも蘇らせたのでした。
もう二十年近く前に、はじめて出かけたシンガポール。なんのアテがあるわけでもなかったけれど、二週間ぐらいいるつもりで、中国系のおばちゃんがやっている安宿に落ち着いた。
翌日、さっそく朝から歩き出す。朝なのに、いやに暑いな。ま、いいか。街をぐるぐるぐるぐる。潮州魚玉麺の昼食を済ませて、また歩く。なんだか知らないが頭がズキズキする。さすがのぼくも、やっと気がついた。熱帯の陽射しは、頭の内側にまで貫通しているらしい。慌てて宿に戻って、それから二日間、すっかり脱力状態で寝たきりということになってしまった。まだ熱中症なる言葉もなかった、あのころの、知る人とてない異国の街で。
東京では、こんな顛末があった。「健康保険証は、赤坂から六本木に向かって歩きながら、突然、猛烈な吐き気に襲われて、公園のベンチに寝てしまって以来、持ち歩くようにしている。名前は忘れたが、大きな公園で、中央に池があり、額の脂汗を気にしながら、池の水をかいだしている子どもたちの歓声を聞いていたら急に恐ろしくなったものだ」(はじめて街歩きについて書いた『都市の歩き方』北斗出版刊、1979年)
もっとも、自分ひとりであれば、病気になっても、たとえ死ぬようなことがあったとしても、自業自得というものだが、歩行中毒が、同行者を巻き込むと、これははた迷惑もいいところになる。
数年前のカンザス・シティ。そこはアメリカ大陸のど真ん中である。あれも真夏。このとき巻き添えになった被害者は、某社編集部のK氏であった。この町は、ミズーリ州とカンザス州、ふたつの州にまたがっている。そこで州境まで行ってみようじゃないかと誘ったのは、もちろんぼくのほうである。
大平原の夏は、おそろしい。歩きだして十数分、全身これフライ。喉が砂漠。雲ひとつない空。傍らを見れば、色白のK氏の額が見る見る黒々と変色していくではないか。失礼な話だが、ぼくは、トースターのなかで焼きあがるパンを眺めているような気がした。
まずかったな。K氏は無帽なのに、このときこっちはちゃっかりキャップをかぶっていたという事情もある。申し訳ないな。罪の意識にさいなまれる。だけど、いったん歩きだしてしまったからには、後戻りできないし。これも中毒症状のなせるわざと言い訳をしておく。かくて、口数少ないふたりは、ステート・ライン・ロード(州境道路)をひたすらに目指したのでした。
以来、だれかと一緒のときは、気をつけるようにはしている。それでもときに、禁を破る。結果、「きのうは久しぶりよく歩いた。やっぱり疲れたよ。会社には出てきたんだけど、なんだか力が入らなくて。でも楽しかった」といった電話があったりする。
被害に遭った相手の心配りに感謝しつつ、またやってしまったかと、反省はするのです。そのときは、ともかくも。
ところで、先の埼玉県行田市。一時間あまり後に、豊かな街路樹の街並みにたどりつき、その涼しさに心身を洗われる思いがした。これがあるから歩くことをやめられないのです。★
(『家庭画報』誌1999年8月号掲載原稿に加筆)
(2001.8.30.)