★駅弁発祥の駅(?)宇都宮で遊ぶ
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明治18年に、現在の東北本線の一部、大宮・宇都宮間が開通した。その際、鉄道側の要望で、地元の旅館が駅売り弁当を発売した。タクアンと握り飯2個を竹の皮に包んだだけの、簡単なつくりで、値段は5銭であった。
駅弁の発祥については諸説あるようだが、これはそのひとつである。もっとも、数年前になるが、はじめてJR宇都宮駅に下車したときには、こうしたいわれについて、なにも知らなかった。
そのときは昼過ぎに到着し、ひどい空腹であった。ホームに降りたら、すぐ目の前に駅そばを見つけたので、なんの考えもなしに、すぐに食券を買って「かけうどん」を食べた。これがなかなかで、とりわけ、刻みネギのシャリシャリした、爽やかな食感をいまでもおぼえている。
うどんに満足し、食べ終えて、ふと振り返ると、「お弁当」と書いた幟を立てて、おばちゃんが立ち売りをしているではないか。そうか、駅弁にすればよかったかなという思いがよぎった。
しかし、後の祭りをとやかく言ってもはじまらない。ホームから階段を上がっていった。すると、改札口の手前に、駅弁専門の売店があるではないか。「慌てるナントカは」だなと、今度こそ後悔する。コンコースに出て、さらに大掛かりな駅弁専門の売店に遭遇。まったくもう。
じつは、宇都宮にやってきたのは、市内のバーへ行くのが目的であった。この町は「カクテルの街」として、日本全国に知られている。バーテンダーたちが競ってオリジナルカクテルをつくりだしているそうだし、各種のコンペで優秀な成績を残したり、世界大会でも活躍している。
酒好きとしては一度は訪ねてみたい。仕事で近くまで来たのをいいことに、少し足を伸ばしたというわけである。
その日の夕べ、数ある店のなかでも老舗と言われるバーで、ガイド役を引き受けてくれる地元の人と待ち合わせた。面と向かい、さっそくに「駅弁、後の祭り」のイキサツを持ち出したところ、「なにも知らないんですね」とあきれられてしまった。結果、駅弁発祥の地説を懇切に教えられたのである。
無知ほど怖いものはない。おかげで、というわけではないけれど、その晩は(その晩も、か)酔った。それにしても、旅先で仕事を終えてのプラス一日の休暇は、心弾む。なににも煩わされず、自由勝手に振舞えるからである。
翌日は昼近くになって、止宿先をチェックアウトして、街をぶらぶら。すでに「情報武装」をしているから、もうひとつの宇都宮名物という餃子をたっぷり食べるのも忘れなかったし、大谷石造りという教会の見学にも行ってみた。
駅に戻り、列車の時間までかなりある。構内を散策。旅で時間があれば駅のなかを歩くのが慣わしで、しばしば意外な発見をする。
宇都宮駅での「発見」は、東口にひっそり立つ「餃子像」である。餃子の皮に包まれたヴィーナス像という、奇想天外な発想の石像で、やはり大谷石で造ったらしい。これには、被ってもいない帽子をどうしても脱ぎたくなる思いであった。
とどめは当然、「駅弁リベンジ」ということになる。今度こそは。丹念に選ぶ。駅弁選びには、自分なりの基準がある。モットーはシンプルである。形もシンプル、中身もシンプル、それに小ぶりで、地味なデザイン。
20種類以上あるなかから、ひとつをピックアップ。どれにしたかは秘密ということにするけれど、先の基準をあてはめれば、これになる他にないのでは。
改札口を入ったところのベンチにひろげて、こころゆくまで堪能した。ラッシュの時間でなければ、駅弁を車中ではなくて、よく駅にいる間に、のんびり食べる。
旅の楽しさが沁みる。
★2006.9.8.
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